あーしの匂い好きぃ?
橋本は「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」というテンプレ通りの叫びを上げ、自ら童貞であることをクラス中に広めてしまった。
元々「アイツ絶対童貞だよな(笑)」とよく陰口を叩かれていたので実際は大したダメージはないハズなのだが、アレではクラス全員に確信を与えてしまったようなものなので中々に不憫である。
もちろん橋本が本当に童貞ではないという可能性もあるが、心の読めるダー子が言うのだからほぼ間違いはないだろう。
つまり橋本は「童貞のくせに女遊びの激しいヤリチンを気取っていた痛々しい男」なのだが、同じ童貞としてはシンパシーを感じるし、何よりバレバレだったので個人的には微笑ましく感じていた。
なんとか救ってやりたいところだが、今俺が声をかければ逆効果になるので触れないでおくしかない。
そんなことを考えながら漠然と授業を受けていると、背中をツンツンと突かれる。
「龍ちん、龍ちん」
(授業中だぞ。静かにしろ)
ダー子は心が読めるらしいので、俺は振り返らずに心で念じる。
「あーし、教科書ないから見せてよ~」
ああ、そういうことか。
というか、今思えばダー子は最初から手ぶらだった気がする。
教科書どころか、筆記用具もないのではないだろうか。
「仕方ないな、隣に来い」
「はぁい♪」
そう返事をしてダー子は、椅子だけ持ってきて身を寄せてくる。
普通こういう場合は机ごと身を寄せるものだが、俺の両隣にはそんなスペースはないので必然的にこのカタチになってしまう。
ゆえに、非常に密着度が高い。
「あ、龍ちん照れてる~」
「っ! 当たり前だろう!」
「でも~、龍ちんってば自分でお願いしたのに、あーしのこと見て全然嬉しくなさそうだったから~」
それは単純に嬉しいという気持ちに至る前に、混乱や衝撃の方が強かっただけの話である。
ついでに言うと、中学時代から制限なしのネット世界にドップリ浸かっていた俺は、視覚情報によるエロスにはある程度耐性があった。
だからダー子を見ても、そこまで取り乱さなかったのである。
しかし、今は密着したことによる触覚の刺激と、漂ってくる女子感のある香りが俺を昂らせていた。
「……変なことを聞くが、香水みたいなものを付けているのか?」
「んーん? そういうメンドイことはしてないよ~」
ということは、これは正真正銘ダー子の匂いというワケか。
以前、女子高生の匂いがする石鹸が発売されて話題になっていたが、これがそうだとすれば愛用者が増える理由もわからないではない。
「んふふ~、龍ちん、あーしの匂い好きぃ?」
「嫌いではない。いや、正直好みではある。大好きだと断言できるレベルではないが」
濁した言い方をしようとしたが、ダー子には無駄と判断し正直に答える。
「好きって気持ちは伝わってくるよ~♪ ちょっと気分いいかもぉ~♪」
やはりチョロイン。
しかし、このまま放置してはマズイ気がする。
(おいダー子、今は授業に集中しろ)
「え~? なんで~?」
(授業とはそういうものだから……というのもあるが、それよりもこれ以上橋本を刺激したくない)
「あ~、確かにこの子、嫉妬の炎で燃えているかも~?」
ダー子の言葉に反応して、橋本の背中がビクンと跳ねる。
やはり聞き耳を立てていたようだ。
これは後々ひと悶着あるかもしれない。……憂鬱だ。
そんな冷や冷やする1限目を乗り切ったあとも、憂鬱な展開は続いた。
「闇崎さんはどこから来たの?」
「ん~? 遠いところからだよ~」
「遠いってもしかして外国? 地名とかは?」
「秘密~」
「ていうか、ぶっちゃけこのキモオタとどういう関係?」
「幼馴染だよ~」
「あ、じゃあ付き合ってるとかじゃないんだ?」
「バッカ! んなワケねぇだろ! 有り得ねぇって!」
「そりゃそうだよな。ゴメンね闇崎さん? 変なこと聞いちゃって」
「…………」
休み時間に入りダー子が自席に戻った瞬間、陽キャどもが集まってきて質問攻めを開始した。
席が真後ろのため聞かざるを得なかったのだが、聞こえよがしに嫌味を言われれば不愉快な気分にもなる。
俺がそんなイライラを募らせていると、いつの間にかダー子の返事が聞こえなくなっていた。
一体何かと思ったが、振り返ると面倒なことになりかねないので無関心を貫く。
「あれ? 闇崎さん、急に反応しなくなったけど、どうしたの?」
「……あーね、とりあえずコレとコレ《・・》、嫌いだからもう話しかけられても無視しようかな~って」
「「っ!?」」
ダー子の発言で、それまで感じられたワイワイしたムードが凍り付く。
男子も女子も固まっていたが、原因と思われる質問をしたと思われる男子が一早く回復して「アハハ~」とわざとらしく笑う。
「し、辛辣~、俺、なんかマズイこと言っちゃった感じ?」
「…………」
コイツ、マジで気づいていないのか?
ナチュラルに悪気ない発言だったとしたら、かなりタチが悪いな……
「アホか! 悪い闇崎さん! 俺ら行くから!」
「痛っ! えっ、あ、おい! なんだよ!」
「いや、マジ空気読めって!」
どうやら自分の失言に気付いていないのは質問をした男子だけで、「有り得ねぇって!」とツッコミを入れていた方は何が原因か理解したらしい。
声や粗野な言葉遣いからして恐らくは輪島という男だと思うが、イメージと違って空気はしっかりと読めるようだ。
それに比べて――、
「深澤って結構空気読めないとこあるよね……」
「だねぇ、顔は結構いいのに」
「え、明美ああいう顔がタイプなの!? 絶対やめといた方がいいよ! ああいうヤツってなんでもマウント取りたがるし、メンクイですぐ浮気するタイプだから!」
複数の女子がそれに相槌を打っている。
しかし成程、深澤だったのであれば納得はできる。アイツも伊藤誠ほどではないが、俺を弄ってくるクソ野郎の一人だ。
俺もアイツは男としてクズの部類に入ると思っているので、女子達の意見には激しく同意できる。
ただ、それにしたって中々に酷い言われようだなとは感じた。
というのも、実際深澤の顔は美形に属する部類なため女子人気はそこそこ高いと思っていたからだ。
まさかここまで女子から嫌われていたとは……、自業自得とはいえ、中々に哀れである。
「ねぇねぇ、闇崎さんは畑山のどこが好きなの!?」
「ん~、優しいところ~?」
そして、何となく嫌な空気を感じたのか他の男子も離れていき、残ったのは女子達だけとなった。
それはまあいいのだが、何故か話の内容が「ダー子が俺のことを好き」という前提の流れになってしまっている。
これは流石に否定したいところだが、俺がダー子の気持ちを代弁するのも変な話であるため、迂闊にツッコミを入れられない。
――結局俺は何もできないまま、ダー子の惚気話(?)を聞かされて恥ずか死しそうな気分を味わいながら休み時間を過ごした。