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「代償の多い料理店」

 「あの店で食べると、戻れなくなるらしい。」


 そんな噂を聞いたのは、深夜の居酒屋だった。


 取材帰りに軽く飲んでいたとき、隣のテーブルで話していた男たちの会話が耳に入った。

 話の中心は、ある食堂についてだった。


 「安くてうまいらしいが、やめとけって話だ。」

 「何か変なのか?」

 「……食った奴が、全員同じ顔になるらしい。」


 そこで、僕は酒を置いた。



 話を聞いた限り、その店に行った者は誰も「戻れなくなった」わけではなかった。

 では、“同じ顔になる” とはどういう意味なのか?


 都市伝説としては興味深いが、どうも曖昧な部分が多い。

 ならば、直接確かめるしかない。


 僕はその店の場所を尋ねたが、男たちは「どこにあるのか分からない」と言う。

 何度も行ったことがあるのに、思い出せない。


 「歩いてると、いつの間にか見つかるんだよ。」

 「でも、次の日には場所が分からなくなる。」


 まるで、「入れる者」と「入れない者」がいる店のようだった。



 それから数日間、僕はその店を探した。


 聞き込みをしても、詳細な場所を知っている者はいなかった。

 だが、共通して出てくる証言があった。


 「赤い暖簾」

 「店主は無口な男」

 「メニューはないが、頼むと何でも出てくる」


 そんな店が本当に存在するのか?


 何度も裏路地を巡ったが、それらしき店は見つからなかった。

 そして、半ば諦めかけた頃――ふと、細い路地を覗いたとき、そこに赤い暖簾のかかった食堂 があった。



 扉を開けると、そこは狭い店だった。


 カウンターが数席、小さなテーブルが二つ。

 壁には何の装飾もなく、メニューも貼られていない。


 店主は、噂通り無口な男だった。

 50代くらいだろうか。寡黙に包丁を研いでいる。


 客は一人もいない。


 僕はカウンターに座り、軽く咳払いをした。

 「何か、食べられますか?」


 店主は何も言わず、うなずいた。


 その仕草は、まるで「客が来るのが当然であるかのような」自然さだった。



 何を出されるのか分からないまま、僕は待った。


 しばらくして、店主は無言で料理を出してきた。


 それは、どこにでもあるような親子丼だった。


 奇をてらったものではない。

 普通の丼に、普通の具材。


 だが――妙に香りが強い。


 腹が減っていた僕は、試しにひと口食べた。


 ――うまい。


 いや、異様なまでに”うまい”。

 それだけでなく、懐かしさすら感じる味 だった。


 どこかで食べたことがある気がする。

 だが、それがいつどこだったのか、思い出せない。



 気づけば、丼は空になっていた。


 「ごちそうさま。」


 僕が礼を言うと、店主は静かにうなずいた。


 その表情を見て、違和感を覚えた。


 どこかで見た顔のような気がする。



 食堂を出ると、妙に静かだった。


 深夜の街だから当然かもしれないが、空気の密度が変わったような違和感 がある。

 少し歩いたところで、ガラスに映る自分の顔を見た。


 ――いや、僕の顔ではない。


 何かが、違う。



 翌日、僕はもう一度あの店を探した。

 だが、どこを探しても見つからなかった。


 店があったはずの路地は、ただの行き止まりになっていた。


 それどころか――


 昨夜、あの店で食事をしたこと自体が、夢だったのではないかとすら思えてきた。



 その後、僕はふと、街を歩く人々の顔を観察するようになった。


 すると、あることに気づいた。


 すれ違う人々の中に、僕と同じ顔をした男がいた。


 ――いや、“僕の顔” ではない。


 昨夜、食堂で見た店主の顔。



 あの店で食事をした者は、どこかの時点で「店主」になるのではないか?


 あるいは――

 「店主の顔になる」のではないか?


 もしそうだとすれば、次に店が現れたとき、そのカウンターの向こうには誰が立っているのだろうか。


 僕はそのことを考えないようにした。


 なぜなら、今でも時折、赤い暖簾が目の端に見える気がするのだから。



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