2.女物の服を着せたこと、それ自体
はじめて城ケ崎さんの家へと上がり込んだぼくは、結構、緊張していた。
何しろ、好きになりはじめていた子と二人っきりだ。
噂のとおり、はじめに二人でお茶を飲んだ。
城ケ崎さんが淹れてくれた紅茶を口にしながら、会話を行った。
「城ケ崎さんのお母さんって、デザイナーなんだって?」
「うん。城ケ崎日出子。といっても、業界の人しか知らないかもね。ヒデコ・ジョウガサキなんていって、カッコつけてるけど」
あとで調べると、特に女性ファッション界で有名らしい、世界的なファッションデザイナーだった。
この家の豪華さだって、そりゃそうだと納得できるぐらいの。
「城ケ崎さんも、デザイナーになりたいの?」
「うん。別に、母さんみたいになりたいわけじゃないけど」そういって頬をぽりぽりとかいてみせた。「母さんの仕事、見てると楽しそうだし。デザイナーっていう仕事には、あこがれてるの」
そんな会話を終えると、噂に聞く、自宅内にあるファッションショップもどきの部屋へと向かった。
そこには大量の服が並んでいた。
最初にぼくの寸法を測った後で、あちこちの棚を回り、城ケ崎さんはいくつかの服を選んできた。
「やっぱり、倉田くんの体格に合わせる服って難しいかもね。市販だとサイズ自体、少ないんじゃないの?」
「そうなんだよ。城ケ崎さんのうちには、ある?」
「ま、それなりには。これなんてどう?」
黒いスーツ風の服がぼくに渡され、ぼくはおとなしくそれを着た。
試着室の鏡で見ると、それなりにキマっているようにも思える。
照れながらも、ぼくは試着室のカーテンを開けた。
「あ、いいじゃん。いいね、それが似合うなら、いろいろ、選択肢が広がる」
「そんなものかな」
「そうだよ。ちょっと待ってて」
そう言ってしばらくぼくの前を離れた城ケ崎さんは、やがて大量の服を抱えて現れた。
「これ全部、試してみない?」
その量にぼくはあっけにとられていたが、まあ、城ケ崎さんと一緒にいられるならそれでいいかと思い、了承した。
ぼくだって、服が嫌いなわけではないし。
……本当によかったのは、そのあたりまでだった。
一時間ほど城ケ崎さんの持ってくる服を着続けたぼくは、服に妙なものが混じっているのに気づきはじめた。
その前にも、おかしいな、と思うものはあった。
例えば、やけに細身のジーンズだったり。シャツの合わせが逆だったり。
さらにはやけに胸元が広がっていた服だったり。
要するに、それらの服はどうやら、女物だった。
それでも最初のうちは、サイズしか確認してこなかったのかな、とか、持ってきた多くの服に紛れ込んでいたのかな、と思っていた。
そんな服でもおとなしく着てみて、城ケ崎さんに見せた。
すると城ケ崎さんも別に変だとは言わなかった。
だから、ぼくがレディースとメンズの区別がついていないだけかと思っていた。
だが最終的に、絶対に男がはかないであろう、裾に可愛らしい加工が施されたショートパンツを発見し、ぼくは城ケ崎さんに言った。
「ね、城ケ崎さん。これ、女物が混じってる」
「ん? ああ、うん」うん、だって? ぼくは彼女の顔をまじまじと見た。すると平然として城ケ崎さんは言った。「いや、それも、倉田くんには似合うと思って」
「似合うって……レディースだよ?」
「うん。それが?」
ぼくの頭の中に、あのクラスメイトの声がこだました。
マジで大変だぞ。
城ケ崎さんは、ぼくに笑顔を向けると、傍らから、何かひらひらとしたピンクの布を取り出した。
それは、ピンクで多くのプリーツの入った、ミニスカートだった。
「こういうの、どうかな? 少し倉田くんには派手すぎるかな?」
ぼくは何も言わずに、試着室の中へと戻った。
そのとき着ていた黒く細身のジーンズを脱ぎ、二の腕から先が薄い生地で透けている、白いシャツを脱ぐ。
これもきっと間違いなく女物だった。
ぼくは自分がここへ着て来た制服へと着替えた。
試着室を出ると、城ケ崎さんは不思議そうな顔をしていた。
「あれれ? どうしたの、倉田くん」それから時計へと目をやる。ぼくらがこの家へ来た午後四時半から、すでに一時間半が経過していた。「あっ、もうこんな時間か。帰らないと、だね」
ぼくは城ケ崎さんの顔を見つめた。
そうして、はっきりと言ってやった。
「城ケ崎さん。男のぼくに、女物を着せて喜んでるなんて、はっきりいって、変だよ。そういう趣味、あるの?」
城ケ崎さんは少し、悲しそうな顔をした。
ぼくの心もかすかに傷んだ。
でもそのときは、怒りの方が大きかった。
「そういうわけじゃないけど……ただ、似合うな、って思って……」
「だとしても、ぼくに一言ぐらい言うべきだよね。……帰る」
ぼくは城ケ崎さんへ背を向け、彼女の家の玄関へと向かった。
やがて、背後から城ケ崎さんの声が聞こえた。
「ごめんね、倉田くん。また、明日」
ぼくは背中を向けたまま、彼女にうなずいて答えた。
家に帰ってから、少し、言いすぎだったかな、と思った。
その翌朝、城ケ崎さんはぼくを見つけると、すぐに近寄ってきた。
「倉田くん、昨日は本当にごめん。ああいうこと、もうしない」
目をつぶって両手を合わせる彼女のことを見ていると、つい、許したくなってくる。
「まあ、悪気があったとは、思ってはないけどさ……」
「うん、わたしが悪かったの。先に倉田くんに言っておくべきだった。何も言わずに、じゃ、そりゃあ、嫌だよね」
ぼくはまじまじとその顔を見て、城ケ崎さんに言った。
「城ケ崎さん、そういう問題じゃないんだけど……」
「え? 違うの?」
よく理解していないらしい彼女に、ぼくはどう言ったものかと迷う。
「ぼくが怒ったのはさ、……」と、口にしてみて、なんだかよくわからなくなる。怒りの原因の分析をするのは、案外難しい。「言ったからとか、言ってないからとかじゃなくて、その、……」と周囲のクラスメイトの存在を気にして、小声になる。「女物の服を着せたこと、それ自体にあるんだよ」
「えー? あんなにかわいいのに?」
彼女的には褒めているらしいが、むろん、ぼくはうれしくもなんともない。
「そういうものではないの」
「そっか。それなら、本当に、ごめんね。わたし、嫌なことさせちゃったんだね」
とはいえ、城ケ崎さんには反省している気持ちはあるらしい。
ぼくは彼女を許すことにする。
「あ、でもさ、でもさ、それなら、男物の服を着るんなら、うちにまた来てくれるってことだよね」
今度のは、そういうことじゃない、とも言いきれない。
きちんと謝り、こっちの気持ちもわかってもらったこともあるし、城ケ崎さんに対する気持ちが変わったわけでもない。
「まあ、そうだけど」と若干口ごもりながら、ぼくが言うと、城ケ崎さんはにっこりと笑う。
「やった。じゃ、今度は倉田くんにもわからないような、女物の服を混ぜてみよう」
ぼくが城ケ崎さんをにらむと、彼女は手をひらひらとふって答えた。
「さすがに、うそうそ、冗談だって」
それが冗談に聞こえない城ケ崎さんでもある。
ぼくは小さくため息をついた。