シュレディンガーの猫
「フンッ、さっさと済ますぞ。ほれ」
そう言ってゴッちんは、手に握られた黒いゴワゴワとした毛の塊を突き付けてくる。
「……む? どうした? 何故受け取らん? これが欲しいのだろう?」
ゴッちんの問いに対し、俺は心底呆れたという表情を作りため息を吐く。
「な、なんだその反応は!?」
「心が読めるのならわかるだろう?」
「む……、いや、貴様が落胆しているのはわかるが、理由がよくわからんぞ……。一体何が不服だというのだ……」
……なるほど、そういうことか。
恐らくゴッちんの読心は、自分の理解が及ばない概念や知識に対しては効果が薄いのだろう。
要するに、読めはするが意味がわからないのである。
「ダメだよゴッちん? ちゃんと目の前で脱いであげないと~」
「流石はダー子だ。よくわかっているじゃないか」
「えへへ~」
ダー子は元がドラゴンのせいなのか、ボーっとしているようで実はスペックが高い。
俺の教えは、まるで乾いたスポンジの如くどんどんと吸収していくのだ。
俺色に染まる日も近いかもしれないな……
「そんな~、龍ちんのえっちぃ~」
「何故貴様は嬉しそうなのだ! こやつは明らかに邪なことを企んでるのだぞ!?」
「え~? でも、あーしって元々そういうとこあるしぃ?」
まあ、確かにダークドラゴンはイメージ的に悪側っぽいところあるからな。
「ではダー子、理解度の確認もするから、ゴッちんに説明してみてくれ」
「りょ! ん~とねゴッちん、龍ちんは目の前で脱いで渡さないと、願いが叶ったって思ってくれないの」
「何ぃ? それは、こやつが納得せんから願いを叶えた扱いにならんということか?」
「そ~だよ~。ちゃんと確認済み~」
「……ん? 確認済み? どういうことだ?」
ある程度ダー子の行動は把握していたつもりだが、まさかの新情報である。
どう見ても抜けているようにしか見えないのだが、実は世を欺く偽りの姿だったりするのか?
「そんな大層なことじゃないよ~? ただ、あーしのパンティ買ってもらったときに、龍ちんにそのまま渡してもダメだったってだけ~」
「ダメだった……? もしや、願いの条件を満たしているか確認できるのか?」
「うん。あーしはゴッちんから、龍ちんの一つ目の願い事を叶える責任者としての権限を与えられてるから、契約条件を満たせていない場合わかるようになってるんだよ~」
ダー子のトロッとした口調から責任者だとか権限だとか難しい言葉が出てくると、脳がバグりそうになる。
ドラゴンは人間よりも遥かに高次元の存在だと思われるため、実際は俺など足元にも及ばない知性を持っていたとしてもおかしくないのだが、どうしてもイメージに引っ張られてしまう。
「いや、ダー子に関しては貴様の認識通りだぞ。地頭はいいから我の言ったことを暗記できているだけだ」
「もう~、ゴッちんバラさないでよ~。せっかく龍ちんが少しあーしのこと尊敬してくれてたのに~」
「……いや、記憶力がいいのは十分に素晴らしいことだ。それに関しては流石ドラゴンだと言っておこう」
「本当~? わ~い!」
……なあゴッちん、ダー子は昔からこんな単純――もとい幼い感じだったのか?
俺はゴッちんにのみ伝わるよう思考を調整して尋ねてみる。
「いや……、ただ、こやつは昔から怠惰で寝てばかりだったからな。これ程活発に活動しているのは初めてのことなのだ」
「なるほどな……」
「あ~! 二人で内緒話してるでしょ~! や~だ~!」
それにしたって最初の頃より幼児化が進んでいる気がするが……、まあいいか。
「ゴッちんには、ダー子は昔からこんなに可愛かったのかと聞いただけだ」
「嘘だ~! 絶対バカにしてたでしょ~!?」
「……いや、概ね本当だぞ」
「え~!? 本当に~!? 龍ちん、なんで隠すの~?」
ゴッちんからまさかのフォローが入ったが、よく考えてみればニュアンス的にはあながち間違っていないことに気付いた。
とりあえずノリで答えておこう。
「言わせんなよ、恥ずかしい」
「え、えぇ~!? も、もしかして、龍ちん――」
「それよりダー子、話が逸れてるぞ。本題に戻してくれ」
「あ、あ~ね、忘れてた~」
実は話を逸らした犯人は俺なのだが、エロいことを考えて誤魔化しておこう。
「フン! 説明を聞くまでもない! 要はこやつが悪趣味な変態というだけのことだろう?」
「え、え~っと――」
「違うな。間違ってるぞゴッちん!」
「な、何が間違っているというのだ!」
「前提だ」
「ぜ、前提……?」
あえて回りくどい表現をしてソレっぽい雰囲気を作り出す。
「そう、前提だ。確かに、これが俺の願いである以上、そこに自分の趣味嗜好が多分に含まれていることは否定しない。しかし、それはあくまでも一要素に過ぎない。言わば料理を彩るトッピングのようなものだ」
「……つまり貴様が言いたいのは、我の渡し方では満点ではないと言いたいのか?」
「否! 厳密に言えば赤点だ。言っておくが、商品を扱う仕事であれば売り物にできない判定になるということだぞ。これでは願いが叶ったとは思えんな」
まあ正直なところ、カタチが悪いとか味や性能にあまり関係ない部分で売り物から外されることに関しては疑問を抱いているが、ゴッちんのこれはドル(アイドル)売りとして失格と言わざるを得ない。
「何故だ! 少なくともこれは我の穿いてたもので間違いないぞ!」
「では、それをどうやって証明する?」
「しょ、証明? そんなのするまでもな――」
「違うな。少なくとも、それは絶対にゴッちんの穿いてたものだと確定はしていない状態だ」
「は、はぁ……?」
俺はこのタイミングで顔を片手で覆い、指の隙間からゴッちんを凝視する。
「シュレーディンガーの猫を知っているか?」
中二病患者であれば必ず通る道である。
それを神に教えてやろう。




