18 日常と非日常
「出かけるにしても・・・」
と市川先生が、少し困った声で言った。
「佑美ちゃんとお母さんはどうしましょう?」
学校や街の様子を探りに行ったり、コンビニに寄ったりするにしても、全員で動くとすれば2人だけ置いておくわけにはいかないから、連れてゆくことになる。
問題は、街中の刺激や状況に対して陽南さんがどういう反応を起こすか分からないことだ。
「先生はここに残ってください。わたしと美緒で見てきます。もし確認してほしいことがあったら、美緒のスマホに連絡ください。なんなら動画も送ります。水の近くで受け取らないようにだけ気をつけてください。」
亜澄海が言って立ち上がった。
「ああ、そうだ。金森クンもよかったら来てくれる? 護衛として。」
「おう。」
大樹が勢い込んで立ち上がった。
「わたしが行ってもいいですよ。生理用品とか手に入れてくるんでしょ?」
泉深が、ちらと横目で大樹を見る。
「せ・・・・」
「泉深さんはここにいてほしいの。みんなも佑美ちゃんのお母さんもいるから——。ぶん殴る以外の対処能力がいろいろ要るかもしれないから。」
亜澄海がちょっと泉深に目配せして見せる。
「オレだって、ぶん殴るだけじゃねーぞ?」
「ごめん、ごめん。言葉のあやだってば。頼りにしてるよ。」
そう言って亜澄海が破顔する。
まずは財田佑美の家に行ってみることにした。出る前に佑美に手回し発電機や防災袋の場所を聞いておいたし、受電設備がどうなっているかも確かめたかったのだ。
はたして、感染すると皆受電設備を壊そうとするのか? それとも、たまたま学校やコンビニの感染者がそうだっただけなのか?
カギは昨日佑美が玄関ドアに差し込んだままになっていた。
「やっぱりここにあったんだ。」
「用心悪いね。」
と美緒が言うと、
「普通の家には誰も入らないだろ、この状況の中じゃ。」
と大樹が答えた。
たしかにそうだ。まともに理性があれば、感染者がいるかもしれない住宅の中に夜中入ろうとは思うまい。
「カギは持って帰ってあげよう。」
家の中は、何も荒らされてはいなかった。スイッチを入れると明かりも点いた。冷蔵庫も動いている。目的の発電機も防災袋もすぐ見つかった。
「うちのと佑美ちゃんの家の冷蔵庫の中のものだけでも、食料しばらくは保つな。」
と亜澄海が言う。
「うちのも使えるぜ。親忙しいから、冷凍食品いつもいっぱいあるからよ。」
大樹はそう言ってから、ふと誰に言うともなくつぶやいた。
「あいつのお袋さんは、電気も点けずにあいつのこと待ってたんだな・・・。」
美緒はまた涙腺が緩みそうになった。
玄関に鍵をかけて佑美の家を離れ、学校の方に向かってみる。
通学路と交差する生活道路上で、亜澄海が急ブレーキをかけた。
「え?」
通学している中学生がいる!
大樹がドアを開けて飛び出した。
「おい! 勇祐!」
見知った顔がいたらしい。呼びかけたが、誰も反応しない。全員が引きずるような足取りで、黙々と中学校に向かって歩いている。
大樹は追いかけて、彼らの前に回り、そのままちょっと立ちすくむような仕草を見せてから、諦め顔で車の方に戻ってきた。
「目がオレンジ色だった・・・。感染してる。」
交差点の反対側から、ランドセルを背負った小学生が2人歩いてくるのが見えた。やはり目がオレンジ色に光っている。
「通学してるのか・・・。市川先生が言ったように・・・。」
亜澄海がハンドルを握りしめたまま、呆然とした表情で呟いた。
日常の1つの行動に固着してしまう——。これが、それなのか・・・。
この子たちの家は、どうなっているんだろう? 親は? 親も感染しているのか? それとも、親はいないのか? 親がいなくても、この子たちは固着した日常に沿って通学しているのか?
「ご飯ちゃんと食べてるんだろうか? 学校で給食なんか出るわけないよね・・・? あの子たち、みんな衰弱してしまうんじゃ・・・。
どうすればいいんだ? こんな時・・・。大人は・・・・?」
美緒は亜澄海のこんな弱音のような声を初めて聞いた。
「おばさん。」
と大樹が亜澄海に声をかけた。
「とりあえず、必要な物を集めて、いったん市川先生のところに戻ろう。全員は助けられない。まずはあそこにいる人が生き延びることを考えよう。」
「そうだよ、お母さん。いったん戻って、どうやって感染した子どもたちにも食事を届けられるか、みんなで考えてみようよ。」
亜澄海は顔を上げて無理やりな笑顔を作った。
「そうだな。あんたたちの言うとおりだ。」
それから美緒の顔をちらりと見て、少し口の端を上げて車のエンジンをかけた。
「中学生にもなると、ずいぶんしっかりしてくるものなんだな——。」
美緒は通学中の生徒たちの動画を撮り、市川先生に送った。
コンビニには相変わらず店員はいなかった。ガラスの割れた入り口から中に入ってみると、昨日よりも品物がなくなっている。特に食料品と飲料と酒類は、ことごとくなくなっていた。
「ありがたい。生理用品はまだあった。」
亜澄海がそう言って、くすりと笑う。
「歯ブラシやティッシュや化粧品もまだあるな。トイレットペーパーなんかはスーパーでないと無いか。スーパー開店くかな?」
「開店いてなかったら『略奪』しよう。」
大樹がこともなげに言う。
「ここは!・・・ガラス割れてて、誰もいなかったから仕方なくだけど——。鍵かかって開店してないスーパーに盗みに入ったら、間違いなく警察くるよ?」
美緒が言うと大樹はにっと笑った。
「警察、まだ機能してるかな? 試しに110番してみようか。今泥棒やってます、って。」
「やめてよね!」
あはは、と大樹が笑う。こいつ、どこまで本気でどこまでが冗談なんだろう?
荷物を積んで中学校を見に行こうとした時、市川先生から亜澄海のスマホに電話が入った。
市川先生はひどく慌てた様子で
「峰平さんが・・・」
と言った。
「助けを求めてきました。家族が感染したようです!」
「住所は?」
亜澄海が聞きながらカーナビに打ち込む。
タイヤを軋ませて車は発進した。
香鈴の家に行くまでに5分とかからなかったが、外に香鈴の姿は見えない。玄関前に高校生くらいの男子がいる。香鈴のお兄さんだろうか。
目をオレンジ色に光らせて、ホースで水を撒いている。そこら中の地面にオレンジ色が走り回っていた。
「峰平!」
大樹が車から降りようとするのを、亜澄海が止めた。
「だめだ! 出るな! 危険すぎる!」
また亜澄海のスマホが着信音を鳴らした。市川先生だ。
「峰平さん、今こっちに向かってるそうです。家族が全員感染したそうで、あの子も水をかけられてびしょ濡れみたいです。」
「香鈴ちゃんは無事なんですね? 途中で拾います。」
車が急発進して向きを変える。
「あっ。」
大樹が窓から空を見上げて声を上げた。
「あいつの家、すぐ隣のビルに基地局がある。」




