「七々菜奈々奈の月一勤務」
七々菜奈々奈が事務所に来るのは、月に一度だけ。
普段はリモートで経理を処理し、一二三とはメールで事務連絡を交わすだけ。
直接顔を合わせるのは月に一度のこの日だけだった。
◇
「相変わらず、散らかってますね」
彼女は、扉を開けるなりそう言った。
淡々とした口調に、呆れとも諦めともつかない色が滲んでいる。
◇
「おかしいな、僕は片付けたつもりだったんだけど」
「嘘つきます?」
◇
彼女は、一二三の机の上にある書類の山を見下ろしながら、
手早く輪ゴムを外し、分類し直し始めた。
◇
「でも、先月よりはマシです。ゴミ箱が機能してますし」
「……逆に先月は何を見たんだい?」
「書類が床に広がっていたので、ゴミ箱の存在意義を疑いました」
◇
七々菜は手際よく事務処理をこなしながら、
月に一度の恒例行事――事務所の掃除 を始める。
◇
◇
七々菜は、淡々とした性格 だが、几帳面でもある。
彼女が来る日は、事務所の大掃除が習慣になっていた。
書類整理、備品の補充、机の拭き掃除――。
一二三がやらない分、彼女がすべてやることになっている。
◇
「これ、まだ必要ですか?」
彼女は、棚の奥から埃をかぶったファイルを取り出した。
◇
「ん?」
◇
表紙には、一二三の手書きのタイトルがある。
「A案件──関係資料」
◇
一二三は眉をひそめた。
A案件?
記憶にない。
少なくとも、最近の取材で「A案件」として扱ったものはないはずだった。
◇
「……いつからここにある?」
「さあ? 私の記憶では、ここにはなかったと思いますが」
◇
七々菜は、そこまで言ってふと首を傾げた。
◇
「おかしいですね」
「何が?」
「この棚、先月は掃除したんです」
◇
一二三は、冷たい違和感を覚えた。
◇
「先月は、なかった?」
「ええ。間違いなく」
◇
では、このファイルは どこから来た?
◇
◇
「中を見てみよう」
一二三は、埃を払いながらファイルを開いた。
◇
そこには、数枚の写真が挟まれていた。
◇
──見覚えのない写真だった。
◇
写っていたのは、どこかの路地裏。
古びたレンガ壁に、黒い落書きのようなもの が描かれている。
◇
一二三は、喉が乾くのを感じた。
◇
……この写真は、知らない。
◇
「どうしました?」
七々菜が、机の上に広げた写真を覗き込む。
◇
「これ、どこですか?」
◇
一二三は答えられなかった。
見覚えがない。
でも、何かがおかしい。
◇
写真をめくると、さらに奇妙なものがあった。
◇
一枚の領収書。
日付は 三年前 になっている。
◇
「三年前?」
この事務所ができたのは、ちょうどその頃だ。
だが、領収書の店舗名に見覚えがない。
「……こんな店、知らない」
「でも、三年前の日付ですよ」
「うん。だからこそ、おかしい」
七々菜は、じっと領収書を見つめていたが、やがて小さく息をついた。
「まあ、何かの手違いでしょう。捨てておきますね」
彼女はそう言って、領収書をシュレッダーにかけようとした。
だが、一二三は とっさにそれを止めた。
「待って」
七々菜が驚いたように一二三を見上げる。
「どうしました?」
◇
一二三は、自分でも理由のわからない嫌な予感を抱いていた。
「……捨てないでくれ」
「でも、これ、もういらない書類ですよね?」
「わからない。でも、残しておきたい」
◇
七々菜は一瞬考え込んだが、やがて「わかりました」と言ってファイルに戻した。
◇
「では、他のものを片付けますね」
◇
彼女が掃除を続ける中、一二三は無意識に 領収書の住所を目で追った。
──違和感がある。
住所を見た瞬間、脳の奥がざわつくような感覚があった。
知っている。
でも、思い出せない。
何を取材して、何を忘れている?
◇
◇
七々菜が帰ったあと、一二三は カメラの中の写真を確認した。
そこには、今日撮ったはずの写真が並んでいる。
だが――
最後の写真だけ、見たことのない風景 が映っていた。
それは、この事務所ではない、どこかの壁。
そして、そこに描かれている 黒い落書き。
一二三は、無意識に喉を鳴らした。
――これは、どこだ?
七々菜が見つけたファイル、見覚えのない写真、三年前の日付の領収書。
僕は、何を忘れている?
完




