53 人類の抗い
「これを1つ、峰平さんの家に持っていって実験してみましょう。うまく通話できたら、もっと作って竹田くんや松村さんの所にも持っていきましょう。スーパーの古津店長の所にも——。まだ人間は負けません。」
そう言って市川先生は、手作りのアナログ通信機を段ボール箱に入れて立ち上がった。
「これからですか?」
と美緒が訊く。
「これからです。わずか5日でこの状況です。早い方がいい。」
「わたしが行きます。」
悠が手を挙げた。
「先生のワンボックスは人が大勢乗れます。何かあった時、ここのみんなを連れて避難するには先生が残っていた方がいいでしょ?」
「通信機の説明できますか?」
「あ……いえ……。」
「じゃあ、こうしましょう。私が平田さんの車を借りて行く。それでどうですか? ワンボックスの運転はできます?」
「ええ……、たぶん……。」
「じゃあ、鍵、取り替えっこ。」
市川先生。なんだか子ども相手の話し方になってますよ……?
「先生、わたしもついて行っていいですか? 沙緒里や香鈴の顔も見たいし……。」
美緒はまださっきの夢を引きずっている。
「やっほぉー!」
門のインターホンを押すと、すぐドアが開いて香鈴が飛び出してきた。
「ひっさしぶりぃ——!」
香鈴が飛びつくようにして美緒に抱きついた。
本当に——。久しぶりな気がする。沙緒里が家族と一緒にここに来て、美緒たちが市川先生のところに戻ってからまだ3日目なのに、まるでそれがずっと遠い過去のように美緒には感じられた。
自衛隊に拉致られて、市川先生が官邸まで行って、佑美が感染してしまって……。
いろんなことがあり過ぎた。
「佑美、感染したんだって?」
「うん。お母さんの方に行っちゃった……。」
「どうしてる? 元気? その……体は……」
「うん。それは大丈夫。相変わらずお母さんに抱っこされてるよ。」
美緒がちょっと哀しそうに微笑む。
「そっちの家族は?」
「相変わらず。でも、昨日はヤバかったよ。わたしや沙緒里たちを雨の中に引きずり出そうとするんだ。」
「お兄さんが?」
「家族3人ともだよ。『感染拡大行動』ってやつ? 沙緒里のお父さんが頑張ってくれて、4人で押さえつけて4人でガムテープで椅子に縛り付けたんだよ?」
香鈴は少し肩をすくめるようにして、面白いことでも話すような表情をして見せる。でもその目は、美緒にはちょっと泣き出しそうな目に見えた。
玄関から沙緒里が出てきて手を振った。
「美緒! 市川先生! なんか、久しぶりです!」
「中に入りましょう。」
両手でダンボール箱を抱えた市川先生が、美緒と香鈴を促す。
「足下、気をつけて。まだ水たまりのあるとこがあるから——。」
玄関までの短いアプローチのタイルの上には水たまりはなかったが、少し足を踏み外せばオレンジ色のひしめく水たまりに足を突っ込んでしまわないとも限らない。
美緒がそのオレンジ色の水たまりの傍にしゃがんで、手に持っていたペットボトルのキャップを開けた。中には何か黒っぽい液体が入っている。
それを水たまりに振りかけるように撒くと、ひしめいていたオレンジ色が、さぁーっと消えていった。
「何、それ?」
「市川ラボ特製、魔法の水!」
美緒がにっと笑って香鈴を振り返る。
「ええ!? せ……先生、そんなものまで開発したの?」
「ただの絵の具を溶いた水ですよ。」
先生が段ボールを抱えたまま笑った。
玄関に入ると杉村夫妻(沙緒里の両親)が出迎えに来ていた。
「娘たちがお世話になってます。」
丁寧にお辞儀をされる。
「とんでもない。杉村さんたちこそ、頑張っていただいて……。」
段ボールを持っているので、市川先生は首だけを前に出すみたいなお辞儀をした。
家の中では香鈴の両親がダイニングテーブルの椅子に座っていた。もう縛られてはいない。
お父さんは5日前の新聞を開いていて、お母さんは何も映っていないテレビをじっと眺めていた。
「お兄さんは?」
「ばかアニキはまたゲーム。何にも映ってない割れたモニターに向かって、コントローラー持ってボーッと座ってるわ。あいつ、ゲーム以外頭ン中にねーのかよ? っての。」
「アナログ通信機を持ってきました。どこに置いたらいいですかねぇ? コンセントの近くがいいんですが。」
「このサイドボードの上でどうでしょう? ダイニングテーブルだと、何かの拍子に引っ掛けて落とすといけませんし。コンセントもここにありますから。」
沙緒里の父親の吉朗さんが、リビングダイニングの壁際に置かれた低いサイドボードの上のスタンドを退けて片手で指し示した。
市川先生は段ボールをテーブルの上に置いて中から自作の通信機を取り出すと、それを大事そうにサイドボードの上に乗せてすぐ脇のコンセントに電源用のプラグを差した。
それから椅子に乗って長いアンテナ線を、壁の天井ギリギリのところに画鋲で留めて広げてゆく。
天井付近にT字型にアンテナ線が張り巡らされた。
「超短波を使ってますが、アンテナも短く出力は弱いのであまり遠くには届きません。不安定で聞き取りにくいかもしれませんが、デジタルのデータ通信ではないのであれは出ないはずです。」
椅子をダイニングテーブルの方に戻してから、先生は吉朗さんに使い方の説明を始めた。
「このダイヤルで周波数を合わせますが、これは触らないでください。私の家に置いてあるものと合わせてありますので。戻ったら実験的に通信してみます。これがマイクで、これがスピーカーです。話すときはこのボタンを押して、1つ話が終わったら『どうぞ』とか『オーバー』とか言ってボタンを放してください。」
美緒が見ても何が何だか分からないごちゃごちゃした線がいっぱいあり、銅線をぐるぐる巻いたコイルやら昭和のラジオの中身みたいな見たこともない部品がぎっしりと板の上に配置してある。
マイクとスピーカーは美緒にも分かった。
すごいな、先生。こんな物も作れるんだ——。生物が専門の理科の先生だとばかり思ってたけど……
「なんだか先生って、アガサ博士みたい。」
美緒が沙緒里に嬉しそうにそう言うと、市川先生は怪訝な顔をした。
「どういう方ですか? その人は……。」
そっか。
市川先生、アニメは全く見ないのか……。(^^;)




