5.なのに、そんななの?
城ケ崎さんの広い家の中でも、改めて招かれたその部屋は、実に狭かった。
四畳半ほどのその部屋に、ミシンが三台。
その他にも、どう使うかわからない、だけどどうやら裁縫の機械らしいものが並んでいた。
「この部屋、昔のわたしの遊び場なの」場所を変え、少し元気を取り戻した城ケ崎さんが言った。「子どものころは、お母さんに憧れて、がんばって服とか作ろうって思ってたのね。そしたら、パパも、お母さんも奮発して、こんな部屋を作ってくれたの」
「へえ」
ぼくは感心して声をあげる。さっき厳しいことを言っていた、あのお母さんがそんなことをするのは意外だった。
ちなみに、パパと呼ばれた城ケ崎さんの父親は、すでに母親とは離婚していた。
なんたって、ウィキペディアにそう書いてあった。
同級生の個人情報を、インターネットで知るというのは、なんだか不思議な気分だった。
「なら、城ケ崎さんってもしかして、裁縫は得意なの?」
さっき、城ケ崎さんの母親は、裁縫だってできない、といっていた。
でもそれは、ぼくが考えているよりも、はるかに高いレベルでの話なのかもしれない。
だが、その質問に対して、城ケ崎さんの顔が曇った。
「……あのね、ウソかと思われるかもしれないけど、すごく、練習したんだよ」
城ケ崎さんの腕前のほどは、すぐにわかった。
布をミシンにセットして、いざ縫いはじめようとする城ケ崎さんの姿を見て、ぼくは慌ててその作業を止めた。
「城ケ崎さん、その布のどこを縫う気?」
城ケ崎さんが右手を置いたところは、まさにこれからミシン針が針を落とそうとしている場所だった。
「いや、この端っこのところを、すーっと、ね」
「そのままだと、きみの右手の中指も、すーっと、ティッシュカバーの一部になるよ」
「え、そう?」
そういって布を置きなおそうとすると、せっかく織り込んでいた布の端が、ぐしゃぐしゃになる。
「む、これじゃ縫えない」と城ケ崎さん。
そうして布を引っ張り出すと、じっとぼくの顔を見てから、やがてたずねてくる。
「これってさ、どっち向きに折ってたんだっけ?」
「城ケ崎さん……」
ぼくの呆れた表情を見て取ったらしい。
彼女は頬を膨らませて、不満そうに言う。
「これでも、一時期、真面目に練習したんだから」
「なのに、そんななの?」
「なのに、こんななの」とはいえ、自覚症状はあるらしい。彼女は肩を落として言葉を続けた。「だから、すぐに飽きちゃって……結局、この部屋は、本当にただの遊び場になってしまった」
なら、お母さんもあんな風になるわけだ、とぼくは思う。
そうしてぼくは、いつの間にかぐしゃぐしゃに丸まっていた、彼女の布をその手から取り上げる。
「ほら、城ケ崎さん、ぼくに貸してみて」
ぼくは、どちらかといえば縫物が得意だ。
小学校の高学年の頃、運動音痴を自覚したぼくは、それまで所属していた野球クラブを辞め、手芸クラブに転属していた。
あまり真面目な活動をしているクラブではなかったが、それでもミシンなど、道具はそろっていた。
そうしてぼくはそのクラブで、結構熱心に活動をした。
布の一部を織り込み、ミシンでその上から縫う。そのぐらいは、お手のものだった。
縫い終わった部分を城ケ崎さんに見せると、なんでもない出来なのに、彼女は拍手をした。
「すごい、倉田くん。こんなの、お母さんにも出来ない」
「……さっきも言ってたけど、それ、ウソだろ」
「本当なんだって。お母さん、本当に、才能だけでやってるんだから。……なのに、あんなに偉ぶってさ」城ケ崎さんは、先ほど、言われっぱなしだったことを思いだしたらしい。 怒っているのか、頬を膨らませていた。「……娘を大バカなんていってさ。そっちが親バカだ、っての」その言葉は普通、ただの『バカ』という言葉とは違う意味で使われる。が、あえてぼくは口を挟まなかった。「お母さんのバカ。親バカ。いじわる。意地っ張り」
「でも、裁縫ぐらい出来ないと、ファッションデザイナーにはなれないってのは、本当じゃないかな」
頬を膨らませている城ケ崎さんにそういうと、その頬の空気が抜ける。
そうして、彼女はしょんぼりとした。
「だよね」
そういうと、彼女はぼくの手から、布を取り返した。
「どうするの?」
「自分でやる。裁縫ぐらい出来ないと、ファッションデザイナーにはなれないから」
その後は、まあ、大変だった。ぎゃあぎゃあいいながら、変なところをミシンで縫ってはその糸を外し、最終的に布は穴だらけになった。
ボタンや、その他装飾をつけるのも一苦労だった。
半ば予想されていたことではあるが、城ケ崎さんは何度も自らを針で刺した。
「倉田くん。痛い」
「そりゃ、ボタンの真下に指を置いたまま、縫い付けようとするからだよ。ちょっと、貸して」
ぼくがお手本で一つ、ボタンをつけるのを、城ケ崎さんは見ていたはずだった。
しかし相変わらず彼女は針で指をつつき続けた。
そしてそのたびにあっ、とか、んっ、とかの色っぽい声を出した。
それでぼくもついどきどきし、一度、自分のティッシュカバーの変なところをミシンで縫ってしまった。
それでも、ぼくの方のティッシュカバーは一日で無事完成した。
一方、城ケ崎さんのティッシュカバーはといえば、その日は結局、完成には至らなかった。
時計はすでに午後六時を回り、ぼくの家の夕食の時刻が迫ってきていた。
その旨を伝えると、ティッシュカバーを針で突き刺しながら、城ケ崎さんが言った。
「ごめんね。長居させちゃって」
「……一人で、大丈夫?」
ぼくはそうたずねた。
どうやら城ケ崎さんは、まだ作業を続けるつもりらしかった。
彼女は本当に、一人きりでティッシュカバーが出来るのだろうか。
「大丈夫。あと少しだし、自分でやってみる。じゃ、また明日」
ぼくは城ケ崎さんに手を振って、その部屋を後にした。
城ケ崎さんは針を持った方の手を振って、布に通していた糸を宙でこんがらがせていた。
そういうところなんだよなあ、と思いながらぼくは彼女の家を後にした。