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オレンジ色  作者: Aju


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57 お父さん!

 亜澄海は体を二つ折りにしている玲音を穴から少し離れた所に連れてゆき、無言でそっと背中をさすり続けた。

 玲音は声を出さずに体を震わせ続けている。表情は見えない。


「一旦戻ろう。私の軽じゃ乗せる場所がない。市川先生のワンボックスでないと・・・。シートなんかも用意しないと・・・。」

 玲音の息が整ってきた頃に、亜澄海が戸惑いがちに言った。引き上げるには、何かすくい上げるための道具がいるだろう。ウエットスーツみたいなものも・・・。


「立てる?」

 亜澄海が訊くと、玲音はこくっと小さくうなずいて立ち上がった。

 無言のまま、ゆっくりと入口のゲートの方に歩き出す。振り返ろうとすらしない。淡いオレンジ色の光しかない闇の中で、うつむき気味の玲音の表情はよく見えない。

 亜澄海が玲音の背中をそっと押すようにして、歩調を合わせて進む。大樹がその後を無言でついてくる。


 周囲の感染者を警戒しながら車まで戻ると、泉深が心底ほっとしたような顔を見せた。こちらはこちらで緊張しっぱなしだったんだろう。

 亜澄海が助手席のドアを開けて玲音の顔を覗き込むと、玲音は静かな目の中に哀しみの色をたたえていた。

 少し背中を手で押して、乗るように促す。


「迎えに・・・来なくても、いいです・・・。」

 乗り込みながら、玲音は亜澄海の顔を見上げて、か細い声でそう言った。

「え・・・?」

 玲音はそのまま目をそらし、助手席のドアを自分で閉めた。

 亜澄海はちょっと戸惑ったようにそこに立っていたが、ふっと小さく息を吐いて反対側に回り、運転席に乗り込む。

「シートベルト、しなよ。」

 玲音がシートベルトのカチッという音を鳴らすと、泉深が大樹に小さい声で訊いた。

「何かあったの?」

 亜澄海がエンジンをかける音に紛れさせて、大樹が泉深に小声で話した。

「お父さんが現場の水の溜まった穴に落ちて死んでたんだ・・・。」

「・・・・・」

 泉深が思わず玲音の方をみるが、斜め後ろからなので表情は分からない。


「車を、取り替えれば・・・」

 亜澄海がゆっくり車を動かしながら言うと、玲音は意外なほど強い口調で返してきた。

「いいんです! 玲奈はっ・・・知らない方が・・・。まだっ、い・・・生きてかなきゃいけないから・・・! おか・・・お母さんだって・・・」

 後の方は泣き声になって、そこまで言ったあと玲音は言葉を途切らせた。


 知らなければ、いつか会えるかもしれないと、今を生きる力につなげられるだろう。この少年は、妹や母親を思ってそんなふうに考えているのだろうか?

 中学1年生で・・・。全てを、自分1人の胸におさめて・・・?


 亜澄海は黙って車を運転しながら、この少年が独りで抱え込もうとしているものの重さに、かける言葉を見つけられないでいた。

 この先に、平穏な生活があるかどうかすら分からないのだ。


 右に曲がって、東桜蓮駅前の大通りと交わる交差点に差しかかる。駅の方には大勢の人影があった。皆、感染者なのだろう。

 力なく歩いている人影や、ただ突っ立っている人影、座り込んでいる人影・・・。

「通勤に固着しちゃったけど、電車が来ないわけか・・・。」

 大樹のそんなつぶやきに、亜澄海は突然ブレーキを踏んだ。

「・・・!」

 亜澄海は自分がとんでもない間違いをやらかしたかもしれないことに気がついた。


 彼らは、帰宅のために永遠に来ない電車を待ち続けているのだ。きっとホームにもあふれかえって・・・。だとしたら・・・、銀行に残っていた職員に帰るように促した一言は・・・。

 彼らを駅で衰弱死させる(・・・・・・・・)結果につながってしまったのでは・・・?


「あの・・・」

と泉深が遠慮がちな声をあげた。

「ひとつだけ、試してみたいことがあるんですが・・・」

「?」

 亜澄海と大樹が泉深の方を見る。

「あの中に、お父さんがいるかもしれない・・・。電車を待って・・・。」

「どうやって探すんだよ? アネキ、あの中に入ってくつもりなのか?」

「危険なのは分かってる。近づけるだけ近づいて呼んでみる。ひょっとしたら、わたしの声に反応するかもしれない。」

 すがるような目で泉深が亜澄海を見る。

「それだけ・・・。それだけ試させて——。」


 泉深の懇願に、亜澄海は小さくうなずいた。

 もう1日待ったら・・・、もし何も口にしていないとすれば、彼女の父親の年齢では体力がもたないかもしれない。可能性が少しでもあるのなら・・・。

 亜澄海はエンジンを切った。ガソリンは無駄にできない。


「オレも行く。」

 泉深に続いて大樹もドアを開けた。

「あ・・・オフクロ・・・。」

「大丈夫だ。見ててやるから。ドアは閉めてって。」


 慎重に歩いてゆく泉深の後を追って、大樹も歩き出した。

 今のところ、感染者は2人に興味を示さないようだった。

「親父らしいヤツ、いねーな。」

「うん。ホームにいるかもしれない。近づけるだけ近づく。」

「危なくなったら、すぐ逃げんだぞ? アネキ。」

「わたしは空手黒帯だぞ?」


 駅前の階段近くまで来ると、さすがにまわりはオレンジ色の目をした人影ばかりになった。あたりにはまだオレンジ色の水たまりがいくつもある。

 それでも襲いかかってくるような感染者はなかった。疲れた顔をして座っている人影が多い。


「金森宏士さぁん! お子さまが駅入り口でお待ちですよぉ!」

 大樹があたりを警戒しながら声を上げる。周りの人影は誰も反応しない。

「それじゃ、ダメだよ。」

 泉深がクスクス笑う。

「じゃ、どうやって特定すんだよ? こんな大勢の中から。」

「峰平さん=香鈴ちゃんの話、聞いたでしょ? ここにいればわたしの声には反応するよ、きっと。わたし、お父さんっ子だったから。こう呼ぶの——。」

 そう言って笑うと、泉深は大きく息を吸い込んでから両手でメガホンを作って叫んだ。

「お父さぁん! 泉深だよぉ!」

 目を期待に輝かせて、駅の入り口を見る。


 が、次の瞬間。

 その期待の輝きは恐怖の色に変わった。


 あたりの感染者が一斉に反応し、ざわっ、とこちらを見たのだ。反応したのは男性ばかりである。


 しまった! ここにいる大半は、「お父さん」だ・・・。


 オレンジ色の目をした「お父さん」たちがゆっくりと立ち上がり、立っていた者はこちらに向かって歩き始めた。

「ヤバい! 逃げろ、アネキ!」

 2人はゾンビのように動き出した感染者たちから逃げて、車の方に向かって走り出した。スピードでは追いつかれるはずはない。

 しかし泉深はまだ諦められないのか、ときどき後ろを振り返り、後ろ向きの格好で走っている。

「何やってんだ、アネキ!」

「分かってるよ!」


 が、大樹の懸念が現実になった。

 泉深は何かにつまずいてバランスを崩した。

 倒れてこときれた感染者だった。ダークな色のスーツを着ていたので、見えにくかったのだ。


 バシャッと水たまりに手のひらが突っ込む音が聞こえ、オレンジ色が飛び散った。

「アネキぃ!」




ついに、アメブロに追いついちゃいました。(笑)


というわけで、ここから先は少し間の空く不定期投稿になります。

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