「特産品」
「食べてみなよ」
そう言って、老婆は僕に野菜を手渡した。
◇
取材で訪れたこの村は、山間にひっそりと佇む集落だった。
観光地というわけでもなく、どこか時間の流れが緩やかな場所。
僕はこの村の「特産品」について調べていた。
村人たちは口々に「うちの野菜は美味しいよ」と誇らしげに語る。
そして、老婆が差し出したのが、この奇妙な野菜だった。
◇
一見すると、じゃがいもや里芋のようなごつごつとした見た目。
だが、表面にはうっすらと見たことのない模様 が走っている。
色は薄い灰色。
僕はその野菜を手に取り、尋ねた。
「これ……何ていう野菜です?」
老婆は、にっこりと笑って言った。
「野菜は野菜さ」
◇
いや、それは分かってる。
そうじゃなくて、名前を聞いているんだけど。
◇
「どうやって食べるんです?」
「いろんな食べ方があるさ」
「例えば?」
「……まあ、好きにすればいいんじゃないかねえ」
◇
何も、答えになっていない。
◇
僕は周りの村人たちにも聞いてみた。
「この野菜の名前って何です?」
「名前? そんなの考えたこともなかったねえ」
「普段はどうやって食べるんです?」
「普通に食べるさ」
◇
どこか、言葉が曖昧すぎる。
◇
宿に戻ってから、この野菜について調べた。
だが、どれだけ文献を漁っても、ネットで検索しても――
どこにも、それらしい野菜は載っていなかった。
◇
この村独自の品種なのか?
それにしても、記録が一切ないのは不自然だ。
◇
僕はもう一度、手元の野菜を見つめた。
持ったとき、わずかにひんやりしている。
だが、妙に手に馴染む感触 があった。
◇
――まるで、何度も触れたことがあるかのように。
◇
知っている気がする
村人たちがこの野菜を「当たり前のもの」として扱っているのは分かる。
だが、僕には違和感しかない。
◇
……なのに、ふとした瞬間、この野菜を知っている気がする。
どこかで、食べたことがあるような気がする。
◇
僕は、自分の記憶をたどる。
幼い頃、実家で食べたのか?
それとも、どこかの店で?
◇
思い出せない。
◇
……だが、確かに「食べた記憶」がある気がする。
◇
どうにも気になったので、試しに調理してみることにした。
皮を剥こうとすると――
包丁がうまく入らない。
◇
固いわけではない。
むしろ、柔らかすぎて、刃が滑る。
◇
少し力を入れると、ぬるりとした感触が指に伝わる。
◇
――あれ?
◇
包丁を握る手が、一瞬震えた。
◇
刃を通した断面から、透明な液体 がじわりとにじみ出る。
……なんだろう、この感覚。
◇
僕はそっと、その断面を指で触れた。
◇
――冷たい。
◇
そして、わずかに指先に残る感触が――
肌の質感に似ていた。
◇
僕は、ぞっとして手を離した。
◇
翌日、村人に会い、この野菜について改めて聞いてみた。
「この野菜、昔からあるんですか?」
「そりゃあもう、うちの村ではずっと作ってるよ」
「でも、他の地域では見たことがないんですが……」
「そうかい? どこにでもあるもんだろう」
◇
彼らの反応は、一様に「普通」だった。
◇
「おかしい」 と思っているのは、どうやら僕だけらしい。
◇
「でも、これの正式な名前って?」
「さあねえ。昔からあるし、みんな食べてるし」
「じゃあ、どうやって食べるんです?」
「好きに食べたらいいさ」
◇
……やはり、答えになっていない。
◇
この野菜は、本当に「存在している」のか?
◇
数日後、僕は村を離れた。
持ち帰ったその野菜を、再び調理しようと思った。
だが――
◇
それは、どこにもなかった。
◇
確かに、持って帰ったはずだ。
だが、バッグの中には何もない。
◇
どこかで落としたのか?
◇
……いや、最初からそんなものを持ち帰っていなかったのでは?
◇
僕は、もう一度村の記録を調べた。
だが、どの資料にも、どんな食材リストにも――
その野菜のことは載っていなかった。
◇
もしかしたら、最初からそんなものは存在しなかったのかもしれない。
村人たちだけが、それを知っている。
もしくは――
僕だけが、知らないはずのものを見ていたのか。
◇
――結局、あの野菜は何だったのか
完