7.城ケ崎さんはかわいいな
やがてぼくらは自宅内の模擬ファッションショップへたどり着く。
城ケ崎さんは、それまでの会話を忘れたように、途端に集中して、服をあちこちから取り出しはじめる。
「城ケ崎さんって、本当に、服が好きなんだね」
「まあね。昔から、ずっと憧れてたから」そう言ってから、彼女はふと、自分の指先を見た。そこには、絆創膏が張られていた。その茶色い絆創膏は、針で突き刺してできた傷を覆っている。「でも、ダメだね。裁縫も、あんなに下手くそだし。自分でもわかってるの。わたしは、城ケ崎日出子のように、シズエ・ジョウガサキにはなれない」
しゅん、と城ケ崎さんが肩を落とす。
そんなことないよ、なんて、簡単な慰めは出来なかった。
ぼくにもかつて、夢があった。
ぼくの夢はスポーツ選手だった。
その夢は、一向に大きくならない体と、ろくでもない運動神経のために、小学校高学年であきらめた。
彼女は確かに不器用で、裁縫だってろくに出来ない。
ファッションは好きなようだけど、その才能は、よくわからない。
人には、向き・不向きがある。
彼女の母親がそういうように、城ケ崎さんにはおそらく、ファッションデザイナーは、向いていないのだ。
「でも、だけど、夢を諦めるのって、つらいよね」
城ケ崎さんがぽつりと言う。
その気持ちはわかる。わかるけど、ぼくにはどうにもできない。
「他の夢を見つけることだって、できるよ」
「どんな夢?」
ぼくのお嫁さんとか。
とは、さすがに恥ずかしすぎて、言えなかった。
そうして、どんな夢が彼女に合うだろうかとぼくは考え、そうして不意に、天啓が降りてきた。
「ファッションモデルとか」
自分で口に出しておいてなんだけれど、それだ、と思った。
それなら、不器用な城ケ崎さんにだって出来る。
彼女は服の組み合わせや着こなしを考えるのが好きだ。ファッションモデルは、それが実際にできる仕事だし、しかも彼女の美貌や、素晴らしいスタイルだって生かすことができる。
天職じゃないか、と思うほどだったけれど、城ケ崎さんの顔は浮かなかった。
「モデル、か。……倉田くんも、お母さんと同じこと言うんだね」
「嫌なの?」
「だって、モデルなんて、……すっごくキレイな人たちばかりじゃない。わたしなんて無理だよ」
きみが無理なら他の誰だって無理だ。と、ぼくは思うけれど、実際のファッションモデルの世界をよくは知らない。
好きになった相手に対するひいき目だってある。
「でも、興味はあるんだろ? なんたって、同じファッションの仕事だし」
「まあ、ないこともないけど……、でも……」
どうも、煮え切らない。だんだんなんだかもどかしくなってきて、ついぼくは言ってしまう。
「じゃあさ、いま、いつもぼくにやってるみたいに、自分の服を選んでみれば。それで、向いてると思えば、モデルの道を選んでみればいいじゃないか」
「うーん……」と最初はいまいち乗り気じゃなかったが、やがてひとつうなずいて、彼女は言った。「わかった。やってみる」
そうして、服を選んできた城ケ崎さんは、試着室の中へと消えた。
ぼくはカーテンの向こうで、いつも城ケ崎さんがそうしているように、ソファーに座って、彼女が出てくるのを待つ。
着替えながら、カーテンの向こうから、城ケ崎さんが話しかけてくる。
「なんだか、思い出すな。むかし、母さんの仕事がここまで忙しくなかったころは、よくこの家にもお客さんを連れてきててね。その中に、モデルの人とかも、結構いたんだ」
「そうなんだ」
「そう。まさに、この部屋で、小さなファッションショーみたいなこと、やってたの。思えば、わたしはたぶん、その場所にいたから、ファッションデザイナーにあこがれはじめたんだろうね。お母さんが、彼女たちの服を選ぶ。そしてきらびやかな姿になって、モデルの人たちがこのカーテンの向こうから現れる……」
「ちょっと、想像できないな」と、閑散としたこの部屋しか知らないぼくはそう答える。
「いま考えても、夢みたい。子どもの頃のわたしは、もっと訳がわからなかったはず。聞いたことのない言葉を話すキレイな人たちが、わたしのうちに着て、素敵な格好をして、楽しそうに歩き回るんだもの。お母さんってすごいんだな、って思ったし、モデルの人たちってキレイなんだな、って、考えたのを覚えてる」
それは確かに、城ケ崎さんの美しい思い出の話だった。
だがその話の何かに引っかかった。
なんだろう。
「だから、わたしなんかがモデルの真似事をするのって、どうなんだろう」
いつもファッションデザイナーの真似事をしているくせに。そんなことを指摘しようとした瞬間に、ふと、気づく。
「城ケ崎さん……もしかして、モデルってみんな、城ケ崎さんのうちに来たような人たちだと思ってる?」
「……違うの?」
その返答を聞いて、ぼくはつい、頭を抱えた。
ぼくは、本当のところを知らない。
いま、彼女の思い出話を聞いただけだ。
でも、推測することは出来る。
城ケ崎さんの思い出話に出てきたモデルたちは、きっと、世界的なデザイナーであるところの、ヒデコ・ジョウガサキが連れてきたモデルのはずだ。
それはもちろん、青い目をして、あるいは黒い肌をして、日本語ではない言語を話す、世界的なファッションモデルなはずのわけで。
つまり、城ケ崎さんは、一番はじめにメジャーリーガーを見て、あんなのにはなれっこないと思い込んでいる野球少年のようなもので。
「……後でいろいろ、きみと話したいことが出来たよ。にしても城ケ崎さん、まだ?」
カーテンの向こうから声がする。
「いや、着替え終わってはいるんだけど……恥ずかしくて……」
何度か、ほら、とぼくはうながした。
しかし、一向に出てこない城ケ崎さんにぼくはしびれを切らした。
「もう、このカーテン、めくるよ」
「あっ、待って、ちょっと待って」
しかしぼくは待たなかった。
カーテンの向こうにいた城ケ崎さんは、チェックのミニスカートに、白いシャツを合わせていた。
その服装は、よく彼女に似合っている。
そうして恥ずかしそうに目を伏せて、顔を赤くした彼女の表情を見て、ぼくはつい、その名前を呼んでしまう。
「城ケ崎さん……」ぼくは何か別なことを口走りかけていた。しかし、危ういところで踏みとどまる。「似合うよ」
「そう? ……なんか、自分でこれ、って選んだ服を、人に見せるのって恥ずかしいな。倉田くん、いつもこんな思いしてたんだね」
「ぼくはその程度じゃないからね。女物の服をきて、しかもかわいいだなんて、きみに言われてた」
「……ごめん」
いざ自分が服を着る側になってみて、やっとその罪を自覚したらしい。
城ケ崎さんはうつむき、小声で謝った。
「もう怒ってなんかいないよ。それに城ケ崎さん、本当に似合ってる」
彼女の顔はまた、赤くなった。
「モデル、きっとなれるよ。だから、他にもいろいろ着て見せてよ」
少しためらっているような顔をしていたけれど、城ケ崎さんは、やがてうなずいた。
「うん」
服を選びに行く彼女の背中を眺めながら、ぼくは考える。
城ケ崎さんのお母さんは、もっと向いているものがある、といっていた。それを選ばない大バカだ、とも。
そしてぼくは、そのお母さんが勧めたのと同じ夢を、彼女に提案したらしい。
つまり、ファッションモデル。
ぼくには、その世界のことはわからない。だけど、その道の天才たる、ヒデコ・ジョウガサキがいうのなら、その言葉にはある程度、信頼できるものがあるはずだ。
ぼくと城ケ崎さんのお母さんが勧めたものが一致している、というこの推測が正しいかわからない。
だけど、まあ、城ケ崎さんのモデルに対する勘違いも含めて、あとで城ケ崎家の二人に、話し合うことをオススメする理由にはなるように思えた。
城ケ崎さんが再び、服を持ってカーテンの向こうへと消える。
今度はどんな格好で出てくるのかはわからない。
どんな格好をしてこようとも次は、城ケ崎さんからもう何度も聞かされていた、あの言葉を言ってやろうと思っていた。
これまでの、復讐というか、お返しとか、今のぼくの本音なんかを込めて。
そしてカーテンが開いた。
「城ケ崎さん」
城ケ崎さんの目を正面から見つめながら、ぼくはその言葉を口にした。
「かわいいよ」
城ケ崎さんは恥ずかしそうに笑った。