『俺』だけど、俺じゃない
ちょっと無茶しすぎたかな……。
彼女の息が荒い。
「やっぱり病院へ行った方がいいんじゃない?」
「だ……いじょうぶ……だから」
逃げるって言ってもどこにも行く当てもなく、俺たちは小高い公園に居た。
公園のベンチに座って、かれこれもう十分以上経つのに、彼女の息はなかなか整わない。
「でも――」
言い募ろうとする俺の口を、彼女は両手で覆った。
「やっと会えたのに、また離れ離れになってしまうのは……イヤ」
彼女の真摯な瞳に見つめられてドキリとする。
「本当に大丈夫?」
しつこく聞く俺に、彼女はクスっと笑みをこぼした。
「……心配性なのね」
だって……。
彼女は、か細くて儚くて、今にも消えてしまいそうだから。
「大丈夫よ。朔哉くんは絶対に私を死なせたりしない。そうでしょ?」
彼女は自分の心臓を指さしてそう言った。
そう言えば、心臓移植したって言ってたっけ。しかも……。
「君の中に『俺』は居るんだよね」
彼女はゆっくりと頷いた。
「ずるいよ……」
そのひと言が、彼女の中で塞き止めていた思いを溢れ出させた。
「また明日、じゃあねって、そう言って別れた。でもそれっきり……朔哉くんとは会えなくなっちゃった。朔哉くんに会いたいから、辛くても苦しくても頑張ってきたのに、気付いたら私の中に居て……私が生きることを諦めたら……朔夜くんも死んじゃうから……でも、会いたくて逢いたくてあいたくて……どんなに願っても会う事は叶わなくて、私の中に居ても朔哉くんのぬくもりは……全然伝わってこないの……。どんなに耳をすましても朔哉くんの声は……聞こえないの……声が……聞きたいのに……」
「……ごめん」
謝ってもどうにもならないことだけど、謝らずにはいられなかった。
彼女をこんなに悲しませているのは、まぎれもなく『俺』なんだよな。
でも、俺じゃあ彼女の涙を止めることができない。
彼女が求めているのは、俺じゃないから。
それならどうして俺はここに居る?
俺は何のためにここに居る?
彼女を悲しませるためか?
だとしたら、むごすぎるだろ。
「……朔哉……くん?」
戸惑う彼女の声でハッとする。
気づけば彼女を抱きしめていた。
「うわぁ……ごごごごごごごごめん」
慌てて彼女から離れたけど、自分でも予期しない行動に驚いて顔が火照った。
「……あなたが悪いわけじゃないのに……ごめんなさい」
謝る彼女に、俺は返す言葉が見つからなくて俯いた。
すると、彼女は大きく深呼吸すると、涙をぬぐった。
「お願いがあるんだけど……」
彼女が少し言いにくそうに口を開いた。
「何?」
「今から、あなたの時間を私にくれる?」
上目づかいに聞かれ、顔がカーッと熱くなった。
慌てて視線をそらし、コホンと咳払いしてごまかす。
俺の時間なんて惜しみなくあげられるけど、俺の反応を楽しんでいる彼女にささやかな抵抗を試みる。
「ひとつだけ約束してくれるなら」
「具合が悪くなったらすぐに言う事、でしょ?」
俺が言おうとしていたセリフを彼女が奪った。
よほど俺が驚いた顔をしていたのか、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「これ、朔哉くんの口癖だもん、分かってる。ちゃんと約束する」
そう言うと、彼女は小指を目の前に出した。
彼女は俺の顔をジッと見た。何かを待っている様子だけど、俺には彼女が何を待っているのか分からなかった。
すると、彼女は俺の小指を掴んで自分の小指に絡ませた。
「や・く・そ・く」
ね! そう言って笑った彼女に思わず見とれた。
こんなに可愛い子が、マジで『俺』の彼女かよ。信じられん。
と思ったのもつかの間。
ギュルルルルルルルル~。
色気もそっけもない音が響いた。
マジか……なんでこんな時に腹が鳴るんだよ。確かに朝からろくなもん食ってないけど、今鳴らなくてもいいだろ。
「何か食べに行こ」
脱力する俺に、彼女がニッコリほほ笑んだ。
マジでいい子。惚れるはずだよ『俺』
っていうか、なんでこんなにいい子が『俺』の彼女なわけ?
謎だ。謎すぎる。俺がこの世界に来たこと以上に謎だ。
考え込む俺の顔を、心配そうに彼女がのぞき込んできた。
「どうしたの?」
きょとんとした目で俺の顔を見る彼女。
か、かわいいぃぃぃぃ。
思わずく言葉をこぼしそうになって慌てて口を押えた。
こっちの『俺』はどうだったか知らんが、俺の人生の中では未だ『彼女』という存在が居た経験がない。
耐性のない俺にはかなりしんどい。
ってか、テンパるばっかりでどうしていいのかわからん。
するとクスクスクスクス笑う声が聞こえてきた。
見れば彼女が笑っていた。
「えっと……」
「ふふ……ごめんなさい。なんか懐かしいなと思って」
「え?」
「初めて話をした時も、朔哉くん、ずっと下ばかり向いて私の顔見てくれなかったな~って」
そうか、こっちの『俺』も女の子に耐性がなかったんだ。
なんか、安心した。
「ご、ごめん……。女の子と話すの慣れてなくて……」
「うん、知ってる」
「そ、そっか、そう……だよな」
そりゃあ、そうか。二人は恋人同士だったんだから当然だよな。
俺、バッカみて。自分に嫉妬してる俺は、いったい何なんだ?
俺なのに『俺』じゃない。
当たり前だけど、俺が知らない彼女を知っている『俺』のことが憎くて仕方がない。
「でも……」
「え?」
聞き返した俺に、彼女ははにかんだように笑った。
「私も、朔哉くんと話すとき、いっつもドキドキしてたんだ。いっぱい話したいことがあるのに、朔哉くんの顔を見ると頭の中が真っ白になっちゃって、バイバイってしたあと、『あ~今日もちゃんと話せなかったな』って後悔してた」
そう言って笑った彼女は少しだけ寂しそうだった。
「だから、今日は後悔しないようにたくさんお話したいの。聞いてくれる?」
「もちろん」
即答してた。
それがまた恥ずかしくてうつむいてしまった。
そして、またしても邪魔な虫が鳴いた。
ギュルルルルルルルル~。
ホント、マジで、ちょっとは空気読め! 腹の虫!
「ごはん食べに行こっか」
彼女は満面の笑みを浮かべて俺の手を握った。