23 誰かは誰かのために
「金森クン、ありがとう。」
香鈴がひどく素直な表情で言ったとき、大樹は耳を赤く染めた。
「いや・・・オレ・・・」
「わたし・・・、ここに残る。」
香鈴のその言葉を聞いて、皆「えっ?」という顔をした。1人で? 感染者3人の中に?
「みんなのご飯、食べさせなきゃ・・・。」
「わたしも残るよ。1人じゃ対応できないことだって出てくると思う。」
美緒がそう言うと、亜澄海が眉をひそめた。
「わたしも残ろう。大人が1人いた方がいいだろう? だいたい、ひとり娘を置いて・・・」
そこまで言いかかって、亜澄海は香鈴と大樹のことを思って口をつぐんだ。そこに大樹が言葉を挟んだ。
「おばさんは、機動力としても、市川先生の相談役としても、あっちに必要だよ。オレが残ろう。2人っきりじゃねーから、いいだろ?」
それは、頼もしいかもしれない——。と、美緒も思い始めている。さっきの大樹は、カッコよかった。
亜澄海は、ふっと小さく息を吐いて、何か少し諦めたような表情を見せてから言った。
「2人を頼んでいいか、金森クン?」
大樹は親指を立てて笑った。
「任せておけって。なんかあったら、オレが盾になって2人を逃すから。オレは、大丈夫だからよ。」
鼻血を引きずった顔でそんなふうに言う大樹を、美緒は少し推しの俳優でも見るような目で眺めている。
チクショー。こいつ、カッコいいなぁ・・・。
戻る前に情報共有として亜澄海が市川先生に事の顛末を整理して話すと、市川先生はその情報を筑波大の稲生教授と岐大病院の久留原先生にも伝えると言った。
「1つに固着したままになるのではなく、1つずつにしろ意識が移るというのは大事な発見であり、情報です。」
その間に美緒は、沙緒里や他の帰宅組と最新情報の共有を図るべくメールを送る。データ量が増えないよう、文字だけの短い文にしてある。
すぐに沙緒里から、詳しいことが聞きたいと電話がきた。
結局、沙緒里が両親とともに香鈴の家に移ってきて食事の面倒をみる、ということになって、美緒と大樹は亜澄海と一緒に市原先生のところに帰ることになった。
市川先生の家は、さながら合宿所&情報拠点のようになってきた。
親と連絡がつかない子どもたちが身を寄せる場所として、先生は家の部屋の全てを提供してくれている。
亜澄海と美緒が遠慮して自宅に戻ろうとすると、先生はそれを止めた。
「大人が1人はいてくれると助かりますから、よければこのまま・・・。それに久しぶりに賑やかなのは、私にはありがたい。」
寝具などは、それぞれの家から持ってきた。
ここまでに分かった情報をNETにも流した。
感染者は自分で食事を摂ることも難しく、介護が必要なこと。意識は1つのことに固着しやすいが、それはずっとそのままというわけではなく何かのきっかけで別のことに移動する可能性があること。データ通信の基地局からはできる限り離れた方がいいこと。水を扱うときはwi-fi 環境は切った方がいいこと。・・・などなど。
デマも飛び交う中、どのくらいの人が役立ててくれるか分からないが、それでも何もしないよりはいいだろうと、そこにいる全員のスマホと市川先生のパソコンで「拡散」もやった。
久留原先生からも新しい情報が入った。
感染した助手の脳をさまざまな形の検査にかけた結果、脳細胞やシナプスの数が減っているわけではなく、神経細胞間の伝達が阻害されてるらしいことが分かってきたということだった。
自律神経の働きや動物的本能にあたる部分にはあまり影響がなく、一方で思考力は著しく低下し、感情や運動能力も低下すると同時にそのコントロール力も低下するらしい、とも言っていた。
現時点では治療方法の緒すらつかめていない、とスピーカーにしたスマホから久留原先生の悔しそうな声が聞こえた。
「介護する人がいないと・・・、感染した人は、餓死しちゃうのかな・・・」
巫女内涼太が小さな声で、そんなことをつぶやいた。
「子どもたちが心配だ。中学校も見に行った方がいいかな・・・。」
亜澄海がつぶやくと、玲音が立ち上がった。
「僕、両親の会社に行ってきます。昨日から会社にいるままだとしたら、たぶん何も食べてない。」
そう言って妹の手を引っ張った。
「一緒に行くだろ?」
「場所、分かるの?」
亜澄海の問いに、玲音はスマホを掲げて見せた。
「すみません。会社名で検索して調べました。自転車で行けなくはない距離ですから。」
謝ったのは時間外に私的にスマホを使ったことだ。
「車、出すよ。玲奈ちゃん後ろに乗っけて走るつもりなの?」
「私が出しましょう。巫女内くんも金森くんも木田くんも、心配なのは皆同じでしょ。私の車なら全員乗れる。中学校も見てきたいし。『通学』に固着しちゃった生徒がどのくらいいるのか、彼らの食事のことも何か打てる手を考えないといけませんしね。如月さんは少し休んでてください。」
市川先生が、何か決意を固めたような表情でそんなふうに言った。
「オレはチャリでも行けるぜ。」
「大樹、あんた場所分かってんの?」
「そ、それは、アネキが分かって・・・んだろ?」
泉深が露骨にバカにした表情を見せた。
「市川先生、わたし連れてってください。場所分かってますんで——。護衛にもなります。あ、木田クンもいるか・・・。」
「それじゃあ、泉深さん一緒に来てください。このところ如月さんや大樹くんにばかり『行動』を任せちゃってましたから、少しは私も行動しないとね。
みんなの家族を探しに一回りしてきますよ。ついでに事故車からガソリンも盗ってこようと思います。留守番、お願いします。」
市川先生は、指に引っ掛けた車のキーをくるっと回して見せた。
あの市川先生が自分からコトを引き受けようとする姿は、隠れファンの美緒にとっても新鮮なことだった。
昨日の朝から酷いことの連続だけど、悪いことばかりじゃない。いろんな人の、これまで見えてなかった「すごいところ」も表に出て見えてきている。
大人がこんなに頼りになるって思ったのも初めてだし、大樹がこんなにカッコいいって思ったのも、香鈴があんなに一途だって知ったのも初めてだった。
そんなふうに思っている美緒自身、この2日間に亜澄海が驚くほどの成長を見せている。




