近所の竜王と幼馴染
『それで? 外に出れないからってここに家出しに来たのかい?』
魔王城の庭園に立つ一本の樹。その樹には、人ひとりが屈んで通れるだけの穴が空いている。
そこは、魔大陸ではないどこかへ続く異空間への通り道。外出できないわたしが唯一行ける外の世界。
生きた木々が密集して壁となり天井となり、かつて神殿であっただろう遺跡を飲み込んでいる。魔王城の敷地ぐらい余裕でありそうな天然の迷宮は、常に優しい光と柔らかな空気で満たされており、魔族のわたしが素人目で見ても神聖な場所だと思い知らされる。
忘れ去られた遺跡、『世界樹の神殿』と呼ばれる場所である。
「そうだよ。娘への愛情ならともかく、隠し事のために軟禁していたなんて、言うことを聞く意味ないじゃん。ていうか、おじーちゃんも知ってたんでしょ?」
『まあ、今だから話すが、訪ねてきても外には出すなと言われておるのう』
「やっぱグルだったかー」
迷宮の最奥に位置する大広間、そこの木の壁に下半身が埋まっている巨大なドラゴンがいる。カメとかに近い丸みを帯びたその体は、木の根のようなものが絡みつき食い込んでいた。
緑竜王グレガリゴン。自然の系譜を持つ竜王で、叡智を司る神様のようなおじーちゃんである。
『やれやれ、出ようと思えばいつでも出られるだろうに、変なところ律儀じゃのう』
「はて? なんのことやら」
『お前さんがここでコッソリやってる魔法の修行について、わしから報告してやっても良いのだぞ?』
「勘弁してよ、もっと拘束キツくなっちゃうじゃん」
(拘束なんぞ無意味だと思われるだけだろうがなぁ・・・・・)
おじーちゃんが呆れたように鼻を鳴らすけど、それすらも暴風のようだ。あ、臭くはないよ? 光合成で生きてるから、もう100年くらいご飯食べてないんだって。
「それで、わたしへの隠し事も無くなったから、図書室を開放してもらうことでその場は許したってわけ。おじーちゃんの蔵書もこれで自由に見れるね!」
『わしの意見とか無視なのね? まあ、ゾルダークの小僧と共謀してた負い目もあるし、断る理由もないがの。それにしたってアスラや。自分が勇者だったことについては何も思わんのか?』
「ごめん、おじーちゃん。今は話せないや」
一応、満面の笑顔で応えてはみたけど、それしか返事ができなかった。
黙って見上げるわたしと、黙って見下ろすおじーちゃん。
数秒の沈黙が流れたはずだけど、不思議と長く感じられた。
『・・・・・まあいい。そこの角を曲がった遺跡に集めてあるから、好きにしなさい』
「ありがとうおじーちゃん! うっひょー失われた古文書の山だあ!!」
両手を上げて子供のようにはしゃぎ、わたしは急いで『書庫』に向かう。今はとにかく何もかも忘れて、おじーちゃん秘蔵の古文書を読みふけってしまおう! 今夜はうちに帰らないよ! 家出だもん! ヒャホウ!
『そういえば、ジークの坊やもそこにいたっけ? まあいっか・・・・・』
「ん、なんだアスラじゃん」
「んえぇ? なんであんたがここにいるの?」
「オレがここで本読んでちゃ悪いのか」
少し傾いた沈みかけの遺跡。その前に座って本を読む少年がいた。
跳ね上がったボサボサの髪に、吊り上がった目。くたびれ黒ずんだ古い革鎧を着用し、身の丈はあろうかという大剣を足元に置いている(蛮族かな?)。
彼の名はジーク。この迷宮でおじーちゃんを除いた唯一の住人。まあ見ての通り、少なくとも本など読まなそうなヤツだ。
「ちなみに、何読んでるの?」
「〝じのないえほん〟」
「そっか。字、読めないんだ・・・・・」
「そんな憐れむような目でオレを見るなよ、字ぐらい読めるわ」
一つ年上の15才で、おじーちゃんに育てられた『人間』、らしい。一応わたしの幼馴染ということになる。
正直、人間とは思えないんだよね。頭悪いし、馬鹿力だし、防御しないくせに攻撃効かないし、魔族のわたしより魔族らしいよほんと。
・・・・・あ、そうだ。
「ジークあんた、炎の魔術使える?」
「なんだよいきなり。まあ、初級の攻撃なら使えるけど」
「ちょっと試したいことあるから、わたしに向かって打ってみてくれない?」
「はぁ?」
「大丈夫! わたしの服って耐火性あるし、初級魔術程度なら抵抗して無効化できるから!」
「また魔法の実験か? しょうがねえなあ」
さっきのおじーちゃんのようなため息をつきながらも、ジークは本を閉じて立ち上がる。
彼は毎度こうしてわたしの無茶振りを聞いてくれる。年齢が近いこともあって頼みやすいし、剣の模擬戦などでしょっちゅう競い合ってきた仲でもある。
「えっと、なんだっけな。『炎よ、収束し…』」
「初級なのに詠唱しなきゃできないの?」
「うるせえなぁ、付き合ってやんねえぞ」
魔法とは、魔力を消費し奇跡を代行する力。
本来は使用者のイメージのみによって形を成すが、その中でも詠唱や魔法陣などの儀式を通じて補填し行使する『魔術』という技がある。魔術とは魔法の学問であり、四元素を含む基本の8系統と、そこから枝分かれし派生する無数の系統に分類される。
まあ要するに、使用者がイメージしにくい魔法を再現できる技術だ。理論上はこれで全ての魔法が使える。目の前のこいつみたいに、向き不向きはあるけどね。
「『炎よ、収束し、我が手に集え』」
一節目でジークの手に火が灯り、膨らんだ炎が回転し小さな球を形成する。
「『目の前の敵を穿ち、爆ぜよ。〝ファイアボール〟』」
二節目と魔術名を唱えたところで、その手からわたしに向けて火の玉が放たれる。
わたしの服はあらゆる魔法に対して抵抗力があり、特に耐火性は抜群だ。わたし自身の体も、ちょっと魔力を練れば大抵の魔法を無効化できる。
だからわたしは、ただ飛んでくる火の玉に向かって『ある構え』をとる。
激しい音と共に、視界が炎に包まれる。
音と見た目は派手だけど、所詮は誰でも使える初級魔術。そこに大した火力はない。
「・・・・・・・・・・・・・・お前、何してんの?」
彼の反応は正しいと思う。
炎と煙が晴れたそこには、後ろ向きでお尻の上半分を見せつけ、股の下から顔を覗かせるわたしが立っているのだから。
「バカのくせにバカを見る目を向けないでよ。これには深い事情があるんだから」
「年頃の娘がオレに向けて半ケツ出して攻撃魔術受ける事情って何? 流石のオレでも頭の病気を疑うよ?」
「そんなことより、わたしのお尻火傷してない?」
「全くもって無傷だし、なんなら物理的に光ってるよ。今オレは光るケツを見せつけられて泣きたくなってるよ」
「そんな! お尻だけ無抵抗にして受けたのに! 火力が足りないんじゃないの!?」
「そりゃお前のケツは・・・・・ああなるほど」
どうやらジークも何か思い当たったようで、自身の顔を右手で覆うように抑えた。前を見ないようにしてるのか、単に頭を抱えたいのか。
「お前、自分が『勇者』だって気づいたか。それで光の刻印を消そうと」
「そう。どうせ普段見えないとこだし、火傷しちゃえば誰にも知られることないからね」
「わかったから、説明するからとりあえずその光るケツをしまえ。色んな意味で眩しすぎる」
ジークのくせに。
確かにいつまでも痴態を晒す意味も無いので、指摘通りズボンを上げた。同時に周囲を照らしていた光もわたしの下着に収められる。
元の状態に戻ったのを確認した後、ジークはわたしに座るように促し、そのまま説明を始める。
「いいか? お前は検閲がかかってて調べられなかったから知らなくて当然だが、『光の刻印』てのは勇者の証明だ。それを消そうとするあらゆる害を無効化する」
「何そのわけわからん効果、勇者の力ってやつ?」
「そうだ。他にも『成長力の向上』や『魔王に対する攻撃力の上昇』などの効果があるが、さっきのは刻印そのものに付与された力だ」
ジークの説明によると、3代目勇者は優しい心の持ち主でありながら臆病者で、わたしと同じようにあらゆる手段で右肘の刻印を消そうとするも失敗。仕方なく魔王討伐に出かけたが、その刻印の効果でさまざまな命の危機を免れたらしい。最初から強いわけではない勇者のための、致命の救済と言うわけだ。
「つまり、わたしは避けようの無い命の危機や、防ぐことのできない攻撃を、このお尻で無効化しろと?」
なんと言うことだ。例えばわたしでは絶対に勝てない敵が現れたとして、
『だいたい相手が死んじゃうアタック! 死ねい!』
『もう、だめだ・・・いや、まだだ! まだわたしにはこれがある!』
とか言って敵にお尻を向けなければいけないのだ。死にたすぎる。
「ちなみに勇者は自殺もできないぞ」
「逃げ場はないのかよチクショウ!!!」
おのれ勇者、ここまでわたしを苦しめるのか! 勇者はわたしだけど! あっだめだ、これ言ったら鬱になりそう・・・・・。
「まあ検閲も解けたんだろうし、グレ爺から許可ももらったんだろ? ここで勇者について調べて、気がすむまで悩んでろよ」
「ジークは良いよね、悩みなんかなさそうで」
「バカ、オレだって微妙な立場なんだぞ? 魔王と交流のある竜王に育てられた人間って、どう言う人生を送れるのって話だよ」
「ぐぅ、こんな奴にアドバイスされる屈辱! しかも一丁前に悩んでやがる、ジークのくせにぃ」
「まあ、オレの方が年上だし?」
「一コしか違わないじゃんよぅ・・・・・」
落ち込んでいてもしょうがないので、震える膝を押さえつけ、ゆっくりと立ち上がる。
「ごめん、一回帰る。帰ってお父様ぶん殴ってくる・・・・・」
「おう、魔王陛下によろしくなー」
家路に就く足取りは重く、さながらわたしは罪人のよう・・・・・裁かれるのはお父様だけどね。待ってろクソ魔王!
※用語集
・世界樹の神殿
この世界のどこかにあると言われている、生きた迷宮。現在は魔王城庭園からの転移門でのみ、その存在が確認されている。外に何があるかは迷宮の住人のみが知っており、同時に最大級の秘匿とされている。
・竜王
この世界の最強種である、ドラゴンの王。ドラゴンの中でも会話できる知性を持ち、多種族との交流もするが、基本的に気まぐれであり中立である。