13 不安な1日
ここから・・・どうすれば、いいんだろう?
美緒にはさっぱり思い付けない。救いを求めるような目で亜澄海の方を見ると、亜澄海は何かじっと考え込んでいた。
市川先生は? と見ると、先生も同じような目で亜澄海の方を見ていた。美緒はちょっと可笑しく思った。
この人・・・。ほんと、理科以外自信ないんだなぁ——。
そんな2人の視線に気がついて、亜澄海は少し微笑んだ。
「中学校、行ってみますか?」
言われて、市川先生はちょっと怯んだような表情を見せた。
「し・・・、しかし、ここを子どもたちだけにするわけにも・・・」
自分だけが行く、という考えは浮かばないようだった。
「そうですね。それに今行ってもたぶん、わたしたちにできるようなことはないと思いますし・・・。小学校の方は、まだ手助けできることはあるかもしれませんが。」
言いながら、亜澄海は佑美の隣にそっと座った。
「今は、とにかく情報を集めましょうよ。あれが何なのかもまだわからないんですから。先生、頼りにしてます。」
「腹へったな——。」
と大樹が言った。
気がつけば時計はもう午後2時になっている。皆、お昼のことなんか完全に忘れていた。
「食べよう。消費期限、切れないうちに——。」
そう言って、木田誠が先生の車へ食料を取りに行こうと玄関へ向かった。
「荷物、全部下ろしましょう。」
市川先生がキーを持って後に続いた。沙緒里と美緒も立ち上がって、運搬を手伝うためについていく。
「佑美ちゃん、食べよう。力つけないと——。」
亜澄海が佑美におにぎりを勧める。ちょっと間を開けてから、佑美がこくっとうなずいてそれを受け取った。
佑美は、包みのビニールを引っ張って海苔とくっつける。
食べよう———と思うのだけど、オレンジ色に目を光らせたお母さんの顔がフラッシュバックしてきて、吐きそうになる。
食べなきゃ・・・・。力つけなきゃ、何もできない・・・。お母さんを救い出す手がかりだって、掴めない。
市川先生はサンドイッチを齧りながら、どこかに電話していた。
「ええ、ええ、そうです。私の方で暫定的に掴んでいるのは、水の深さと一定の数値以下のCOD、そして水面の存在です。ええ、再現実験やってみてください。ええ、そうです。はい。何か他に分かったことがあったら、暫定で構わないので教えてください。ええ、それはもちろん。」
「なんか分かったの? 先生。」
大樹がカフェラテのストローをくわえたままで聞いた。
「大学の友だちに片っ端から電話してみてるんだけどね。筑波大で教授やってるやつから、面白い情報もらったよ。」
その言葉を聞いて全員が一斉に市川先生の方を見たので、先生はちょっとたじろいだ様子を見せた。
「あ・・・いや、データ通信のバイトコードの中に何か妙なバグをいくつも見つけた・・・とか言ってました。」
先生は、まだちょっと自分が理解しきれていない、と弁解しながら続けた。
「それがこの現象に関係してるかどうか、まだこれから調べるところだ——ということだったけど・・・。ただ・・・・、バグを修正削除したデータをスマホ間でやりとりしたら、あれは出なかったそうです。それで彼は、そのバグがこの現象に何か関係してるんじゃないか——と。まだそれだけです。私の方で分かった発生の『条件』を伝えておいたので、他に何か分かれば連絡がきます。」
「大学の先生って、すごいんですね。この事件、今朝始まったばかりなのにもうそんな研究始めてるんですね・・・。」
香鈴がいつになく真面目な声音で言った。先生なんてつまんない人種だとばっかり思ってたのに・・・。なんか、わたし・・・ちゃんと見えてなかったんかな——。
「いや、彼は情報セキュリティが専門でね。同期生の中でも特別に優秀なやつでしたから。それでもたまたまデジタル通信の実験中にコップの水に現れたんで、その関係性に気がついたようです。他の同期には・・・、連絡がつきません。」
「娘さんには、連絡ついたんですか?」
と亜澄海が写真立ての写真を見ながら尋ねた。
「ええ、おかげさまで。さっきの情報は全部伝えておきました。身を守る方法も——。」
「1人で大丈夫なんですか?」
亜澄海が聞くと、先生はちょっと言い淀んでから小さい声で言った。
「同居してるんですよ、BFと。・・・2人とも無事みたいなんで・・・。」
夜になるまでに、親が迎えにきてそれぞれの家に帰っていった生徒が3人いた。竹田秋彦、松村葉子、杉村沙緒里だ。
沙緒里は帰り際、美緒に
「連絡はとり合おう。」
と言った。
「こっちも何か分かったら連絡するよ。」
秋彦と葉子にも連絡を取り合う約束をした。テレビやNETのニュースを見る限り、今のところ市川先生のこのグループが最も進んだ情報を持っているようなのだ。
美緒たちも一旦家に戻ろうと思ったのだが、「大人が1人はいてほしい」と市川先生に懇願された。たぶん、先生も不安なんだろう。
それに、今の佑美を市川先生だけに預けて帰るのも心配だ。
残った生徒は7人。美緒と香鈴を除けば、誰も家族とちゃんと連絡がついていないのだ。香鈴の両親も2人とも電車通勤なので、電車が止まっていて動きがとれないということだった。
1年生の玲音と小学生の妹玲奈の両親は午後から連絡がとれなくなった。玲音は一見落ち着いたそぶりで妹を励ましているが、どれほど心細いだろう——と美緒は思う。
木田誠と巫女内亮太は、親と全く連絡がつかないのだという。
金森大樹は、珍しいほど黙りこくって眉根にシワを寄せている。普段いいかげんで態度の悪い大樹がこんなふうにしているのを見ると、美緒はなんだか心がざわついた。
「両親と・・・連絡つかないの?」
美緒が声をかけると、大樹は少し不貞腐れたように答えた。
「全く連絡よこしやがらねぇ。」
それから大樹には珍しく、やや弱った声でぼそっと言った。
「アネキとは連絡ついてる。ただ・・・あいつ、まいってやがる・・・。空手やってるくせに。」
「空手強くたって・・・、この状況は・・・1人じゃキツいよ?」
「空手ってなぁ、精神力だよ!」
大樹はちょっと怒ったような口調で言った。
「今どこにいるの、お姉さんは?」
亜澄海が凛とした声で大樹に聞いた。大樹が思わず顔を上げる。
「あ、歩いて帰るって・・・。電車通学だから・・・。」
「安全な場所にいるよう、連絡とって。車で迎えに行くから。金森クン、一緒に来て。美緒、佑美ちゃんをお願い。峰平さんのお兄さんは?」
突然話を振られて、香鈴はびっくりした顔をした。
「あ、うちはいいです。ばかアニキはチャリでもう家に帰ってるし。親が帰った時に、アニキくらい家にいないと——。」
「峰平さんは家にいなくていいの?」
「わたしはここで、市川先生の授業聞きたいんで。」(・_・)/
30分ほどで亜澄海たちは戻ってきた。
大樹のお姉さんという人は、大樹とは似ても似つかぬ『美人』と言える高校生だった。
いや、それは印象だけで・・・、目元のあたりは似てるかな? 大樹もよく見れば、目なんかイケメンの部類かもしれない。
肩を越すストレートのロングヘアで、女子としては羨ましくなるようなさらっさらの髪だ。空手やってるというのも、聞いてなければとてもそんなふうに見えない。
「お邪魔しまぁっす。いつもバカ弟がお世話ばかりかけてます。姉の泉深です。」
そう言って大樹の頭を押さえつけてお辞儀する。大樹は顔だけ前に向けて抵抗しながら、お姉さんを上目使いで睨みつけた。
口の悪いのは、似たもの姉弟らしい。(^ ^;)
まいってる、って言ってたのに・・・と美緒は思いながら、これはたぶん大樹と同じ強がりなんだろうと理解した。他人に弱みを見せまいとするのは、この姉弟に共通した性格なんだろう。
でも、おかげで少しだけ、不安な重い空気がかき回された。
テレビは放送が止まってしまった局が2つに増えている。NHKはまだ臨時ニュースを続けていたが、新しいと言えるような情報はあまりなかった。
ただ違ってきているのは、どのテレビ局もあのオレンジ色の粒には触れないように、デマに惑わされず確認された情報だけを信じるように、と呼びかけていることだった。
出演する「専門家」の種類も変わっていた。
「けっ! ついさっきまでC国の攻撃とか言ってデマ放送してたのにな。」
大樹がテレビをくさした。
晩ご飯はそれぞれ適当に、コンビニから持ってきたおにぎりやパン類で済ませた。市川先生が冷蔵庫の中のものを使っていいと言ってくれたが、消費期限の早いものから食べることにしたのだ。
冷凍食品や冷蔵のものは、冷蔵庫に入れられるだけ押し込んだが・・・。こんな状態が続くと、はたしてこの先食糧が手に入るのかどうかさえ定かでない。
そうなったら・・・、どうすればいいんだろう?




