「数えてはいけないもの」
「ここでは、数を数えちゃいけませんよ」
◇
取材で訪れたのは、山間にある小さな町だった。
観光地ではないが、古い街並みが残り、どこか時間が止まったような雰囲気を持つ。
住民の数も少なく、数十世帯ほどの集落がぽつんと存在しているだけだった。
◇
町の入り口には、小さな案内板があった。
そこには 「八切町へようこそ」 と書かれていたが、どこか違和感を覚えた。
「……この町の人口は、どれくらいですか?」
僕が商店の店主に尋ねると、彼はほんのわずかに眉をひそめた。
「さあ……そんなこと、気にしたこともないなぁ」
◇
不思議な答えだった。
町の規模からすれば、おそらく200人ほどだろう。
だが、普通は「だいたい○○人くらい」と即答できるはずだ。
◇
「学校はありますか?」
「いや、もう何年も前になくなったよ」
◇
では、子どもはいるのか?
そう思って周囲を見渡したが、見かけるのは年配の住民ばかりだった。
◇
そこで、僕はもう一つ気になることを尋ねた。
「そういえば、この町には信号機はいくつありますか?」
◇
すると、店主は僕を見て、少し真剣な顔をした。
そして、ぽつりと呟く。
「……数えないほうがいいですよ」
◇
「え?」
「ここでは、数を数えちゃいけません」
◇
店主の表情は、冗談を言っているようには見えなかった。
僕は町を歩きながら、試しに数を数えてみることにした。
最初に数えたのは、道路標識だった。
◇
片側の通りに、1、2、3……と目で追っていく。
しかし、ふと違和感を覚える。
「今、6本目だったはずなのに……いつの間にか5本しかない?」
◇
何かの見間違いかと思った。
しかし、今度は商店の前に置かれたベンチの数を数える。
1、2、3……
「おかしい」
さっき数えたときより、一つ少ない。
◇
試しにもう一度、道路標識の数を数える。
1、2、3、4……
5、6……
7本目を数えようとした瞬間、視界の端で何かが揺れた。
◇
次の瞬間、僕の目の前の標識は 6本になっていた。
「……気のせいじゃないな」
意図的に数えると、数が変わる。
では、人間はどうなのか?
町の広場に行くと、何人かの住民が雑談をしていた。
僕は目を凝らし、彼らの数を数えた。
1、2、3、4、5人。
しかし、ふと目を逸らし、再び数えると、そこには6人がいた。
「おかしい……」
人が増えている?
◇
広場の人々は、まるで最初からそこにいたかのように自然に会話をしていた。
◇
僕は、寒気を覚えた。
この町には、「増減する存在」がいる。
ーーー
「やっぱり、数えてしまいましたね」
突然、後ろから声をかけられた。
振り向くと、先ほどの商店の店主だった。
「……これは、一体どういうことなんですか?」
僕が尋ねると、店主は低い声で答えた。
「この町では、数を数えてはいけないんです」
◇
「なぜです?」
「数えたものが、“消える” からですよ」
店主の言葉に、僕は言葉を失った。
◇
「さっき、標識の数を数えましたね?」
「あ……はい」
「では、昨日までの標識の数を覚えていますか?」
◇
僕は、一瞬考えた。
「いや……」
「そうでしょう? それがこの町のルールなんです」
◇
「でも、さっき広場で人を数えたとき、人が増えたように見えました」
店主は静かに首を振った。
「違います」
「増えたんじゃない。最初から、その人数だったんです」
◇
「そんな馬鹿な……」
◇
店主は、静かに言った。
「この町では、数えることで“認識”が生まれます」
「そして、数えたものは、定まらなくなるんです」
◇
「……まるで、数字自体が生きているみたいですね」
◇
店主は、それには答えず、こう言った。
「これだけは、覚えておいてください」
「この町には、“余分なもの” は存在しません」
◇
僕は背筋が凍った。
取材を終え、僕は町を後にした。
しかし、どうしても気になることがあった。
――この町の 「人口」 は、いったい何人だったのだろうか?
◇
僕は、スマホのメモを開いた。
町にいた住民の数を、記録しておいたはずだった。
◇
しかし――
そこには、何も書かれていなかった。
◇
まるで、最初から「数」など存在しなかったかのように。
◇
◇
それ以来、僕は数を数えることに、少しだけ恐怖を感じるようになった。
◇
完




