レグ姉の過去と異変
「・・・・・いきなり何しやがる」
「後悔はしてない」
女が一人と少女が一人、鉄格子を挟んで仰向けに倒れていた。
まあ要約すると、わたしがレグ姉をぶん殴って、お返しに一発もらって、反動でお互い後ろ向きに転倒したってわけだ。その時の反動により掴んでたレグ姉のツノは折れたので、まあまあ溜飲は下がった。
「おいおい嘘だろ?」
慌てて松明の火を近づけ状況を確認したイルミナント小隊長も驚いていたが、レグ姉はさらに驚いているようだった。ゆっくり体を起こしながらわたしをガン見している。え、わたし? 手足とかガクガクで全く動けません。首を起こすので精一杯。流石は魔王軍幹部だわ。
「こっちも油断してたとはいえ、あたいの麻痺毒で反応が鈍っているにも関わらず拳を当てツノをへし折った。しかもあたいの反撃に対して咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃し、今もなお意識を保っている。これで成人前だなんて信じられねえ」
「『勇者』の成長補正のおかげだね。まあ、こっちは一歩も動けないんですけど」
「バカ、称賛してやってんだ。素直に受け取りな。あと服を着ろ服を」
そう言いながらもレグ姉はその場に座り込んだ。立ち上がる気力はないらしい。どうやらわたしの拳が思ったよりも効いているようである。わたしはまだ動けないので、全裸で大の字に転がるしかない。すごい恥ずかしい。
「まあ、すまなかった。正直失念していたが、説明もなく気絶させて全裸で牢屋にぶち込んだんだ。怒ってるに決まってるよな」
「良いよもう。お返しはしたし、大体わかったから。わざわざ自分が管理しているお風呂に誘って、一緒に入ってる湯船に麻痺毒混ぜて念入りに浸透させて、そのまま抜け道を通ってここに連れ込んだんでしょ? わたしが勇者だってわかったから、何らかの予定が大幅に変わったんだね」
「お前、そこまで気づいてたのか・・・・・」
「そうじゃなきゃ慌てて全裸でぶち込まれる意味がわからないもの」
わたしが勇者であることは、師団長クラスには聞かされていなかった。たまたまそれを聞いてしまったレグ姉は、何らかの事情があって早急にわたしを気絶させ拉致監禁する必要があったのだろうと推測できる。理由まではさっぱりだけどね。
「そんで? もちろん説明してくれるよね? クーデターだのわたしを魔王にするだの聞こえてきたけど」
「ああもちろんだ。お前は一から十まで全てを聞く権利がある」
レグ姉はそう言った後、「さて、何から話そうか」と思案顔で俯き、数秒後にわたしの目を見て語り始めた。
「あたいには兄貴の他に、もう一人家族がいたんだ。名前はロゼ。あたいの双子の姉だったーーーーー」
今から四十年前、若干18にして魔王軍に入隊したレグ姉だったが、その時双子の姉はすでに大隊長だったらしい。
突然魔王軍に殴り込みをかけて、気づいたら四天王になってた兄・ゾルダーク。
成人してすぐ入隊し、直後から幹部に喧嘩を売り、史上最速で大隊長に昇進した双子の姉・ロゼ。
自分と比べて、二人の力は強大だったと、レグ姉は言う。
「特に同い年で出世頭だった姉貴の事を、あたいは尊敬していた。高い魔力量に戦闘技術、そして知性。特に魔法は強力な上、姉貴のスタイルにぴったりだったんだ」
ロゼさんはレグ姉と同じ、魔力のこもった粘液を皮膚から分泌する特性を持っていた。これは母から受け継いだ種族特性らしい。そしてロゼはその粘液を無数の糸に変えて武器にしていたという。
高い強度で敵の動きを封じたり、周囲のものを動かして攻撃したりする『鉄糸』と、特殊な魔力を込めて相手の筋肉に干渉し操ったり、対象の情報を読み取ったりする『操糸』。実に汎用性が高そうな魔法だ。
気風も良く、あらゆる方面において優秀だった彼女が、魔王軍で幹部になり四天王に就任するのもそう時間はかからなかった。
圧倒的な筋力と魔力でゴリ押しする戦闘特化のゾルダークと、戦闘諜報外交なんでもござれな万能職のロゼ。
気づけばこの二人が次代の魔王候補筆頭として双璧を成し、魔王軍の戦力を大幅に増強させていた。
そして、今から三十年前。レグ姉が入隊してから十年が経過した頃。当時の魔王マージャフラハがこう言った。
『わしゃもう百年くらい魔王やってるし、若い連中の活気もすごいから、魔王辞めるわ。とりあえず魔王軍の幹部と魔大陸の喧嘩自慢を集めて一番強かったヤツが次の魔王ね』
これが勅令として魔大陸全土に渡ったからさあ大変。魔大陸中の血気盛んな名のある戦士が集まり、なぜか魔王軍と小規模の戦争に。そこでふるいにかけられた強者数名と、四天王全員がトーナメントで魔王の座を競い合ったのだ。それまでの三ヶ月間、ほぼ全ての魔族がお祭り騒ぎであった。
そしてというかやはりというか、決勝に残ったのは四天王の二人。
それまで全ての対戦相手を真っ向から打ち負かし、魔王候補筆頭としての貫禄を見せつけた男『絶対不沈艦 ゾルダーク』。
素早い動きと高い技量で敵を翻弄し、その愛嬌で多くのファンを集めた『荊の女王 ロゼ』。
「誰もが注目する一戦。下世話かもしれないが賭けのオッズもほぼ同率だった。ただ、兄貴は常に敵の攻撃を受けていたせいで疲弊していたのに対し、姉貴は笑顔を見せる様子さえあったんだ」
憧れの姉の話をしているのに、その時のレグ姉は悲痛な面持ちで拳を握り締めていた。
結論だけ言えばゾルダークが、わたしの父が勝った。そして、ロゼさんは死んだ。
「あまりにも、あっけなかった。互いに全速力で衝突し、気づけば兄貴の腕が姉貴の胸を貫いていた」
前半までの、ロゼさんの話をするレグ姉のキラキラした顔は、見る影もなかった。
無理もない。レグ姉にとって最も近しい存在であり、魔王以上の憧れでもあった双子の姉の死を、その目で見てしまったのだから。実の兄による殺害という、最悪の形で。
「おかしいんだよ、姉貴らしくなかった。いくら兄妹で互いに思うところがあったって、あのバカ兄貴みたいに真正面からぶつかるなんてさ」
確かに、ここまで聞いた彼女の能力や戦闘スタイルから考えると、お父様みたいな暴力の化身に対し真っ向勝負などあり得ない。
「そっか、それでクーデターなんだね。理由の一つとしてロゼさんの復讐があった」
「・・・・・いや。確かに最初は恨んだりもしたが、今は真実を知りたいだけだ」
「え? じゃあわたしなんか捕まえて一体何を?」
「それについてはあたいから説明はできない」
なんだろう、何かがおかしい。
レグ姉の目、あんな色だったかな? 濁って澱んでいるようで、いっぺんの澱みもないと思える不思議な黒。その無機質な輝きはまるで、今耳についている黒真珠のような・・・・・。
「お前に会わせたい人がいてな、その人から説明する予定だったんだ。本当は成人してからのつもりだったけど、勇者だったとなるとそろそろ人間側の方に神託が降ってもおかしくない。ちゃっちゃと魔王になってもらう。説明と実行の順序が逆になって申し訳ないけどな」
「レグ姉、誰かの指示で動いてるんなら、わたしは全力で抵抗するよ? なんの説明もなくこんな大事に協力できるわけないじゃないのさ」
「勇者の真実をその人が知っている、って言ったらどうだ?」
「えぇ・・・」
何そのパワーワード。
「全部じゃあないが、あたいの知っている範囲なら今すぐ教えてやっても良い。それを聞いて判断してくれ」
「むぅ、お願いします」
絶賛混乱中のわたしだけども、勇者の情報とクーデターの参加と、天秤にかける余地はありそうだ。
「魔王妃メリュジーヌ。まあ、お前の母親だな。あの人の種族である吸血鬼の事をどれだけ知っている?」
「えっとー、長命でー、太陽に弱い」
「・・・・・まあ大体合ってるけど、もっと詳しく」
なんだろう? 名前の通り血を吸って、戦闘力や再生力が高くて、気品があって・・・・・銀とか聖水とかニンニクとか十字架とかダメなんだっけ。弱点多いな。
あれ? そう言えばお母様って吸血鬼の中でも下位だって言ってなかった?
「魔族なのに、同じ種族で強さじゃない格差があるの?」
「お、鋭いな。実は吸血鬼はな、童貞か処女の他種族、特に人間に噛み付くことによって眷属を増やすんだ。滅多にやらないけどな。そういう奴らは『なりたて』っつって庶民として扱われる。
逆に生まれついての吸血鬼は『真祖』とか呼ばれて、純血のまま代を重ねるほど家格も上がる。寿命も千年近く延び、能力も弱点も増えていく」
「なるほど、それがお母様が言ってた『ご主人様』か。ん? お母様は吸血鬼になる前って・・・・・」
「人間だよ。つまり、元人間が魔王の妻の座に納まってるんだ」
・・・・・えーっと、なんか微妙だな。わたし予測立てんのは好きだけど、情報足りないのは嫌いなんだよなぁ。
「残念ながら、今あたいから話せるのはここまでだ。何か言いたいことはあるか?」
「うーん、レグ姉は勇者の情報を交渉材料に出してるんだよね? 今ので一つだけ推論が出せるんだけど」
ようやく体が動かせるようになってきたので、わたしは体を起こしてレグ姉に向き直り、人差し指を立てて話し始める。え? 服? まだ着ないけど、わたしは裸族でも痴女でもないからね? 後でちゃんと着るよ?
「勇者は本来、人間の中から選ばれるんだよね? それが今代、魔族のしかも魔王の娘であるわたしが選ばれた」
「その通りだ」
「では神様はどの時点で勇者だと認めるのか? 考えられるのは二つ。生まれた瞬間か、お腹の中にいる頃か」
「まあ、生まれた瞬間に刻印があるってなったら、それ以前って事になるからな」
「で、お母様はわたしが生まれる遥か昔に人間だった。これってつまり、前提から間違ってたのかもしれない」
「ほう、つまり?」
「『人間の中から勇者が選ばれる』のではなく、『勇者を産む人材が人間の中から選ばれる』んじゃないかな。
人間だったころ、お母様はそれに選ばれたけど、吸血鬼になって魔王と結婚してしまうというイレギュラーまでは見越せなかったんだと思うよ。神様は万能じゃないって本当だねぇ」
「・・・・・惜しい、惜しいけど違う。それでも、今小出しにした情報だけでそこまで結論を導き出せるか。ったく、さっきあたいを殴った動きと言い、本当に末恐ろしいガキだよ」
レグ姉は少し残念そうに、そして心底嬉しそうに、くつくつと笑いながらそう言った。
なんだよバカにして。そもそもレグ姉が情報を出し渋るのが悪いと思うよわたしは。
「本題に入るけど、どうだい? ますます勇者について知りたくなっただろ?」
レグ姉がニヤニヤしながらキラキラとした目で身を乗り出し問いかけてくる。
なるほどね。情報を小出しにして相手に推測させ、『当たらずとも遠からず』的な印象を持たせて誘いをかける。くそう、詐欺師の常套手段じゃねえか。まんまと引っかかったよ、好奇心が鰻登りすぎて「クーデターぐらい別にいっかなー代替わりって魔王が辞退するか死ぬか殺されるかだしー」って思い始めてる自分がいるよ。
「だが断る!!」
わたしは座っているレグ姉を見下ろすように全裸で仁王立ちになり、腕を組み踏ん反り返って宣言した。わたしの好奇心どーのこーのは口に出してないので、使い方としては間違っていると思う。
「・・・・・なぜだ? 勇者のことだぞ? アスラの心を揺さぶっている一番の原因だ」
「うん、そうだね。正直いうと多感な思春期のわたしには勇者という称号が鬱陶しくてしょうがないよ。この不安を消し去るためにコイツを理解するための情報は喉から手が出るほど欲しい。レグ姉の言うロゼさんの死の真相とやらも、両親が直接関わってるなら知っておきたい」
「だったらなおさらだろ! クーデターに関しては成功するアテがあるし、兄貴のことが心配なら無血革命の予定で計画を練ってどうにかする! その後に会わせるってのも悪い人じゃないし、その人に会うだけで何もかもが解決するんだ!」
「それで? レグ姉の目的は達成されるの?」
ヒュッと、息を呑む音が響いた。どうやら核心を突いたようだし、さらに捲し立ててみようか。
「まあ自分のための理由はあるよ。確かにわたしは魔王を目指しているけど、今ではないと思ってる。成人もしていない未熟な状態でクーデターに臨むべきではないかなって。
それにこれはお風呂の時にも言ったし、お母様にも話した事だけど、勇者の事はわたしの内側の問題であって、わたしが解決すべき事なんだよね? ぶっちゃけ緊急度が低い」
「緊急度が、低い?」
「レグ姉が何を思い悩んでいるのか、両親が何を思って隠し事をしているのか。問題なのは『内容』じゃなくて、『目の前の人たちがそれで苦しんでいるという事』」
「・・・・・」
「特にレグ姉は今、何かに追われるように動いている。何かの宗教に入ったみたいだけど、根拠を持ってそれを信じてるのかな?『その人に会うだけで何もかもが解決する』って本気で思ってるの?」
「・・・・・」
「わかる、わかるよ? レグ姉の信じるそれはレグ姉にとって大きな存在。きっと魅せられたんだね? 見せつけられたんだ。『この人ならなんとかしてくれる』と思わせる存在だったんだよ。具体的にどうしてくれるかもわからないまま、それを信じて突き進んできた」
「・・・・・」
「もう一度聞くよ? それであなたの目的は達成される?」
「黙れぇえええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
レグ姉の絶叫が響き渡る。