31 デイサービス
平田悠の勤めるホームは、明かりが点いていた。
「誰かいる・・・?」
玲音の問いに、悠は
「電気消してるような余裕がなかったから。」
と答えた。
「ずっと、点きっぱなし——。たぶん・・・。」
そうか、昼間は明るかったから気が付かなかっただけか。オレンジ色がいっぱいいることで、動転もしてたし・・・。
今もオレンジ色は流れ出る水の上を走り回っている。あたりが暗くなった分、それらの光が浮き上がっていよいよ気持ち悪い。
道路との境目に水道メーター(そのBOXの中に元栓がある)はあったが、問題はその上まで建物から流れ出る水が来ていたことだった。
フタが開けられない。
「どうしよう? ゴム手なんて持ってこなかった・・・。」
「いったん戻る?」
そんな母子の会話に、木田誠が静かに割って入った。
「看板、壊していいですか?」
「え?」
と悠が困惑する。
会社の財産に対して、悠には「いい」も「悪い」も言う権限はない。
「水を堰き止めるのに、何か平たいものが欲しいです。」
「あ・・・でも・・・」
あたりを見回しても他に役に立ちそうな物はない。
「かまいません、木田先輩。非常事態ですから。入所者を助けるためですから。何か言われたら僕が責任取ります。」
玲音の言葉に誠は軽く無言でうなずいて、すっと身構えると、足で玄関脇の電光看板の板面を蹴った。
ばん! と大きな音がしてアクリルにヒビが入り、板面が中にめり込んだ。押さえの金具も曲がった。
その隙間に手を突っ込んで、一気に手前に引く。バリッ、とアクリルが不規則に割れて外れた。
誠が端の真っ直ぐな部分をアスファルトの上に当てて水を堰き止めると、メーターBOXの上からオレンジ色が消えた。
玲音がBOXのフタを開けて元栓を閉める。BOX中にも水が溜まっていたが、泥水のためかオレンジ色はいない。
しばらくすると、玄関から流れ出る水が少なくなってきた。ポーチや内部の床のオレンジ色の数が減ってゆく。
「よし。入れそうだ。」
悠は、彼らの果断な行動をただ見ていただけになった。大人の悠より、はるかに頼りになるではないか。
子どもだ、子どもだ、と思っていたら、いつの間に・・・。
しかし悠が驚くことは、それだけでは済まなかった。
室内にはまだ床にいくつも水たまりが残り、そこにオレンジ色が走り回っている。それらを慎重に避けながら中へと進む。
倒れていた1人の利用者の首に誠が手を当てて、表情を曇らせて小さく首を横に振る。
悠の胸が、ずきん、と痛んだ。
食堂に行くと、ほとんどの利用者が椅子に座っていた。彼らは皆、オレンジ色の目をしてただじっと座っているだけだ。
視線を追うと、砂嵐になったテレビを眺めている。テーブルに2日前の新聞を開いているお爺さんもいた。
誰も入ってきた悠たちに関心を示さない。
妙な臭いがするのは、オムツを替えていない人がいるからだろう。
玲音が自販機の前に行き、ジュースを買う。フタを開けて、まだオレンジ色が走り回っている水たまりにそれを流してゆく。
ジュースの流された水たまりからは、オレンジ色が消えた。
この子は、この変なものの弱点を知っているの?
悠が不思議そうな顔をしていると、玲音がちょっと笑顔を見せて説明した。
「市川先生の実験で分かったんだ。このオレンジ色の何かは、きれいな水の『水面』にしか現れない。ジュースや牛乳で水を『汚す』と消えちゃうんだよ。」
とりあえずテーブルの上に持ってきた食品を置いてみると、手づかみとはいえ、皆ちゃんと食べたし、ほとんどの人はトイレにも自分で行くようだった。
支配人と職員の1人が感染して、事務室の椅子に座っていた。仮眠室も使った形跡があった。汚物臭がしないところをみると、トイレにも自分で行けているようだった。
ただ、トイレの汚れ方はひどいもので、ちゃんと始末はできていないようである。
とりあえず日常のルーティーンの『行動』はとるが、意味のある作業や仕事はできず、能動性も事態に対する対応力も全く欠いている。
これが・・・、感染者の症状・・・?
とりあえず、皆が『食事』をするのを見届けてから、オムツを替えなければならない人のオムツを替えた。
トイレを掃除し、床にモップをかけ、ルーターの電源を抜いて電波によるオレンジ色の発生リスクを最小限にする。替えの紙オムツやゴム手袋は、施設の備え付けのものを使った。
「ナイトサービスだね。」
と玲音が笑うと、悠も泣きそうな笑顔を見せた。
問題は、廊下で亡くなっていた人。
このままにするわけにもいかないが、警察も消防も連絡がつかない。もちろん、親族にも連絡がつかない。
このままでは、腐敗が始まってしまう・・・。




