35 自衛隊
さほど待つこともなく、市川先生は長靴を持ってにこにこしながら出てきた。その後ろに、やはり長靴を履いた40代くらいの女性がついてくる。
「金森くん、店員さんたちいましたよ。タダにしてもらっちゃった。」
嬉しそうに長靴を掲げて見せる。
大樹が怪訝な顔をしていると、背後の女性がにこにこしながら話しかけてきた。
「あなたが金森くんですか? 初めまして。わたしは、ここの店長の古津です。来てもらって助かりました。こんな簡単に出入りできるなんて……」
話を途中で遮って、市川先生が大樹に説明する。
「中には感染していない人たちが何人も残っていましたよ。1階の床にあれが発生しちゃったんで、出られなくなっちゃったみたいです。とりあえず、あれに直接触れなければ大丈夫なことと、水面がなければ発生しないことを説明して、それぞれ1階に下りる時には防水性のある靴を履いてもらうことにしました。」
「とにかく、中に入ってください。みんな2階にいますので、もう少し詳しい説明をお願いしたいです。」
そう言って古津店長は大樹を手招きした。
「行きましょう。感染者もたくさんいますから、彼らに対するケアも教えてあげないと。」
店長がぺこりと頭を下げた。
「食料は、あなたたちが必要なだけ持っていってください。非常時ですから、わたしの責任で許可しますから。」
「それは、ありがたいです。」
「なあ、おば……店長。水を止める元栓はどこにあるか、分かる?」
大樹が長靴に履き替えながら聞く。
「水を止めれば、出入りはうんとしやすくなる。」
古津店長はふり返って、情けなさそうな顔をした。
「ごめんなさいね。それ、さっきも聞かれたけど、分かる人がいないの。警備に聞けば分かると思うんだけど、警備員さん、みんな感染しちゃってて……」
「警備室の近くにあるよな? きっと……。」
「ああ、そうですね!」
と市川先生が明るい声を出したが、古津店長は少し眉根を寄せて考え込む表情をした。
「それは……、いいかどうか……」
「この状態だから、ある意味、無秩序な略奪から免れているのかもしれません。この先、必要な方たちに支援をするとしても、このままの方が管理はしやすいかもしれません。」
大樹は「なるほど」と思った。店長になるくらいの人は、物事を単純に見てるわけじゃないんだな——。
この2〜3日のうちに、大樹は「大人」というものの能力を再認識し始めていた。
年をとってるだけで、くだらないヤツばかりだ。そんな気分で少しタカをくくってたし、実際そういうヤツも多い。だけど、如月のおばさんや、この店長みたいに……あ、市川先生もか——頼りになる大人ってのもけっこういるんだな——。
こういうふうになってくると、肩書きじゃない大人の力ってもんが、浮き上がって見えてくる。
市川先生が店内に残っていた(閉じ込められていた)人たちに、ここまでに分かっている対処方法を説明している時に、スマホに電話が入った。
亜澄海からだった。
「もしもし、ああ、如月さん。そちらはどう……、え? 自衛隊? あ、スピーカー? ここには他にも感染してない人が20人くらいいるんですけど、金森くんだけじゃなくて。いいですか? はい。」
市川先生はスマホの通話をスピーカーにして、カウンターの上に置いた。
「そこは学校ですか?」
亜澄海の声が市川先生のスマホから聞こえた。
「いえ、スーパーの2階です。1階の床が水浸しにされたので、出られなくなった人たちがそのまま残ってたんです。金森くんにも無料で長靴をもらいました。」
無料のところに力が入っている。そこが嬉しいらしい。
「そうですか。こちらは自衛隊に車を止められました。今、先生の家に戻る途中です。」
「災害救援が動き出したんですか?」
市川先生が明るい声を出したが、亜澄海の返事は暗かった。
「どうも、そうじゃなさそうです。はっきりしないんですけど、治安出動みたいです。」
少し、沈黙があった。
「治安出動——って……、暴徒化した人たちがいたんですか?」
古津店長が少し怯えたような表情を見せて聞いた。それに、亜澄海が少し怒ったような声で答える。
「いませんよ、そんなもの。昨日も私たちは走ってるんですから。彼らは銃を持っていました。はっきりとは言いませんでしたが、彼らは感染者を『敵』とみなしているように見えました。」
「そんな! 『敵』だなんて! 彼らは基本的には危険ではなく、むしろ介護を必要としているのは如月さんも知ってるじゃありませんか。ちゃんと説明したんですか?」
市川先生の言葉に亜澄海が返した返事は、大樹には衝撃だった。
「そんなことをしたら、わたしたちが拘束されそうな雰囲気でした。おとなしく指示に従ったふりをして車をUターンさせたんですが、だからこそ、この情報は早く耳に入れておかなければ、と思って——。わたしたちは……感染者と一緒にいるから。」
「おい! そいつら感染者を撃ってるのか?」
大樹がスマホに向かって叫ぶように言った。
「金森クンか。そこまではやってなさそうだが、『捕獲して収容している』とは言っていた。『捕獲』だ。人に対して使う言葉じゃない。誰の命令かも、どういう法的根拠かも分からない。とにかく……
感染者の面倒をみてるなんて知られたら、どんな扱いを受けるか分からない怖さがある。このあと、平田さんにも連絡入れて……急いで帰りますから、善後策を考えましょう。超法規的に動いている武装集団なんて、何をやるか分かったもんじゃない。」
亜澄海からの電話が切れても、しばらくその場はしんとしていた。
「皆さんの中にも……」
と、市川先生が目を泳がせながら、少しかすれた声を出した。
「身内が感染した方がいると思います。……さっき説明したように、介護しなければ食事も摂らずに衰弱してしまうかもしれませんが……」
先生は、涸れた唾を飲み込むように喉を動かした。
「自衛隊が、そんな意識で動き出したとすれば……どうすれば……?」
「本当に……自衛隊は、感染者を『敵』とみなしてるんでしょうか……?」
古津店長はまだ信じたくない、といった顔つきで聞いてきた。聞いたところで、ここにいる誰も答えられるはずはないのだが。
「でなきゃ、銃なんか持ってるはずねーだろ。救助に来るのに銃は必要ねー。」
大樹がイラつきながら言う。
「私は実際に感染者を『敵』とみなす人に会いました。感染させようとする、というその一点に意識が固定してしまって、他の話に耳を貸そうとしないんです。」
市川先生が昨日の戸追市での出来事を思い出しながら言った。
「その時は消防士の方が毅然と対応してくださったので、事なきを得ましたが……。相手が軍隊となると……」
「やべーに決まってんじゃん。隠れた方がいい。」




