冗談キツイぜ
百瀬美月。
それが彼女の名前だった。
彼女は心臓を患っていて、長い間入院していた。
俺はケガをして手術を受け、リハビリをしている時に彼女に会った。
俺は順調に回復していったが、彼女は移植が必要な状態にまで悪化した。
それでも会えない時はスマホで連絡をとりあい、移植して元気になったらデートしようって約束して、俺は退院した。
でも俺は事故に遭い、命を落とした。
移植が必要だった彼女のために、俺はひそかにドナー登録していて適合検査までしていたらしい。
俺の心臓は彼女に移植された。
彼女がその事を知ったのは、俺が死んでから半月も経ってからだった。
本来ドナーは知らされないが、俺と連絡が取れなくなって、彼女が憔悴して行く姿に黙っていることが出来なくなったらしい。
皓太から話を聞いて、どうしようもない苛立ちが胸の中で荒れ狂う。
「それ、美月ちゃんに返すんだろ?」
皓太がカバンを顎で指示した。
「俺は会わない方がいいだろ」
「そうだな……交番にでも届けるか」
俺は言葉なく頷いた。
俺はこの世界に何しに来たんだろう。
もう死んでしまったヤツの世界に、俺は必要ないだろう?
「朔哉くん……なの?」
か細い震えた声で名前を呼ばれて振り向くと、そこに自販機のところで会った女の子が立っていた。
皓太の話によると、この子が百瀬美月って子なのだろう。
って、めちゃめちゃ可愛いじゃん。
この子が『俺』の彼女……ウソだろ。
印象的な大きな目が真っ赤だ。瞼も腫れてる。さっきまで泣いてたんだ……。
こんなに可愛い子、誰が泣かしたんだよっ! って『俺』か……。
「――ッ!」
突然彼女が胸に飛び込んできた。
「……あ~オレ、飲み物でも買ってくる」
そう言って皓太は俺を置いてその場からいなくなる。
「っちょ、え? おいっ!」
呼び止めると、皓太は『がんばれよ』って後ろ手に手を振った。
え~……俺、どうしたらいいんだよ。
戸惑う俺をよそに、彼女は細い肩を震わせ泣いている。
「……あの」
声をかけると、彼女は飛び跳ねる様に俺から離れた。
彼女の瞳から大粒の涙が流れている。
その顔に胸がギュウっと締め付けられる。
そんな顔されたらこっちまで哀しくなる。
彼女をこんなに悲しませているのは、まぎれもない『俺』なんだろうけど。
「ごめん」
身に覚えのない事だけど、謝らずにはいられなかった。
でも、彼女の涙が止まることはない。
それは分かりきったことだ。彼女が求めているのは俺じゃない。
なのに何で俺はここに居るんだ?
彼女を泣かせるためか? 冗談キツイすぎ。
その時、心臓がドクンと脈を打った。
「うっ……」
彼女が突然胸を押さえてしゃがみこんだ。
「おいっ! 大丈夫か?」
コクンと小さく頷いたけど、とても大丈夫なようには見えない。
ハァハァと荒い息をして、すごく苦しそうだ。
俺はポケットからスマホを取り出し電話をかけようとした。
けれど、彼女は数字をタップしようとした手を掴んだ。
「……だ……いじょう……ぶ。もう、落ち着いて……きたから」
「でも……」
戸惑う俺に、彼女は青ざめた顔でニッコリほほ笑んで見せた。
切なさに胸が締め付けられた。
仕方なくスマホをしまい、代わりにカバンの中からタオルを出した。
「これ、使いなよ」
彼女は大きな瞳でジッと俺を見た。
ドキンと胸が高鳴る。
「あ……せが、すごいから」
そう言ってタオルを差し出す俺の顔を、彼女はただジッと見つめているばかり。
「ああ、これ、まだ使ってないやつだから、汚くな……い」
プッと、彼女が吹き出した。
俺、変なこと言ったか?
「え? 何?」
「ううん。何でもない」
そう言って彼女はタオルを受け取った。
「ありがと」
「……うん」
彼女はタオルに顔をうずめた。
「朔哉くんのニオイがする」
ボソリと呟かれたそのひと言に、ボッと顔が熱くなった。
ヤベ、俺いま絶対顔が赤い。
思わず背を向けた俺に、遠慮がちな声が耳に届いた。
「君は誰?」
「え?」
振り向くと、泣きはらした真っ赤な目が俺を見つめていた。
「俺は……」
何て答えていいか分からなかった。
俺は他の誰でもない、谷村朔哉だ。
でも、こっちの『俺』はすでに死んでいて、今は彼女の中で一緒に時を刻んでいる。
どう答えよていいか分からずに、口を閉ざす俺に代わって答えたのは皓太だった。
「他人の空似でも、幽霊でもない。正真正銘、谷村朔哉だ。でも、こことは違う世界の谷村朔哉だけどな」
皓太が両手にジュースを抱えて戻ってきた。
その時だった。
「お前らそんなとこで何やってんだっ!」
見ると警官が怒鳴りながらこっちに向かってきた。
「ヤッベ」
平日の昼日中に制服着た奴がこんなとこに居れば、そりゃあ怒られるのも当然。
「走れる?」
まだ少し苦しそうにしている彼女。彼女は大きく頷いたけど、あまり無理はさせたくない。
それを察したのか、皓太が警官の前に立ちはだかる。
「ここは俺に任せろ、朔夜は美月ちゃんを連れて逃げろ」
「でも」
戸惑う俺に、皓太が白い歯を見せてニカッと笑った。
「俺の異名を覚えてるか?」
「逃げ足だけはワールドクラス」
すると、皓太は親指を突き上げた。
「早く行けっ!」
俺は彼女の手を握って、走り出した。