「家族写真の女」
その写真は、一見すると何の変哲もない家族写真だった。
母、父、娘、祖父母――笑顔の家族が並んでいる。
どこにでもあるような、ありふれた写真。
しかし、その写真を持ち込んだ男は、指を一本、その中の 「見知らぬ女性」 に向けて言った。
「この人、知らない人なんです」
◇
◇
「この人、知らない人なんです」
そう言われても、僕には何のことか分からなかった。
写真をじっくりと眺める。
リビングらしき部屋で撮影された家族写真。
家族全員が笑顔で並んでいる。
中央には、明らかに母親らしい女性が立っている。
隣には、父親らしき男性。
子どもは二人で、小学生くらいの娘と、まだ幼い弟。
そして――写真の端に、一人の女性が写っていた。
◇
僕はその女性をまじまじと見つめる。
セミロングの髪に、シンプルなワンピース。
おそらく30代後半くらいの女性。
この人が「知らない人」?
「どういうことです?」
僕が写真を持ってきた男に尋ねると、彼は少し戸惑ったように言った。
「いや、そのままの意味です。この写真は、僕の家族のものなんですが……」
「僕も、両親も、兄妹も、誰もこの女性のことを覚えていないんです」
◇
僕は眉をひそめた。
「つまり、この写真は本物なんですよね?」
「ええ、間違いなく。合成とか、そういうのではなく、ずっと昔からアルバムに入っていたものです」
◇
写真自体は何の変哲もない。
加工された形跡もないし、プリントの色合いも自然だ。
何より、写っている全員がカメラ目線で、違和感なく収まっている。
この女性が 「写り込んだものではない」 ことは明らかだった。
◇
「では、写真を撮ったときの記憶は?」
「家族全員、まったく覚えていないんです」
◇
家族全員が、その女性の存在を覚えていない。
それどころか、「その写真を撮った記憶すらない」という。
◇
「……興味深いですね」
僕は写真を手に取り、じっと眺めた。
◇
この女性は、誰なのか?
そして、なぜこの写真にだけ存在しているのか?
◇
僕は、確かめることにした。
◇
写真の中に入って。
◇
◇
僕は、写真を床に置いた。
その場にしゃがみこみ、ゆっくりと写真の表面に指を触れる。
次の瞬間――
◇
視界がぐにゃりと歪んだ。
身体が落ちるような感覚。
周囲の光が消え、静寂に包まれる。
そして――
◇
気がつくと、僕は リビングに立っていた。
写真に写っていた、あの部屋。
空気が、静かに淀んでいる。
家具の配置も、写真のままだ。
だが――
誰もいない。
◇
僕は、部屋を見渡した。
ソファ、カーペット、テレビ。
すべてが写真の中の景色と一致している。
だが、写真に写っていたはずの 家族がいない。
◇
「……おかしいな」
◇
通常、写真の中に入ると、その瞬間の記録が再現される。
つまり、本来ならば「家族が並んでいる写真の瞬間」に入ったのだから、
彼らもここにいるはず なのだ。
◇
しかし、部屋には僕だけしかいなかった。
◇
僕は、そっと足を踏み出し、リビングの中央に立った。
そして、もう一度、辺りを見回す。
◇
すると――
◇
リビングの隅、廊下へと続く暗がりの奥に、影があった。
暗がりの奥。
そこに、誰かが立っている。
女性だった。
写真に写っていたあの 「知らない女性」。
彼女は、静かに佇んでいた。
こちらをじっと見つめている。
だが――
顔が、ぼやけていた。
いや、違う。
顔の輪郭はある。
だが、目や鼻、口のディテールが曖昧なのだ。
まるで、そこに存在していること自体が不安定であるかのように。
◇
彼女は、一歩、こちらに近づいた。
◇
僕は、息を呑む。
「あなたは……誰ですか?」
彼女は、静かに首を傾げた。
そして、低く、かすれた声で囁く。
「……あなたは、誰?」
その瞬間――
僕の視界がぐにゃりと歪んだ。
耳鳴りがする。
背筋に冷たいものが走る。
そして、彼女の顔が、ゆっくりと 「僕の顔」に変わっていく。
◇
気づくと、僕は元の部屋にいた。
写真は、床に落ちている。
僕は、急いで写真を確認した。
家族写真の中。
「知らない女性」がいなくなっていた。
しかし、その代わりに――
「僕」が、写真の中に写っていた。
◇
◇
完




