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ここに来た意味

 ずっと一緒に居たい、そう思ったけど、楽しい時間が過ぎるのは早すぎて、あっという間に時は過ぎた。

 もうすぐ陽が暮れる。そうなれば空気が冷たくなって彼女の体にも負担がかかる。

 離れるのは名残惜しいが、彼女を引き留めておくわけにもいかない。


「家まで送るよ」


 そう言って歩き出した俺の腕を彼女が引っ張った。

 彼女が首を振った。


「もう少し……もう少しでいいから、一緒に居て」


 しがみつくように俺の腕を掴んだその手が震えていた。

 かりそめのような俺でも傍に居てほしいと願ってくれるなら、その願いを叶えてあげたいと思った。


 でも。


 俺の腕を掴んだ彼女の手の熱さに、ハッとした。

 熱がある。


 約束したのに……、指切りまでしたのに……。


「なんで隠してた?」

「だって、言ったら帰れって言うでしょ?」

「でも……」


 違う。

 彼女を責めるのは筋違いだ。


 いつからだ?

 いつから手を継がなくなった?


 行こう、と言って手をつないだ時から、彼女は俺の手を放そうとはしなかった。

 でも、いつからだろう。彼女は俺と手をつなごうとはしなかった。

 きっとその時から、彼女は体の不調を感じていた。


 それなのに、俺は……俺は恥ずかしくて自分から彼女に手をつなごうとは言えなかった。


 羞恥心なんか捨てて、手をつなごうって言っていれば彼女の異変に気付けたのに……。

 

「約束……したのに。具合が悪くなったらすぐに言うって、指切りしたのに」


 何を言ってるんだ、俺は。

 どうして彼女を責める言葉しか出てこない?


「だって……だって今日別れたら、もう二度と会えない……」


 彼女は気付いていた。

 今日を最後に彼女には会わないと決めた、俺の心に、彼女は気付いていた。


「俺は『俺』じゃないから……」


 この世界に俺の居場所はない。

 彼女の傍には居られない。


「俺の事は忘れてよ」

「ひどい……」


 彼女の言葉が胸に刺さる。


「ひどいよ……。朔哉くんはずっとここに居るのに、忘れるなんて……できない」


 あ――――。


 『俺』は彼女に、なんてむごいことをしたんだろう。

 彼女が元気になる事。それはきっと心の底からの願いだったはずだ。

 彼女が幸せでいてくれたら、同じ景色を見れなくてもいいとさえ思ったに違いない。


 でも、彼女の中に『俺』が居る限り、彼女は『俺』を忘れることはできない。

 鼓動がするたびに、心臓が脈を打つたびに、彼女は『俺』を思い出す。

 そのたびに彼女は悲しみ、涙する。

 彼女の幸せを願ったはずなのに、彼女の笑顔を見たかっただけなのに、それを奪ったのは『俺』

 独りよがりで身勝手で、なんてわがままなヤツ。


 最低だ。


 ドクン――――。


 心臓が大きく波を打った。

 責める俺に反発するように。

 すると、彼女が胸を押さえてうずくまった。


「よせっ! 彼女を殺すな! 彼女をこれ以上苦しめるな!」


 思わずそう叫んでいた。

 それでも彼女の顔からは血の気が引き、息は荒くなっていく。

 ハァハァと肩で息をし、額にはびっしりと汗をかいている。


「だ……い……じょうぶ、……へい……き」


 平気なわけがない。

 彼女の顔がどんどん青ざめていく。

 あんなに熱かった手も、今じゃすごく冷たい。


 もう、見ていられない。


 スマホを取り出すと、彼女は首を振る。


「お願い……私から朔哉くんを奪わないで……」


 悲痛な叫びだった。

 でも、しがみついて泣いて訴える彼女の願いを、俺は叶えてやることは出来ない。


「……ごめん。俺は、『俺』が守りたかった君の命を、守る義務があるんだ」


 俺は嫌がる彼女を無視して、緊急通報をタップした。


 彼女の苦しそうな息遣いだけがその場を支配した。

 

 実際にはそんなに待っていなかったのかもしれない。でも心が急いている時の待ち時間は異様に長く感じる。

 

 ようやく聞こえてきた救急車のサイレンに、少しだけ安堵の息を吐く。

 そんな俺に、彼女は深く傷ついたような顔をした。


 ズキンと胸が痛む。


 けれど、俺にはこうすることしかできなかった。

 どんなに憎まれようと、彼女の命を守ることしか考えられなかった。


 救急車が到着し、救急隊員が彼女を担架に乗せようとしたが、彼女はイヤイヤと首を振って言うことを聞こうとせず俺に助けを求めるようにしがみつく。


 さっきまで熱を帯びていた手が、今では氷のように冷たくなっていた。

 このままでは彼女の命が危ない。


 彼女が嫌がる言葉と分かっていても、言うしかなかった。


「俺は……君の知っている朔哉じゃない。朔哉は……君の中にいる。そうでしょ?」


 すると、彼女は大きく目を見開き、そして大粒の涙を流した。


「ひどい……」


 彼女のその言葉はトゲとなって胸に深く突き刺さった。

 けれど、躊躇している場合じゃない。


 しがみつく彼女の手を引きはがし、救急隊員に彼女をゆだねる。


 苦しみながらも手を伸ばして泣きじゃくる彼女の姿は、バックドアによって遮断された。

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