「リバースホテル」
「この部屋に泊まると、次の日も昨日が続くらしいよ。」
そんな話を聞いたのは、ある古びたビジネスホテルのことだった。
大手チェーンではない、どこにでもあるような個人経営のホテル。
駅から少し離れた場所にあり、主に出張のビジネスマンが利用するようなタイプだ。
「まあ、よくある都市伝説ってやつさ。変な噂が流れるホテルって結構あるだろ?」
僕に話を持ち込んできたのは、知人のフリーライターだった。
彼は半ば冗談めかして言ったが、顔はどこか真剣だった。
「でもさ、その話には妙なところがあるんだよ。」
◇
そのホテルには、“昨日を繰り返す部屋” があるという。
宿泊した客は、翌朝目を覚ますと「昨日とまったく同じ日が始まる」と感じる。
部屋の時計、テレビのニュース、外の天気――すべてが昨日と同じ。
しかし、その話を聞いた時点では、単なるデジャヴや記憶の錯覚の可能性が高かった。
よくある話だ。
疲れていると、昨日と今日の境界が曖昧になることもある。
ただ、知人が問題視したのはそこではなかった。
「そのホテルに泊まった客は、チェックアウトすると記録が消える」
宿泊者リストを確認すると、泊まったはずの客のデータが存在しない というのだ。
◇
その話を聞いた翌日、僕はそのホテルに部屋を取った。
チェックインはスムーズだった。
フロントの対応も普通。
特に変わった点は見当たらない。
「お部屋は405号室 です。」
キーを渡され、エレベーターで4階へ向かう。
405号室のドアを開けると、部屋の中はどこにでもあるようなビジネスホテルの内装 だった。
壁紙はやや古びているが、清潔感はある。
ベッド、デスク、テレビ、小さな冷蔵庫。
特に違和感はない。
昨日と同じ日が始まる……?
僕は軽く鼻で笑いながら、シャワーを浴び、ベッドに横になった。
そして、眠りについた。
◇
翌朝、目を覚ました。
ベッドのシーツの感触、窓から差し込む朝日、遠くから聞こえる車の音――。
違和感は、なかった。
僕は軽く伸びをし、テレビの電源を入れる。
「次のニュースです。本日、関東地方では……」
昨日見たニュースと、まったく同じ内容が流れた。
◇
そんな偶然もある。
いや、もしかしたら昨日のニュースのダイジェストかもしれない。
そう思いながら、身支度を整え、1階のレストランへ降りた。
朝食バイキング。
並んでいるのは、スクランブルエッグ、ソーセージ、味噌汁、ご飯。
よくあるメニューだった。
席につき、コーヒーを一口飲んだとき――既視感 が襲った。
「これ、昨日とまったく同じじゃないか?」
いや、朝食メニューが同じなのはおかしくない。
しかし、スタッフの動き、客の席の配置、食べているメニューの組み合わせまで、昨日とまったく同じ に思えた。
◇
僕は食事を終え、フロントで尋ねた。
「昨日と同じ部屋に泊まっているんですが、チェックアウトの履歴って見られますか?」
フロントの女性は、一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにパソコンを操作した。
「申し訳ありませんが、お客様の昨日の宿泊履歴はございません。」
「……どういうことですか?」
「いえ、お客様が当ホテルをご利用されたのは、今夜が初めて かと……。」
◇
僕はエレベーターで4階に戻り、405号室のドアを開けた。
部屋の中は、やはり昨日とまったく同じだった。
ただ――
デスクの上に、一枚の紙が置かれていた。
それは、僕が昨夜この部屋でメモした走り書きだった。
「はやくここをでろ」
僕の字だ。しかしこんなものを書いた覚えは当然ない。
だが、それならば……。
「本当に僕が昨日この部屋にいたことを、誰も覚えていないのか?」
◇
僕はもう一度、ベッドに横になり、眠った。
翌朝。
目を覚ます。
同じ朝日、同じテレビニュース、同じ朝食。
フロントで尋ねても、やはり「僕の宿泊履歴はない」と言われた。
つまり――僕はずっと、昨日のチェックインを繰り返している。
◇
何日目か分からなくなった頃、あることに気づいた。
このホテルの**「宿泊者の顔が、毎日同じ」**なのだ。
朝食会場の客たちは、昨日と同じ席に座り、同じ料理を食べている。
しかし、彼らの表情はどこか曖昧で、誰も目を合わせようとしない。
僕は恐る恐る、一人の男に話しかけた。
「……ここは、昨日と同じ日じゃないですか?」
男は顔を上げた。
そして、乾いた声で言った。
「昨日って、なんですか?」
◇
僕は部屋に戻り、慌てて荷物をまとめた。
何が起きているのか分からないが、ここを出るべきだ。
しかし――
チェックアウトの手続きをして、外に出た瞬間、ふと気がついた。
僕はなぜ、ここに来たのだろう?
ホテルの前で立ち尽くしながら、理由を思い出せない。
このホテルには何か妙な噂があったはずなのに……。
それが、なんだったのか思い出せない。
◇
僕は仕方なく、再びフロントに向かった。
「部屋、取れますか?」
受付の女性はにこやかに微笑んだ。
「かしこまりました。お部屋は405号室です。」
完