4.もっと向いているもの
ある日の放課後に、ぼくが帰り支度をしていると、城ケ崎さんが話しかけてきた。
「倉田くん」ぼくが振り返ると、城ケ崎さんがらんらんとした目をこっちに向けていた。明らかに、『修行』をしたいときの彼女の表情だった。「今日、時間ある?」
少し考え、ぼくは首を横に振った。
「今日はダメ」
「どうして?」
「だって今日、家庭科で宿題出されただろう。あれ、時間もないから早く仕上げたいんだよ」
今日の家庭科の授業では、珍しく宿題が出されていた。
お題はティッシュカバー。
あらかじめ宿題として出されるとわかっていたもので、生徒は各々、希望する柄の布を選んだりしていた。
そしてその分、提出までの期間は短かった。
「ああ、あれね。それなら大丈夫、うちでやればいいじゃない。ミシンとか、あるし」
ぼくはじっと彼女の顔を見つめた。
「そんなこと言って、また、変な服を着させようとするんだろ」
「そんなこと、しないって」
そう言ってえへへへ、と笑う城ケ崎さん。
やっぱり美人だ、とぼくは思う。
そんなわけで、結局のところ、ぼくは誘いに乗った。
もうずいぶんと通いなれた城ケ崎さんの家へと足を運ぶ。
はじめて彼女の家に訪れてから、すでに二か月が経っていた。
そしていつものようにぼくらはお茶を飲み、それからもちろんティッシュカバー製作などはじめず、城ケ崎さんの強引な手に導かれて自宅内の模擬ファッションショップで服を見繕っていた。
そのとき、不意に誰かの気配がした。
こつん、と誰かの足音がして、振りかえる。
その部屋の入口に、はじめて見るはずなのに、なぜか見覚えのある女性が立っていた。
「あ、お母さん」
ぼくの隣で城ケ崎さんが言う。
そこにいたのは、グレーのレディーススーツを着こなした、城ケ崎さんよりもさらに背の高い女性だった。
面識がないのに見覚えがあったのは、ぼくが何度かネットで検索をし、ウィキペディアの写真でその顔を見たことがあったからだ、と気付く。
これが、城ケ崎日出子か。
世界でも名を知られている、ヒデコ・ジョウガサキ。
城ケ崎さんに似て、いや、城ケ崎さんがこっちに似たのか、とにかくえらく美人だった。
「何やってるの、静江。こんなところで」そうしてちらりとぼくへ目を向ける。「彼氏?」
そう聞かれた城ケ崎さんは、ううん、と首を横に振る。
「クラスメイト」
不本意ながら、そういうことになる。
ぼくははじめて会う城ケ崎さんの母親に、深く頭を下げた。
「クラスメイトの、倉田です」
お母さんの方も、ぼくにお辞儀を返してくれる。
「どうも、ご丁寧に。静江と親しくしてくれて、ありがとね。この子、ただのバカじゃなく大バカだから、一緒にいるの大変でしょ?」
「そんなことないよ」と城ケ崎さん。
「そんなことあるの。ね、倉田くん」
似たような顔に、似たような声で、真逆のことを言われてぼくは戸惑う。
「それで静江、あなた、ここで何してるの」棚から取り出され、広げられた服をながめて、城ケ崎さんの母親は眉をひそめる。「また私の服を使って、いたずらしてたんでしょ」
「いたずらっていうか……」珍しく、城ケ崎さんの歯切れが悪い。「ファッションデザイナーの修行、っていうか」
「また、そんなこと言ってる。服の組み合わせを考えてるだけじゃ、デザイナーなんて、なれないの。ファッションのあらゆる面に精通する必要がある。だいたい、静江」と、母親は城ケ崎さんの制服の袖を軽くつまんだ。すでに衣替えを迎えており、城ケ崎さんが来ているのは、夏服の、白い半そでのシャツになっていた。「袖のところ、ほつれてる」
「あ、ほんとだ」
城ケ崎さんは、どうやらそのときはじめて気づいたらしい。
それを見て、母親がため息をつく。
「と、まあ、あなたには根本的に向いていないんだって。自分に格好にだって気が回らないんだから。あなた、裁縫だって出来ないでしょ」
「それは、母さんだってそうじゃない」
「そうよ」と城ケ崎さんの母親は大きくうなずいた。出来ないんだ、とあっけにとられているぼくの前で、彼女は自信満々に言った。そのときの彼女は、母親、というよりは、城ケ崎日出子だった。「裁縫も出来ない。素材に詳しいわけでもない。服のつくり方なんてろくに知らない。はっきりいって幸運と、天性のセンスだけで私はここまで来た。だから、天才と呼ばれるの。あなたにはそんな才能、ある?」
悔しそうに城ケ崎さんは唇をかんだ。
どうやら何も言えないらしい。
代わりにぼくが、何か言い返してやろうと思った。
別に、城ケ崎さんのお母さんがムカついたとか、そういうわけじゃない。
だけど、好きな子がただ言われっぱなしなのを見ているというのも、悪い気がする。
せめてぼくぐらいは、彼女の味方をしてやりたかった。
「でも、城ケ崎さんのお母さん」城ケ崎日出子の目がこちらに向く。「ぼく、たまにここで城ケ崎さんに見繕って服を選んでもらって、試着させてもらってますけど。結構、いいセンスしてると思いますよ」
「そう?」と彼女は周囲の床に並べられた服を一瞥して、言った。「なぜだか、女物が混じってるみたいだけど。それがいいセンスと呼べる? 呼べないでしょうね」
それでぼくも、何も言えなくなってしまう。
城ケ崎日出子には、どうやら敵わないようだった。
やがて城ケ崎日出子から、母親の目に戻って、彼女が言った。
「別にいたずらするな、っていってるわけじゃないけどさ。ちゃんと片しておきなさいよ」
城ケ崎さんにそう言い、ぼくに再び目を向ける。
「静江のこと、よろしくお願いしますね。この子こんなのだから、本当に友達が少なくて」
「お母さん」と城ケ崎さんが口をはさむけれど、母親は意に介さない。
「この子の味方をしてくれて、私も嬉しかったよ、倉田くん」
ぼくはどんな顔をしていいのか、わからなかった。
喜んでいいのか、悪いのか。
城ケ崎さんのお母さんは、やがてぼくらに背を向けて、部屋を出ていこうとする。
その背中に、城ケ崎さんが言った。
「お母さん、今日も遅いの?」
「めっちゃ、遅い。悪いけど、ごはん食べてて」
「わかった。あとさ、わたし、デザイナーになる夢はあきらめないから」
城ケ崎日出子は、部屋の入り口で振り返り、冷たい表情で言った。
「だから静江、あなたは大バカだって言ってるのよ。もっと向いてるもの、あるのに」
そう言い残して、城ケ崎さんのお母さんは去っていった。
後に残されたぼくらは、いつものように能天気に、一対一のファッションショーで遊んでいる気にはなれなかった。
「……宿題でもやろっか」
城ケ崎さんがそう言いだし、散乱した服を片付けると、その部屋を出た。