17 2日目の朝
翌朝は雀が鳴き出す頃に、皆目を覚ましてしまった。
1年生の玲音と小学生の玲奈兄妹に2階のベッドを使わせ、あとは雑魚寝だったこともあるのかもしれないが、この不安な状況の中で誰も深く眠れなかったようだった。
それでも、日の出前の少し冷んやりした空気は、今日は邪が少し退いていい展開があるかもしれない——と、あえかな希望を皆の胸に抱かせた。
「テレビは?」
と亜澄海がリモコンを操作してみるが、どの局もテロップだけでニュースキャスターすら映っていなかった。2つのチャンネルに至っては砂嵐である。
わずか1日でテレビ局まで機能しなくなるほど、感染は爆発的な勢いで拡がったのだろうか。
美緒がスマホで情報を検索してみると、テレビ局が死んだ——という投稿があふれていた。ただし、静止画のテロップは時々更新されて新しい情報を伝えているようだったし、地方局の一部はまだキャスターも出て放送を続けているようだった。
情報自体が錯綜しているのは、昨日の夜とあまり変わりない。全体像は相変わらず掴めない状態だったが、感染が地方にまで爆発的に拡がっているのは確かなようだった。
そういう中で、発信される情報の中に「脳がやられるらしい」とか「感染させようとする以外、あまり能動的な動きをしない」といった、美緒たちが把握した内容と重なるものがいくつか出てきていた。
「わたしたちも発信しよう。今、分かっていることだけでも。」
亜澄海が美緒に手を差し出した。こういうの簡潔にまとめるのは、お母さんがたぶん一番上手い。美緒はスマホを渡す。今は美緒のスマホを使う時間帯なのだ。
佑美の母親の陽南は、皆が起きてもまだずっと眠ったままでいる。
すうすうと静かに寝息を立てているので、特に体に問題があるというわけではなさそうだったが、佑美は少し心配そうな表情で陽南の顔を見ていた。
陽南は相変わらず佑美の肩に手を回したままだったし、佑美もそれを解こうとはしなかった。
空に青さが戻ってきた頃、陽南が目を覚ました。やや眠そうにゆっくりと瞼を上げる。
その瞳は虹彩が緩み切っていて、瞳孔は大きく開いている。瞳孔の中がぼんやりとオレンジ色に光っていた。これがどうやら、目がオレンジ色に光って見える原因のようだった。
光っているのは表面ではなく、眼球の中であるらしい。瞳孔が大きく開いてしまうことで、瞳が光っているように見える、ということらしい。
陽南の場合、目覚めたばかりの今はその光が弱く、表情は穏やかに見えた。
「おはよう、お母さん。」
佑美が話しかけると、陽南はゆっくりだが言葉を返した。
「おはヨう、ゆみチゃん・・・。」
昨日より少し発音がなめらかなようだ。
「何か、食べますか?」
市川先生が話しかけてみたが、反応はない。
「みんなも何か食べない? 昨日のコンビニの食料、まだあるよ。」
亜澄海が言って、食料の入った袋をテーブルに乗せた。飲み物は冷蔵庫に入っているし、冷凍庫には冷凍食品もある。
「歯、磨きたい・・・。」
香鈴が寝不足の顔で言う。
「あ、旅行用の使い捨てセットが洗面所の戸棚にいくつかあるから。全員分は数が足りないと思うけど・・・。」
市川先生がみんなにそう言うと、亜澄海がぼやくように独りごちた。
「そうだ。歯磨きやティッシュなんかの日用品も『略奪』してくるべきだったな。生理用品も——。」
玲音が表情に困った顔をしたが、これは女子にとっては大事な問題なのだ。
「今日学校の様子を見に行くついでに、また寄っていこう。いろいろ残ってるといいけど・・・。」
それから美緒の「また盗ってくるの?」と言いたげな顔を見て、ちょっと笑った。
「店員が戻ってたら、お金払ってこよう。昨日の分も——。あ、現金あまりないや。ATM動くのかな?」
「あ、如月さん。私も出しますから。」
と市川先生。
テレビの静止テロップ内容は「公共交通は全く運行できていない」「局内で感染者が急増したため通常放送ができない」「オレンジ色の粒に触らないように」「オレンジ色が発生していない水は飲むことができる」といったところが主で、入れ替わりで表示されていた。それ以外の新しいニュースはなかなか出てこない状態だった。
情報はSNSに頼るしかなく、政府発表ですらそれに依存している。もっとも、政府の発表など何の役にも立たないものでしかなかったが——。
「あ・・・。」
と香鈴がスマホを見て声を出した。
「アニキからLINEだ。親、帰ってきたって。夜通し歩いてきたらしい。帰ってこい、って言ってる。」
「送ろうか?」
亜澄海が言うと、香鈴は手のひらを軽く振った。
「歩いて帰れますんで。ガソリン貴重だし。何か新しいこと分かったら、連絡ください。」
香鈴が玄関から出ていった後、部屋の中に少し重い空気が流れた。ここに残っている生徒は、美緒を除けば誰も家族と連絡がついていないのだ。




