8 水と食料と
コンビニは照明が消えていた。入り口の扉のガラスが、無惨に割られている。駐車場には車はなく、あたりはしんとして無人だった。
大樹が、まるで戦闘部隊のリーダーみたいに片手を上げて亜澄海と美緒に「待て」の合図を送り、自分が最初にガラスが割れて枠だけになった入り口から、用心深く1歩足を踏み込んだ。
ジャリ。 と割れたガラスを踏む音がする。
「誰かいますか?」
声をかけるが返事はない。
3人とも中に入ったが、他に動くものの気配はなかった。
「誰もいねーな。」
大樹がカウンターの中に入り、バックルームを覗いてから言った。店員はどこに行ったんだろう?
あのガラスは暴徒に襲われたのか、それとも店員自身が感染した挙句にやったことだろうか?
「電気、点かねーよ。元ンところで線が引きちぎられてる。」
大樹が店の方に出てきて言った。
「お客さん、食べ物も飲み物も好きなだけ持ってっていいっスから——。」
カウンターの中で大樹がふざける。
「そ・・・何言ってんの? お母さん、お金・・・どうする?」
「金森クンの言う通りだ。持てるだけ車に積み込もう。」
「え?」
「電気がダメになってるんなら、どのみち冷凍庫も冷蔵庫も中の物全部ダメになるんだ。帰りに東小にも寄って、体育館に差し入れて行こう。この状況じゃ、あそこも支援が来るかどうかわかったもんじゃない。緊急事態なんだ。細かい話は後でやればいい。」
お母さんって・・・、危機に強いタイプだな・・・。
家でもいつも判断が早いと思っていたけど、こういう状況になると、それ、めっちゃ頼もしいよね。会社の仕事でも、こんな感じなんかな。
美緒はそんなことを思いながら、食料品を漁る。体育館に持っていくなら、日持ちのするものもあった方がいいかも——。
美緒自身は自覚していないようだが、彼女もまた母親の血を引いている。そうでなければ、あの通学路で即座に走り出すという判断はできなかったに違いない。香澄の感染に狼狽えて、そのまま感染させられていただろう。
亜澄海の車はワンボックスではないが、軽のわりには車内が広い。見た目よりもそれで亜澄海はこの車種を選んでいた。
荷物が積める——が亜澄海の選択の理由だったが、それがこの場合役に立った。
「金森クン、あんた横幅あるから前に乗ってこの段ボール抱えて。美緒も後ろでダンボール1つ抱えてね。まずは、東小に行くよ。」
東小に着くと亜澄海は駐車場には入らず、校庭に直接行けるスライド門扉の前に車を停めた。
「金森クン。」
運転席から降りるなり、亜澄海は助手席の大樹に言った。
「ダンボール置いてこっちに来て。」
大樹が車から降りて、前を回って亜澄海の隣へ行く。その目は、まるで子どもっぽい。普段、先生も手を焼く反抗的な大樹のそれではなかった。従順に亜澄海の言うことを聞いている。
お母さん、すごい。こんな大樹を見るのは、美緒は初めてだった。
「車の運転のしかた、わかる?」
え? という顔で大樹が亜澄海を見る。
「これがアクセル。これがブレーキ。キーはドアのポケットに入れておくだけでいい。これがエンジン始動ボタン。切る時は、もう1回押せばいい。」
「なんで?」
大樹が不安を隠せない目で亜澄海を見る。
「わたしに万が一のことがあった場合、これで市川先生のところまで行くためだ。美緒を頼む。」
「お母さん!」
「これがシフトレバー。Nの状態でブレーキを踏んでないとエンジンはかからない。前に進むにはDに入れる。バックはRだ。これは横のボタンを押さないと入らない。この機械の基本操作はこれだけだ。」
呆然としている大樹の頭を、亜澄海は小学生にでもするみたいに、ぽんぽん、と叩いた。
「心配するな。万一のためだ。すぐ先生を連れて戻ってくる。この扉開けてもらわないと、搬入がやりづらいからね。」
亜澄海が1m以上ある門扉をひらりと乗り越えるのを大樹は呆然と眺めていたが、やがて、ぼそり、と呟くように言った。
「如月のお母さんって、すげーな。・・・オレ、あんなすげー人初めて見た。」
美緒はこの危機の中で、ちょっとだけ嬉しいという感情を持った自分に気がついた。それは母親を大樹に褒められたからか・・・。それとも、ひょっとして・・・・。
亜澄海は言葉どおり、すぐ先生を1人連れて戻ってきた。先生は手にペンチを持っている。
「カギ、職員室なんだって。」
先生はペンチで鎖を切ると、スライド門扉をガラガラと開けた。
「よし。任務ご苦労! 運転席、交代だ。」
亜澄海が車のドアを開け、大樹の肩をぽんと叩いた。
「車を体育館まで持っていくから、金森クンと美緒は歩きになってくれる? 感染だけは気をつけて。」
もちろん、体育館はすぐそこだから別に問題はない。
大樹と一緒にそこまでを歩きながら、美緒は足元ばかりを見ていた。オレンジ色はいない。
「如月のお母さん、すげーな。」
大樹がまた、それを言った。
「オレ、尊敬できるオトナってのを初めて見た・・・。」
「た・・・大したことないよ。物言いキッツイから、うちじゃケンカばっかり——。金森クンの両親だって、今頃は金森クンのこと心配して何かしてると思うよ。」
「へっ」と大樹が顔をしかめた。
「LINEの返事もよこさねー。」
それは・・・・
感染してしまった——ってことじゃあないのか・・・?
美緒は継ぐべき言葉を失って、また足元だけ見ながら体育館まで歩いた。
体育館の中は暗かった。電気がきていないらしい。電気の線が元のところで引きちぎられて、そこで感染していた教員が1人感電死していたのだという。学校のような大きな施設の場合、一般の住宅とは違って受電は電圧の高い状態でする。
その教員は、それを素手で引きちぎったらしかった。
「使い捨てカイロなんかも持ってきた方がよかったですかね?」
「いえ、それは我々でやります。ここまで気にかけていただいただけで——。」
生徒の数は半分くらいに減っていた。
「残りの生徒の親御さんには、連絡がつかないんですよ。この子たちを、この先どうすればいいのか・・・・。感染した子どもたちも、まだ教室の方にいるようですし・・・」
「警察や市役所に連絡は?」
「市役所はつながりません。110番はつながりましたが、出動できる人員が確保でき次第、ということでして・・・。いまだに、ここには誰も来ません。テレビのニュースでも、状況がわからない。本当に・・・今、私たちも何をしたらいいのか・・・・分からないんです。
飲み物や食べ物は、ありがたかったです。子どもたちの気持ちも、少し紛れる。」
「よかったら・・・」
と亜澄海は言った。
「電話番号を交換しませんか? お互いに知り得た情報を共有できた方がいいと思いますから。中学の理科の先生が実験したところでは、あのオレンジ色はデータ通信に反応して水面に現れるらしいです。電話だと出ないみたいなんで。」
「そうなんですか? この状況では、たしかに・・・そうですね。申し遅れました。私は白藤と言います。」
その男性教員は自分のだけでなく、他3人の教員の電話番号を教えてくれた。
「彼らには、後で私から言っておきますよ。もし、私と連絡がつかなくなった場合・・・」
それの意味するところの恐怖を追い払うように、白藤先生は少しだけ言葉を途切らせてから、真っすぐ亜澄海の目を見て続けた。
「子どもたちを守るためにも、できる限り情報は必要です。」
東小に食料品を3分の2ほど下ろしてから、東中の体育館に寄って市川先生の荷物の中から水質検査のキットを車に積んだ。
学校内は静かだったが、体育館にも校舎にも電気は来ていないようだった。ここも電気の引き込み線が壊されたんだろうか? ここでも感染者の誰かが感電したりしてるんだろうか?
なぜ、こんなに静かなんだろう? 感染した先生や生徒たちは、どうしているんだろう?
疑問は山のようにあったが、確かめようなどという危険は冒すべきではなく、そのまま緑ヶ丘公園を目指すことにした。
「あ、そうだ!」
車に戻る途中、亜澄海が何かを思いついたらしく体育館の方に走って戻った。亜澄海が市川先生の荷物の中から持って戻ってきたのは、ポリタンクだった。
「こういうものに入れるのは危険なんだけどな。」
ポリタンクを後部座席の足元に放り込むと、運転席に座った。
「ガソリンスタンドに寄っていく。無事だといいけど——。」




