安西の痛み[栞の視点]
昔から、安西の痛みには、気づいていた。
だけど、話し合う事なんて、僕達はしなかった。
僕達は、描く事だけが全てだったから…。
「安西、一人で悩むなよ。」
僕は、ポケットからティッシュを取り出して安西に渡した。
「それは、出来ない。」
「どうして?」
晴海の言葉に、安西は下を向いた。
「霧人は、僕の悩みを受け止めてくれてみんなに会いたいと言った。21歳のお正月。母も退院出来ていた。母は、霧人に刃物を突き立てた。さっきのような顔で僕を見て、「一人だけ幸せになるのは、許さないと言った。」僕は、誰かにこの気持ちを渡す事も出来ない。どんな事があっても母は、僕を絶対に許さないよ。」
「どうして?」
「母は、数ヶ月に一度、右目を抉りとろうとするんだ。僕と美樹君のしている事を見たと言ってね。母の右目はね、父が叔母さんを襲ったのも見ていたんだよ。でも、今は、美果君が愛を与えてくれた。お陰で父への想いが遂げられた。」
安西は、泣いている。
「母が、僕に強く当たるのは仕方ないんだよ。僕が、義美の子ではなかったから…。お墓で会った父が、僕に母の動画を見せた。女の人を連れて行った母が、父にすがりついていた。父は、その動画を見せながら僕にこう言ったんだ。「愛されない人間は、自分も含めて哀れだな。美矢。この人は、気持ち悪いだろ?私をずっと愛して、兄さんの子まで産んだ。可哀想な女だな。」ってね。何故、結婚したかを聞いたら、美鈴がしつこかったからだと言って笑ったよ。」
「安西、僕は何も知らなかった。」
「藤堂、知られなくてよかったよ。僕は、あの美術部が大好きだった。学校に行けば誰も何も知らずに、僕に会いに来てくれた。そして、藤堂や橘や八代、美術部の他のメンバーも絵をただ描いているだけで、何も聞いてこなかった。それが、嬉しくて幸せだった。もし、あの時にみんなにバレていたら…。僕は、今、生きてなどいないよ」
安西は、僕を見つめながら微笑んだ。
「安西、もう一人で苦しまないでいいんじゃないか?僕達を頼れよ。これからは、晴海に頼っていけばいいじゃないか。」
「出来ないよ、藤堂。僕だけ幸せになっては、いけないんだ。」
まるで、呪いみたいだ。
「そんな事ない。安西は、幸せになっていいんだよ。」
安西を苦しめる想いを取り除いてあげたいのに…。
「いつか、取り除けないですか?安西さん」
晴海の言葉にも、首を横にふる。
こんな時に、僕達は無力だ。
月ならどうしただろうか?
ブー、ブー
「ごめん。」
僕は、電話に出る。
「栞、元気だったか?」
「何してる?」
「絵を描いてる」
「星さんには、伝えたのか?」
「まだ、完璧じゃない気がする。だから、栞にかけた。来てくれないか?星に会いたいけど、部屋から出れない」
「今は、安西と晴海と華といるんだ。だから…」
「ちょうどいいよ。みんなで、きてくれよ。もし、豹変とかした時でも人数がいる方が助かる。」
「わかった。聞いてみる」
「ああ」
僕は、電話を切った。
「あのさ、今、月から電話がきたんだ。星さんの前で、豹変したら困るからみんなの前で会いたいって言うんだけど。月に会いに行っていいかな?」
「星君の為に、早く行ってあげよう」
華が、僕に言った。
「橘に会いたい。僕は…。」
安西の言葉に、晴海が「早く行こう」と言った。
僕達は、コーヒーの缶をゴミ箱に捨てて急いで車に戻った。
待ちに待った月にやっと会えるのだ。
月なら、安西の話しになんて答えるのだろうか?
安西の母親の気持ちを月なら、わかりそうな気がした。
晴海は、車を走らせた。
どうか、月に会えますように…。




