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「祈る人形」(後半)

 祈る人形の表面は、木の感触ではなかった。



 指先で撫でると、微かにざらつきがあり、わずかに沈むような感覚がある。

 まるで、生き物の皮膚をなぞっているような。




 僕は、ゆっくりと人形を握り直した。




 「……この人形は、一体何なんです?」




 老婆は、長い沈黙の後に答えた。




 「この人形は、神の手そのものです」




 僕は、思わず息を止めた。


 「神の手……?」



 「はい。この人形が手にされ続ける限り、村は保たれる」


 「神は、私たちに『形』を与えてくださるのです」




 形を与える。




 この言葉が、妙に引っかかった。



 「……ということは、この人形を失ったら?」



 老婆は、微かに目を伏せた。



 「村は、村ではなくなるでしょう」




 僕は、村をもう一度歩いた。



 相変わらず、誰の姿も見えない。



 ただ、確かに誰かの気配はある。


 何度か、家の中から視線を感じた。

 だが、覗き込むと、そこには誰もいない。



 村人たちは、まだここにいるのだろうか?


 僕は、ふと考えた。


 この村の住人は、今でも本当に「人間」なのだろうか。


 すると、不意に背後で気配が動いた。



 僕は反射的に振り向いた。



 道の向こう。



 立っていたのは、一人の男だった。




 無表情で、じっとこちらを見ている。




 「……すみません、この村の方ですか?」


 僕が声をかけると、男はゆっくりと首を傾げた。


 「……村?」


 低く、掠れた声だった。


 「あなたは、誰です?」



 男は、しばらく僕を見つめていたが、やがて――




 「……わからない」




 その瞬間、全身の毛が逆立つような感覚が走った。



 男の背後、家の軒先、道の角――




 いつの間にか、何十人もの村人が僕を取り囲んでいた。




 誰も何も言わず、ただ僕を見つめている。



 目の焦点は定まらず、無表情。

 全員が、ゆっくりと首を傾ける。




 「あなたは……誰?」




 口々にそう呟く声が、耳にまとわりつく。




 足が動かない。




 ここにいてはいけない。




 僕は、ゆっくりと後ずさった。




 神社に戻ると、老婆が立っていた。


 「……見てしまいましたか」


 僕は息を整えながら頷いた。



 「……あれは、一体?」



 「彼らはもう、人ではありません」




 老婆は淡々と言った。



 「神の手を失った村人は、『人の形』を維持できなくなったのです」




 「彼らが見えている間は、まだ完全には崩れていないのでしょう。」



 「でも、いずれ消えます」




 僕は、祈る人形を見た。



 もし、もう一度これが手にされれば――



 村は元に戻るのか?



 だが、その時、老婆が静かに言った。



 「……もう、戻れません」



 「神は、一度離れた手を再び差し伸べることはないのです」




 僕は、村を出ることにした。



 祈る人形は、神社の奥に安置されたままだ。



 あの村は、いずれ完全に消えるのだろう。



 だが、僕は気になっていた。



 それは、本当に「村が消える」ことなのだろうか?



 もしかすると――



 村はまだ、そこにある。



 ただ、誰もそれを「村」と認識できなくなるだけで。



 きっと今後も、何かの拍子に僕はこの村に来るのかもしれない。



 でも、その時、僕はこの村を「村」として認識できるのだろうか?



 車を走らせ、村を出る。


 ミラーの中で、村の入り口が遠ざかる。


 その時、背筋に悪寒が走った。




 ミラーに、何かが映っている。




 村の入り口の鳥居の下。




 誰かが立っていた。




 ――老婆?



 僕は、確かめようと車を停めかけた。




 だが――



 その瞬間、気づいた。




 老婆ではない。




 僕の背筋が凍りついた。



 それは、僕だった。




 鳥居の下に立っていたのは、紛れもなく僕自身だった。




 ただ――




 ミラーの中の「僕」は、ゆっくりと、微笑んだ。



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