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オレンジ色  作者: Aju


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67 生命の尻尾

「生命というものは……地球上に現れてから、40億年……。」

 防衛省の中で生き残ったサイバーセキュリティ班が必死の作業を続ける中、市川はまるで違う話を始めた。稲生と坂本が(いぶか)しげな顔をする。

「決して滅びることなく、生き延びてきました。」


 何の話を始めたのだ? 確かに生物学や生命科学はこいつの専門ではあるが……?

 稲生は、市川の話の出だしが唐突すぎてついてゆけない。


「その間、実に多種多様な生命形態が現れては消えてゆきました。しかし、生命そのものは決して途絶えることはなく、さまざまな環境の激変に耐えて生き延びてきました。

40億年という年月をかけて、進化し、淘汰されてきた生命という現象のアルゴリズムには、生き延びるための十重二十重の仕掛けが組み込まれています。」


「あの……」

と、坂本が質問を挟んだ。

「ここの……防衛省のサーバーで起こっていることの説明ではないんですか?」


「え? ……あの……」

 市川がその質問に少し狼狽(うろた)えた目の色を見せた。


「すみません……。回りくどくて……。でも……、ここから説明しないと……」

「いいんだ、いっちゃん。続けてくれ。いっちゃんのやり方で——。」

 稲生が目で坂本を抑える。坂本もその意味を理解して、聞く姿勢に戻った。


「あ……、それで、生命の生存戦略の最も基本的で最も重要なものは多様化です。多様化することで、どんな環境変化にも必ず生き延びるシステムがあるようにするというものです。もちろん現生人類もそのアルゴリズムの中にあります。

人類がここまで繁栄したのは、社会を作って弱者を守るという性質を持っていたからです。弱者を守れば、遺伝子の多様性が守れます。」


 市川の話は、なかなかサーバーのバグの話と結びつかない。坂本は少しイラついたが、稲生教授が真剣な眼差しで聞いているのを見て、何かを言うのは差し控えることにした。


 稲生教授は、防衛省としても信頼する情報セキュリティの専門家だ。その教授が真剣に聞こうとしているのだから、素人が口を挟むべきではあるまい。

 何にせよ、この異常事態に一応であれ、説明がつくと言うのだから。


 そうだ。中学の教員だというんだから、中学校の授業でも聴くつもりで聞いていればいい。まあ、中学の授業にしては内容は高度だが……。


「多様化し続けて、環境の変化に備える——。そのために『生命』は、そのアルゴリズムの中にある仕掛けを持ちました。それは、1種類の生命種が環境資源を独占してしまわない——という厳然たる掟のようなシステムです。互いに捕食し合う、というシステムもこの中に入ります。喰わない生物は無いし、喰われない生物もありません。『食物連鎖の頂点』という考え方は、科学的には誤りです。」


 まるで大学の生物学の講義だ——と稲生は思う。

 いっちゃんは、何が言いたいんだろう?


「どの生物種も、増えすぎるとその数を減らして他種に環境資源を明け渡すようなシステムを内包しています。それが、大きな意味での生命というシステムです。」


 あ! まさか……!?

 稲生は市川の言わんとすることの片鱗が見えたような気がした。……が、それは、しかし、あまりにも……。

「し……しかし……。サーバーは『生命体』ではない。プログラムコードも……。」


 市川はそんな稲生の反応を見て、にこりと笑った。

「さすがイノちゃ……稲生先生。気がつきましたか。」

 坂本はまだ話についていけていない。


「プログラムは『生命体』ではありませんが、それを組んだニンゲンは生命体です。科学技術はニンゲンの手足の延長です。そのシステムは自然界を真似て作られていて、完全な客観性を持っているように見える数学でさえ、ニンゲンの意識が捉えた『法則』に基づいてニンゲンが構築したものです。」


 市川が稲生の目を見た。稲生は、やや「受け入れ難い」という表情をしている。


「チューリングマシンが出来た時から、このシステムはニンゲンのDNAの中に深く隠された『生命』の掟を咥え込んでしまっているのです。何かが過剰になった時には、それを抑制するアルゴリズムが動き出すように——という……。」


 市川は少し間を開けた。2人が理解しているか、確認するように。

 坂本次官は理解できていなさそうだ。稲生は……、理解を拒絶しようとしている。


「このオレンジ色は、コードウイルスというデジタルコードの感染症は、デジタル技術のごくごく初期段階に、ニンゲン自身の手によって無意識に埋め込まれていた文明抑制のアルゴリズムの可能性があります。」


 稲生は市川の表情を見た。市川は、得意げでも自信なさげでもなく、頭の中をできる限り分かりやすく淡々と説明しようとしているあの表情をしていた。


 学生時代のゼミで、教授の器を超えるとんでもない説を(今では学界でもコンセンサスが得られ始めているが)話し出して教授の不興を買った時の、あの表情だ。

 市川はそのせいで、生物学の成績を最低評価にされた。


「それが、データ通信量が臨界量を超えた時点で一気に顕在化し、ほぼ瞬時に世界中に感染した——そう考えれば、起こったことの概略は説明が付きます。ネットというシステムは、このコードウイルスにとってはこれ以上ない最適な環境だったわけです。」

 市川はもはや坂本次官が理解しているかどうかに頓着していないかのようだった。


「まだ、人間の神経系にどのような仕組みで干渉しているのかは分かりませんが……。そこは、久留原先生の研究成果を待ちましょう。何にしても、この新しい形態のウイルスは、瞬時にして人間の文明の総量を抑制してしまうことに成功したと言えます。」


 近くでサーバーの復活を目指して作業していた技術者3人が、思わず手を止めて市川の方を見た。


「あ……」

 坂本次官が市川を睨み据える。

「あなたは……! 大勢の人が感染して亡くなってさえいるというのに、国家の維持さえおぼつかない状況だというのに! そんな神の目線のようなことを言うのか? それが何の役に立つというのか? 我々は一人ひとり血の通った人間だぞ!? 一人ひとりに人生があるんだぞ! どこから見ているのか!?」


 市川は坂本のその剣幕に、一瞬、遠くを見ていたような表情が途切れ、キョトンとした目を見せた。

 それから、その予想もしていなかった攻撃に顔色を失い、身を縮めて視線を床に落としてしまった。


「ま……まあまあ……、坂本さん。」

 稲生がとりなそうとして割って入るが、稲生自身、この巨視的な視点をまだ受け入れられないでいる。

 しかし……。

 ここで市川の口を封じてしまえば——こんなふうに責めたらこの男は確実に黙ってしまうが——我々は貴重な問題解決の糸口さえ失ってしまうのではないか?


「坂本さんたちだって、防衛のための戦略を立てる時には、一人ひとりの人生のことまでは考えないでしょう? それを守るためにこそ、大きな高空からの視点が必要だと分かってらっしゃるはずじゃないですか。」


 稲生の言葉で、坂本は少し(われ)を取り戻したようだった。


 表情を改め、それから俯いたままの市川の方に体の正面を向けて頭を下げた。

「も……申し訳ありません。……少し、いや……、あまりに巨視的だったので、ついていけなくて……。どうぞ、先生。続けていただけませんか?」


 市川はしばらく俯いたまま無言だったが、やがて、先生に叱られた小学生みたいに、俯いたまま目だけを上げて稲生の顔を覗き見た。

 稲生は、そんな市川に優しい眼差しで微笑み返してやる。


「いっちゃん。オレもまだちゃんとついていけてないけど、続けてくれないか?」



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