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「ねずみの王」(前編)

「ねずみの王」


ねずみが嫌いだ。


それはもう、どうしようもないほどに。


小さい頃に齧られたことがあるせいだろうか。

それとも、あの素早く這い回る動きが本能的に受け付けないのか。


理由はともかく、僕はあいつらが苦手だ。


だからこそ、今回の取材は正直なところ、あまり気が進まなかった。



「ねずみの異常発生、ですか?」


町の商店街の一角で、僕は取材相手の老人に尋ねた。


「そうさ。ここ最近、急に増えたんだよ」


そう言って、老人はタバコの煙を吐き出す。


「昼間はまだいい。でも、夜になると、どこからともなく湧いて出てくる」


「湧いて出てくる?」


「そうとしか言えんよ。前はこんなこと、なかったんだ」


老人の話では、ここ数週間、町の各地でねずみの目撃情報が急増しているらしい。

しかも、そのねずみたちは「やたらと大きい」のだという。


「普通のねずみじゃないんですか?」


「いや、それが……」


老人は、何かを言いかけて口をつぐんだ。


「とにかく、おかしいんだよ。今までにないほど、ねずみが町じゅうに増えてる。夜の道を歩いてみな、わかるから」



確かに、町を歩いていると、そこかしこに 「ねずみがいた痕跡」 が残っていた。


電柱の根元には齧られた跡。

ゴミ捨て場は荒らされ、食い散らかされた残飯が散乱している。

路地裏には、黒く蠢く小さな影がいくつも見えた。


普通のねずみの繁殖周期から考えても、これは異常な増え方だ。


「……なるほど、確かに多いですね」


「ああ。でもな、問題はねずみの数だけじゃないんだよ」



老人は、周囲を見回し、声を潜めた。


「ねずみの王を見たら、もう助からないって話があるんだ」


「ねずみの王?」


「昔から、この町にはな……」


そう言いかけた老人は、ふと口を噤んだ。



「……いや、すまん。俺はもう行くよ」



そう言って、老人は早足で去ってしまった。



「ねずみの王」という言葉が妙に引っかかった。


町のどこかに、「王」と呼ばれるねずみがいるのか?

それは、単なる比喩なのか、それとも――


気になった僕は、他の住民にも話を聞いてみることにした。



しかし、話を聞いた人の反応は、どれも曖昧だった。


「……聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」

「そんな話、もう誰も気にしてないよ」

「昔の人が言ってただけだろ」



「ねずみの王」の噂は、確かにこの町に存在していた。

だが、誰もその正体を知ろうとしない。


むしろ、知っている人ほど、避けるような反応を見せた。



不思議なことに、こういう話はあるものだ。


「知ってはいけないこと」

「気づいたら終わり」


まるで、それを意識した瞬間から、自分も巻き込まれるかのように――。



そして、もう一つ気になる話を聞いた。


「そういえば、この前、○○さんの家がね……」


その家では、特にねずみの被害がひどかったらしい。

だが、数日前に 「家の住人が突然いなくなった」 のだという。


夜逃げか? 失踪か?

警察もまだ詳しく調べていない。


だが、その家には――


「ねずみの死骸が、異常なほど積み上がっていた」 らしい。




僕は、その家へ向かうことにした。


町の端にある、一見何の変哲もない一軒家。

ただ、庭先は荒れ果て、郵便受けには回収されていない新聞が溜まっていた。


住人が消えてから、数日経っているはずなのに、窓や玄関はそのままだった。

まるで、ここが「存在しない家」であるかのように、誰も関与しないまま放置されている。



僕は玄関に近づき、ドアノブに手をかけた。


――開いた。



嫌な予感がする。


それでも、僕は中に足を踏み入れた。



家の中は、奇妙なほど静かだった。


生活感はある。

だが、明らかに「何かがいた痕跡」が、そこかしこに残っている。



そして、リビングの隅で――


僕はそれを見た。



ねずみの死骸。


大量のねずみの死骸が、部屋の隅に山のように積み上がっていた。



だが、その中に、一際異様な「何か」が混じっていた。



僕は息を呑む。


ねずみの群れの中に、明らかに 「形のおかしな塊」 がある。



それは、何匹ものねずみの尻尾が絡まり合い、

ひとつの異形の塊となったもの――



まるで、ねずみたちが融合したような、

「ねずみの王」 そのものだった。




「これは……」


部屋の隅に積み上げられた、異様なねずみの死骸の山。

そして、その中に混ざる「何か」。


僕は、ゆっくりと近づいた。


その塊は、複数のねずみが絡まり、固まりになったもののように見えた。

尻尾が何本も絡み合い、まるで一本の神経のように束ねられている。


僕は本で読んだことがある。

「ラットキング」――ねずみの集団の尻尾が絡まり、ひとつの塊になったもの。

極めて稀に、実際に発見されることもあるらしい。


しかし、それは単なる奇形にすぎない。

本来ならば、ただの生物学的な異常であり、伝説のような存在ではないはずだった。


けれど、僕の目の前にあるものは、違った。


尻尾だけでなく、身体までがつながっている。

無理に引き剥がしたわけでもないのに、ねずみたちの骨が絡まり、融合しているように見えた。


そして――


その中心部には 「人間の指」 のようなものが埋まっていた。



背筋が凍る。


「これは……何なんだ」


誰かがこの塊を作ったのか?

それとも――自然に、こうなったのか?


嫌な汗が滲む。


ここに住んでいた家族は、一体どこへ消えたのか。

彼らは、ねずみの異常発生と何か関係があったのか。


僕は、慎重に塊から目を離し、部屋を見回した。


そして、床の上に散乱している「あるもの」に気づく。


それは、古びた写真だった。



僕は、その写真を拾い上げた。


古い白黒写真。

撮影されたのは、少なくとも数十年前。


そこに写っていたのは、数人の男たちが、

大きな石の前にひれ伏している姿だった。


しかし、その石の前には――


「……ねずみ?」


無数のねずみが、まるで集まるように積み重なり、

中央に、異形のねずみの塊 が鎮座していた。


まるで、ねずみたちが 「王」として崇める存在 のように。


背中に冷たいものが走る。


これは、ただのねずみの異常発生ではない。

町の歴史の中に、何かしらの儀式があったのだ。


この写真の中に――僕は入れるか?



少し迷ったが、僕は写真を両手で持ち、ゆっくりと目を閉じた。


意識を集中させる。


次の瞬間――


世界が、裏返った。




目を開けると、僕は違う場所に立っていた。


あたりは、古びた町並み。

電灯の代わりに、家々の前にはぼんやりと灯る提灯がぶら下がっている。


現代ではない。

これは、おそらく写真が撮影された当時の風景――。


そして、視線を少し前に向けると、石の前にひれ伏す人々の姿があった。



彼らは、何かを口ずさみながら、

小さなねずみの死骸を手に取り、慎重に石の前に置いていた。


供え物、だろうか。


中央には、ねずみの塊。

やはり、それは「ねずみの王」だった。


しかし――


僕は、ふと気づく。


石の前にいる人々の中に、一人だけ異様な存在 がいた。



それは、長い白い衣をまとった女性。


顔は見えないが、その立ち姿には、

人ではない何かのような、違和感があった。



彼女は、ねずみの王に手をかざし、静かに呟いた。


「我らが王よ。受け入れられし者を」


その瞬間、ねずみの王の塊が、かすかに蠢いた。



僕は、息を呑んだ。


これは、本当に儀式だ。

ねずみの王は、何かを選び、それを受け入れる。


それが、どういう意味なのか。



次の瞬間、写真の世界が揺らいだ。



身体が急に軽くなり、視界が滲む。


戻る――。


僕は、そのまま目を閉じた。



次に目を開けたとき、僕は元の家の中にいた。



手には、写真が握られている。


だが――写真の中の人影が、一人消えていた。



これは、どういうことだ?


僕は、写真の中で「何か」に見られていた気がする。


いや、もしかすると、写真を通じて何かを連れてきたのかもしれない――。



その時、背後から、カサ……という微かな音が聞こえた。



振り向く。



そこにいたのは――



《続く》



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