「手紙を食べる家」
家には「癖」がある。
古い家屋は特に顕著で、雨の日に必ず床が軋むとか、決まった時間に壁が鳴るとか、そんな現象が起こることがある。
それは単なる経年劣化の問題かもしれないし、あるいは、もっと別の理由かもしれない。
だが、僕が取材で訪れたある古い家には、奇妙な癖 があった。
――そこに届いた手紙は、必ず消える。
◇
この話を聞いたのは、ある郊外の小さな村にある一軒家だった。
家の持ち主である老婦人は、静かな笑みを浮かべながら僕を招き入れた。
「本当に、不思議なことなんですよ」
彼女はそう言いながら、和室へ通してくれた。
築80年を超える古民家。広い縁側と、整然とした畳敷きの部屋が広がる、どこか懐かしい雰囲気の家だった。
◇
「消える、というのは?」
「ええ、郵便物です。この家に届いた手紙は、なぜかすべて無くなってしまうんです」
◇
老婦人の話によれば、この家では、昔から手紙が消える 現象が続いているという。
郵便受けに入った手紙が、ほんの数時間後には跡形もなく消える。
時には、家の中に持ち込んだ手紙までもが、目を離した隙に消える ことがある。
「不思議なことに、現金書留や荷物は消えないんですが、普通の手紙だけは消えてしまうんです」
◇
僕は慎重に尋ねた。
「それが始まったのは、いつ頃からですか?」
「正確には分かりませんが……私がこの家に嫁いできた時には、すでにそうでした」
老婦人は遠くを見つめるように言った。
「夫も、『この家は手紙を食べるんだ』と冗談を言っていました」
◇
僕は興味を引かれた。
家が、手紙を食べる――。
言葉としては荒唐無稽だが、妙に引っかかる表現だった。
◇
「これまで消えた手紙の中で、特に印象に残っているものはありますか?」
僕がそう尋ねると、老婦人は少し考えた後、こう言った。
「……ええ、ひとつだけ」
「どんな手紙でしょう?」
「昔、夫が戦争に行っていた頃に、何通か手紙を送ってくれました。でも、私の手元には、一通も届かなかったんです」
◇
ぞわりとした感覚が背筋を走った。
この家が、彼女の夫の手紙を「食べた」?
◇
僕は、手紙が消える現象を確かめるため、簡単な実験をすることにした。
◇
手元にあった封筒に白紙の便箋を入れ、それを老婦人の目の前で郵便受けに入れた。
「では、しばらく待ちましょう」
時間を計りながら、家の中で話を続ける。
◇
30分後――。
◇
僕は郵便受けを開けた。
◇
封筒は、消えていた。
◇
「……やはり、ですか」
老婦人は静かにうなずいた。
◇
だが、僕はふと考えた。
単に手紙が消えるだけなら、それは何かの錯覚や、物理的な要因で説明がつくかもしれない。
ならば、この家が手紙を「食べる」ことを、確かめるには?
◇
僕はもう一つ封筒を作り、今度は中の便箋にこう書いた。
「この手紙を食べないでください」
そして、もう一度、郵便受けに入れる。
◇
30分後――。
◇
再び郵便受けを開けた僕は、思わず息をのんだ。
◇
そこには、最初に消えたはずの封筒が戻っていた。
しかし、中の便箋だけが、綺麗に消えていた。
◇
「……この家は、内容だけを食べたんですね」
◇
僕は、この家の「癖」の正体を理解した気がした。
――この家は、ただ手紙を消しているのではない。
――手紙の「内容」だけを消している。
◇
「つまり、この家は……手紙を読んでいる?」
◇
老婦人は、静かに微笑んだ。
「そうかもしれませんね」
◇
彼女の表情には、どこか諦めにも似た穏やかさがあった。
◇
帰り際、僕は家を振り返った。
この家は、手紙を読む。
では――それを書いた「送り主」のことも、覚えているのだろうか?
◇
もし、彼女の夫が戦争から送った手紙を、この家が「読んでいた」としたら。
もし、それを「誰にも渡さないようにしていた」としたら――?
◇
背筋に、ひやりとしたものが走った。
◇
風が吹き抜け、郵便受けがカタンと揺れた。
◇
ふと、老婦人が何か呟くのが聞こえた。
「……あの人が、最後に何を書いていたのか。今でも、知りたいんですけどね」
◇
僕は、もう一度家を振り返った。
そして、何も言わずに、静かにその場を後にした。
完