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「渡してはいけない荷物」

人間は時々、「何も考えずに受け取ってしまう」ことがある。


 例えば、駅で誰かに「これを持っていてくれ」と頼まれたら、つい受け取ってしまうかもしれない。

 宅配便の荷物を、差出人を確認せずに受け取ることもあるだろう。


 しかし――もし、それが「受け取ってはいけないもの」だったとしたら?



 その話を聞いたのは、ある夜のバーだった。


 取材帰りに立ち寄った静かな店で、隣に座った男がぼそりと呟いた。


 「……俺、たぶん、もうすぐ消えると思う」



 思わず男の顔を見た。


 年の頃は三十代後半。

 疲れ切った表情をしており、目の下には深いクマが刻まれていた。



 「消える、ってどういうことです?」


 僕が尋ねると、男は笑った。


 「いや、変な話だと思うだろうけどさ。俺、変な荷物を預かっちまったんだ」



 荷物?



 男は、四日前の出来事を話し始めた。



 その日、彼は仕事の帰りに、駅の構内で見知らぬ男に呼び止められたという。


 「あの……すみません。ちょっと、これ、持っててくれませんか?」


 そう言って差し出されたのは、小さな黒い箱だった。



 男は咄嗟に受け取った。


 受け取ってから「何で俺が?」と思ったが、気づいた時には、もう渡した男の姿はどこにもなかった。



 「変な話だろ? でも、もっと変なのはさ……」


 男は酒を一口飲み、低く言った。


 「……俺、気づいたら、何度も『それ』を誰かに渡そうとしてるんだよ」



 それを聞いて、僕はぞわりとした。



 「渡そうとしてる?」


 「……無意識に、な」



 男は、ポケットから小さな黒い箱を取り出してみせた。


 それは、何の変哲もない、ただの四角い箱だった。



 「俺さ、最初は気のせいかと思ったんだ。でも、気づいたんだよ。ここ数日、駅で、職場で、俺は無意識に『これを誰かに渡そうとしてる』ってことに」



 僕は、ぞっとした。



 「でも、誰も受け取ってくれなかった?」


 「……ああ。なんかさ、みんな、無意識に避けるんだよ。俺がこれを渡そうとするたびに、みんな無表情で首を振る。まるで、俺が何かとんでもないものを持ってるのが分かってるみたいに」



 男は震える手で煙草に火をつけた。



 「さっきもさ、お前に渡そうとしたんだよ。でも……」



 そこで、男は言葉を詰まらせた。


 僕は、ただ黙って彼を見ていた。



 「お前も、俺の手を見ようとしなかった」



 男の言葉に、背筋が凍った。



 確かに――彼がポケットから何かを取り出した時、僕は無意識に目を逸らしていた。



 なぜか?



 ――分からない。



 男は乾いた笑いを漏らし、黒い箱をポケットに戻した。


 「多分な、これは『渡さないと消える』んだと思う」



 「消える?」



 「ああ。俺も最初は冗談かと思ったよ。でもな、最近、変なことがあるんだ」



 男は、ポケットの中の箱を撫でながら言った。



 「俺が最近会ったやつ、誰も俺のことを覚えてないんだよ」



 僕は言葉を失った。



 「会社の同僚も、友達も、親すらもさ。なんつーか……『誰も俺を認識できなくなってる』って感じだ」



 男は、静かに笑った。



 「だから、多分な……もうすぐ、俺は完全に消える」



 「だからって、俺はお前にこれを渡したりしねえよ」


 「でも、もし次に誰かがこれを持ってくれたら――俺は助かるんだろうな」



 そう言って、男は席を立った。



 「……じゃあな」



 男は、黒い箱をポケットに入れたまま、バーのドアを開け、消えていった。



 その翌日、僕は再びそのバーに立ち寄った。


 しかし、彼の姿はどこにもなかった。



 「昨日、ここにいた男のこと、覚えてます?」


 僕がバーテンダーに尋ねると、彼は首を傾げた。


 「いや……昨日、そんな客はいなかったよ」



 血の気が引いた。



 ――あの男は、もう消えたのか?



 それとも、まだどこかで、誰かに「それ」を渡そうとしているのか?


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