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「ストーカー」

「ストーカー」という言葉は、もともと**「忍び寄る者」「跡をつける者」**という意味を持つ。

英語の “stalk” は、「獲物を狙ってじわじわと近づく」ことを指す。

つまり、ただの「付きまとい」ではない。

狩人が獲物を狙うように、じっくりと距離を詰めてくる者のことだ。



 僕の仕事はライター業。

 人に頼まれた記事を書き、取材をし、情報を整理するのが仕事。

 とはいえ、「書く仕事」なら何でも引き受けるタイプだ。

 金の為に芸能人のゴシップ記事を書くこともあれば、地方のグルメレポートをまとめることもある。

 都市伝説や、奇妙な事件の取材をすることもある。



そのため、人の恨みを買うことも少なくない。


インタビューで触れたくない過去を掘り起こしてしまったこともあるし、記事の内容に怒った関係者からクレームが来たこともある。

中には「お前のせいで呪われた」と言いがかりをつけてくる人間もいた。


だから、もし僕にストーカーがついているとしたら、それほど不思議なことではないのかもしれない。



それに気づいたのは、ある夜のことだった。




最初の異変は、ほんの些細なものだった。




視線を感じる。




取材から帰る途中、ふと後ろを振り返ると、誰かが曲がり角の陰に消えた。

電車のホームで何気なく顔を上げると、人混みの中に「見覚えのない男」がじっとこちらを見ている。


特に特徴のない、どこにでもいるような男だった。


最初は気のせいだと思った。


しかし、それが何日も続くと、さすがに無視できなくなる。



さらに、事務所にも異変が起こり始めた。



郵便受けの中の手紙が**「誰かに一度取り出されたような形跡」**がある。

ゴミ箱を覗くと、明らかに僕の出した覚えのないゴミが混じっている。

デスクの上のペンの位置が微妙に変わっている。

部屋を荒らされた様子もない。

金目の物がなくなった形跡はなく物が盗まれた形跡はない。

それなのにデスクの上のものが微妙にズレている気がする。


確信は持てないが自分の中の何かが今までとは違う類の警報を鳴らしていた。

その警報は次第に僕に嫌な考えを呼び起こさせた。



“誰かが自分の生活をじっと覗いている”。


そんな“生ぬるい気配”が僕を蝕んでいった。



ある朝、事務所のドアを開けると、床に見慣れない紙切れが落ちていた。


拾い上げると、それは 僕が数日前に捨てたはずのメモ だった。


「…ッ」


明らかに、誰かがゴミ箱から拾い上げ、わざとここに置いたとしか思えない。

経験したことのない異様な気持ち悪さが全身を貫いた。


さらに、別の日には 僕が淹れたはずのないコーヒーが机の上に置かれていた。

それは、まるで「自分もここにいた」と示すかのように。


誰かが、事務所に侵入している。


「誰かが僕の生活を覗いている」ことだけは、確実だった。

誰かが、僕の行動を観察し、僕の領域に入り込もうとしている。

それは次第に僕の行動に明確に影響を与え始めていた。




次第に、“そいつ”の姿を目にするようになった。



最初は遠くからだった。


コンビニで買い物をしていると、店の外からこちらを覗き込む人影がある。

けれど、顔は街灯の影に隠れて見えない。



地下鉄のホームで電車を待っていると、向かいのホームに”誰か”が立っていた。

こちらをじっと見ている。


“あれは誰だ”


そう思って目を凝らした瞬間、電車が間に入り、視界を遮った。


電車が通り過ぎたときには、もう誰もいない。



しかし、そいつが僕の目の前に現れたのは突然の出来事だった。



夜、取材帰りに商店街を歩いていたときだった。


前方に人影。


立ち止まっている。


“またか”と思いながら、僕は一瞬足を止める。


そう思ったのも束の間、今回は違った。逃げるでもなく隠れるでもなく道を塞ぐ様にそいつは立っていた。

そして立ち塞がったそいつはゆっくりと顔を上げる。



――その顔は、僕だった。


正確には違う。僕と顔の作りは全然違う。背格好も僕よりも高く痩せこけていた。しかし表情や仕草、立ち方まで僕と瓜二つだった。



“僕と同じ姿をした何か”が、そこに立っていた。


じっと、笑いもせず、怒りもせず、ただ観察するような目で僕を見ていた。



血の気が引くのを感じた。



“あれは、なんだ。”


自分自身を見ているような、しかし決して自分ではない存在。


この時ばかりはこの目の前の存在が異形のものであって欲しいと思ってしまっていた。

異形特有の威圧感や違和感、空気はない。

これは紛れもなく普通の人。

親がいて生活があり人生がある。もしかしたら家族や友人もいるかもしれない。

そんな普通の人が普通ではないタイミングで目の前に現れてしまった。


いつもならそいつの立つ道を真っ直ぐ進んで事務所に帰る。しかし、僕はその直前の十字路を右に曲がり迂回して帰路に着くことにした。


コツ…コツ…コツ…

すり減った革靴の音が一定間隔でついてくる。

それは僕と同じ歩幅。

決して追いつかず決して近づかない。

まるで僕が踏み抜いた場所を完璧に把握している様なそんな気味の悪い歩幅で僕の歩く跡をついて来ている。



数分歩くと事務所のあるビルに到着した。


どこにでもある普通の雑居ビル。その6階に事務所はあった。

このままビルに入っていいものか。

そんな考えが一瞬頭をよぎったが


“どうせ場所は知られている”


僕は迷うことなくビルのドアに吸い込まれていった。


幸いにもいまエレベータは故障している。

あいつと狭い空間に隔離されることはない。

僕は普段は誰も使ってないであろう清掃が行き届いている階段を一段ずつ登っていった。


まだ付いてくる。


心のどこかで流石に中には入ってこないだろうと思っていたがその予想は見事に裏切られた。


一定間隔で付いてくる。


変わらぬ歩幅、僕と同じ歩き方でそいつ僕の後を付いてきた。


3階を過ぎたあたりで

「このまま事務所に入っていいのだろうか」という今になってはとても遅すぎる考えが頭をよぎった。

普通の人間が”僕のいない事務所に入ってきている”ということを計算に入れていないことに気づいてしまった。


僕はそのまま階段を上がり屋上に出た。

地上14階のビル屋上では心地よい風が吹いていた。


ガチャ…


屋上に入るためのドアが再度ゆっくりと開いた。

僕と同じ顔をしたそいつは変わらぬ様子でビルの屋上に現れた。


「……お前は、誰だ?」



問うが、“そいつ”は何も答えない。

ただ、ゆっくりと一歩、僕に近づく。


僕は逃げ場がないのに後退りをする。


袋の鼠。

そんな言葉がピッタリだった。

もし、こいつの狙いが僕を追い詰めることならそれは大成功だ。

愚かにもなんの警戒もせず普通の人間からの追跡を許してしまったことを後悔した。

情けなくも自分の不用心さ後悔しながら僕は言葉を捻り出した。


「……何が目的だ?」



“言葉が通じる”

人種や言語が違っても意図は通じる。

伝えようとすれば伝わる。

そんな僕の中の常識は見事に打ち砕かれた。


相手にその気が無ければ成立などしないのだ。



“そいつ”は、無言のままさらに近づいてくる。




――まずい。


落下防止のやや高めのフェンスを背中に追い詰められる。



全身の神経が警鐘を鳴らす。




本能的に、“こいつを近づけてはいけない”と理解する。


しかし、次の瞬間。


“そいつ”は、スッと手を伸ばした。



そして、僕の胸を、軽く押した。



“宙に浮く感覚”。

一瞬全身を支えていた足から重力が抜けた浮いた様な感覚に襲われる。


僕の身体はあったはずのフェンスをすり抜け、地上14階から地上へと重力に逆らう事なく質量を持って落下していく。


無表情。


フェンス越しに落下していく僕を見るそいつの表情は恍惚でも歓喜でも安堵でもなくただただ無表情だった。



落ちる――



僕は、ポケットの中の写真を掴んだ。

考えてる暇はない。


いまの僕に最悪を避ける方法はそれしかない。


意識を、写真に集中し


迷う事なく僕はそこへ逃げ込んだ。


――目の前は歪みながら暗転し世界が裏返る。




僕の身体は地上ではなく写真の中に着地した。






気づくと、僕は”写真の中”にいた。


こういう時のために常ポケットに忍ばせている事務所の写真の中。


“写真の中に入る能力”


いつどの様な方法で手に入れたのか今となってはもう見当がつかない能力。

僕には写真の中に入るという不可解な能力が備わっていた。

そんな不条理な能力は人から多大な恨みを買ってるであろう僕にとって時に身を守る術となっていた。



目の前にあるのは、見慣れた自分の事務所のデスク。

事務所の床、本棚、観葉植物。

すべてが、“写真に写ったまま”の状態で固定されている。

机の上には、いつものように資料が積まれ、

本棚には本が並び、デスクの端にはコーヒーカップが置かれている。


特に驚くような要素はない。


ただ、いつも通り”違和感”はある。


この場所には音がない。完全な静寂。


自分の呼吸音すら遠くに聞こえるほど、世界が”密閉されて”いる。


ここは、写真の中の世界。


写真はあくまで”静止画”。

動きはないし流れもない。


“撮影されたその瞬間”で時間が固定されている。


つまり――


この世界は、完全なものではない。

完全でないが故に完全に静止された世界。


”薄い”空間。


ここは確かに僕の事務所だ。


だがいつも通り、“何かが決定的に欠けている”。


一見すると、何も違いはない。

違いはないが

“この世界に人の気配は一切ない”。


……いや、正確には”人がいた痕跡”がないという方が正しいかもしれない。

本来この空間は何人たりとも立ち入ることはない空間。


つまりここには僕以外の”何者もいない”。


ついさっきまで人間からの脅威に苛まれていた者からしたらここは完全な安全地帯。

ここは今の僕が知りうる限り誰からも狙われることのない唯一の空間だった。



胸を撫で下ろしデスクのイスに腰掛けた。

緊張から解放された四肢はまだ少し力が入らない。


自分を落ち着かせるために外の景色を確認しようとする。


しかしそこに、世界はない。

まるでとてもリアルな絵がそこに張り付いてるだけのような、そんな状態でその空間は固定されていた。

ガラスの向こうでは街並みが広がるがこの街並みは存在しない。

事務所のドアを開け外に出ることは出来ないし窓の鍵を開け手を伸ばすことはできない。


僕はそれを見ても特に驚かない。

こういうものだと分かっているからだ。



”写真の中の世界”は現実をただ完全に再現してるだけではない。


きっとこれがこの世界のルールの一つなのだろう。

説明書がなくルール説明もない能力。

どう立ち回っていいのかの解はいままでの経験からしか得ることは出来なかった。

その経験から僕はこの世界についてそういう認識していた。


大きく息を吐き、少しずつ手足に力が戻る。

頭を落ち着かせ自分に突きつけられてる問題に向き合うことにした。


……僕に突きつけられた問題ーー


“ここからいつ出るか”。




僕はポケットの中の写真を探った。

今さっき自分が飛び込んだ事務所の写真。


ーーが写っていた一枚の写真だったもの。


僕が知り得る唯一の写真の世界からの出口。


白紙になった元写真の厚紙を眺めながら、答えの決まっている問題の自問自答を繰り返していた。




“僕はまだ、この能力の代償を知らない。”


“長く滞在し続けたらどうなるのか”は、未だに分かっていない。


この場所にいると、”現実の感覚”が薄れていく気がする。それだけははっきりとしていた。


そろそろ、戻るべきだ。


しかし――。


“いつ、出るべきか”が分からない。


写真の外の時間が元の世界とズレている可能性がある。

戻った瞬間更なる脅威に苛まれている最中かもしれない。


そう考えると、躊躇してしまう。


“写真から出た瞬間質量を持ったまま地面と激突する。”


そんな考えたくもない最悪が頭をよぎる。


しかし、それでも――。



僕は、静かに目を閉じた。




そして――写真から抜け出した。






気づくと、僕は事務所の床に倒れていた。



静かだった。

写真と同じ様に静かな空間。

しかし写真の中とは明確に違う。

常に回しっぱなしの換気扇の音。

遠くで鳴っているであろうパトカーのサイレン。


それらは僕が現実世界に戻ってきたことを証明してくれた。


――戻ってこれたのか。


ゆっくりと身を起こし、周囲を見渡した。


……異変はない。


ストーカーの気配も、ない。


“消えた”。




けれど――。



僕は、デスクの上のカレンダーをみた。



日付は、“三日後”になっていた。


僕は、“三日間、写真の中にいたのか。

三日間の記憶が飛んだのか。

ここは本当に僕のいた世界なのか。


今の僕はそれを検証する方法を持っていない。




そして、その夜。


ふと、郵便受けを見ると――。


中に一枚の写真が入っていた。




それは――。



僕が屋上から突き落とされた”瞬間”を写したものだった。



全身の血の気が引いた。



そして僕は、ゆっくりと写真を裏返す。



そこにはーー



メモが一行。





“まだ、見ているよ”。


(完)


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