安西の描(えが)く絵[栞の視点]
安西美矢の人生が、そんな風になっているとは知らなかった。
「成人式の日に、藤堂に会った時は、僕は幸せいっぱいだっただろう?」
「うん。彼の話も聞かせてくれていたから…。」
「そうだね。」
安西は、絵を描く準備をしている。
「藤堂の話も結構聞いたよ。飯が食えるようになってるみたいだね」
「僕も、安西の話しは聞いていたよ。空市での仕事が多いんだって」
「ああ、向こうで僕の絵を気に入ってくれてる人がいてね」
「安西は、天使を描いてるのか?」
るかの問いに、安西は鉛筆で、壁に下絵をしていた。
「天使を描いてるのではなく、天使しか描けなくなったんだよ。」
「それって、もしかして」
「贖罪だよ。僕は、どうやら許されたいみたいだ。それは、何故かって霧人の事かなって思うだろ?」
「違うのか?」
るかの言葉に、安西は少し笑った。
「10年間、一人でいるわけはないよね。僕は、5年前に付き合った人がいたんだけどね。彼の名前は、里揆。僕より5歳年下だったんだ。」
「うまくいかなかったんだな?」
「違うよ。僕の一番がずっと霧人だった事に苦しめられていてね。交際一年目の冬、血だらけで死んだよ。僕の腕の中で…。」
「なんで、亡くなったか聞いていいのか?」
安西は、左手のカッターシャツを捲った。
「一緒に死のうって言われたのにな。正人さんに助けられた。」
「自殺だったのか?」
「そうだよ。日に日に狂っていったよ。さとは…。」
「僕に見せてくれないか?」
僕は、安西の傷を見せて欲しいと頼んだ。
「構わない。」
そう言って、カッターシャツの上を脱いだ。
左の鎖骨下から、左手首にかけて傷がはしってる。
「月城病院にいる橘の兄さんが、治療してくれた。さとは、助からなかった。同じ傷だったんだけどな。」
そう言って、安西は寂しそうな顔をしてる。
「泣けなかった。さとを愛していたのに、泣けなかった。涙を霧人に捧げてしまったんだ。だから、泣けなかった。僕を命がけで、愛してくれたさとの気持ちに答えてあげられなかった。」
「だから、青い天使を描いてるのか?八代が言っていた。空市で、描く天使は青色だって」
「そうだな。ここだけ、天使は白色なんだ。霧人に捧げているから」
「里揆さんは、安西を殺したかったわけじゃない。化け物に食われていただけだよ。」
僕は、安西の左手をとって言った。
「藤堂は、よくわかってる。化け物が、2体寄り添ってるのがわかるか?」
「わかるよ。その左手から、しっかりと、繋がってる。」
「幻じゃなかったんだな。僕にも、さとの肉体が骨になった日に見えたんだ。」
安西は、泣けなくて苦しんでいる。
「安西、また泣けるようになるよ。だから、あんまり自分を責めないでよ。」
「いや、駄目だ。もっともっと、謝らなければならないよ。」
「もう、充分だよ。」
るかが、安西に近づいていく。
「愛されている気持ちに答えられないのは、悲しい事だね」
「るか君も、答えられていないんだね。」
安西は、カッターシャツを着た。
「僕の為に泣いてくれる君は、優しいね。」
星さんに、安西は笑いかける。
「泣けないのは、辛いです。」
「ありがとう。泣くという感情が欠落してる今、君の涙は貴重だね。」
「それなら、よかったです。」
星さんは、笑ってみせた。
僕は、安西に話しかけた。
「安西、また後で会おうか…。僕達、向こうに先に行ってるから」
「助かるよ。その方が、霧人と向き合える」
「じゃあ、後で」
僕は、るかと星さんを連れて外に出た。
安西が、抱えてる闇は果てしない程、暗いものなのを僕は知った。
八代が言った、「安西は、昔みたいな明るい絵は描けないけど…。大丈夫なのか?」
その意味が、今日の安西を見てハッキリとわかった。
安西は、自らを捨て、自らを罰し続けているのだ。




