子爵令息は伯爵令嬢に婚約解消をされた
初めて彼女に会ったのは10歳の時で、サラサラな濃紺の髪と朝露のように綺麗な水色の瞳にすぐに恋に落ちた。自分より家格が上の伯爵家の娘だというのに彼女は偉ぶった所がなく自分が何かをしてあげると決まって嬉しそうに「ありがとう」と言って微笑んでくれた。
そんな彼女がある日庭の隅で泣いていた。
理由を聞いたら友達だと思っていた子が彼女のいないところで陰口を言っていたらしい。
俺は泣いている彼女を慰めたくて手をとると水色の瞳を真っすぐに見つめてキッパリと言い切った。
「俺は絶対に陰口なんか言わない!だから泣かないで?」
そう言って頭を撫でると彼女はコクンっと小さく頷いた。
それから俺たちは頻繁に遊ぶようになり伯爵家の一人娘である彼女と子爵家の三男である俺の婚約はとんとん拍子に決まり俺は自分の幸運に感謝した。
何より彼女も俺との婚約を喜んでくれたのが嬉しくて両親が呆れる位にはしゃいでいた。
凛としているのに時折見せる可愛いらしい仕草も、失敗した時に照れたように微笑う表情も、自分を呼ぶ時の愛しさを含んだ声も、彼女の全てが好きだった。
それなのにあの日俺は彼女‐メルディーネ‐から婚約解消を突き付けられた。
あの日、学園の卒業記念パーティーへ向かった俺は機嫌が悪かった。
というのも婚約者であるメルディーネのエスコートをできなかったからだ。いくら生徒会の仕事があるからとはいえパーティーに婚約者がエスコートなしで登場するなど醜聞だ。俺の容姿は整っている方だがメルディーネは美しい上に成績優秀、品行方正で婚約者の俺がいるにも関わらず人気があった。当の本人が全く気付いていないのがまた可愛いところではあるのだが俺は内心気が気じゃなかった。
エスコートなしでパーティーなんか行ったら勘違いした男共がメルディーネに言い寄る危険性がある。憮然としながら会場入りした俺はすぐに愛しい婚約者の姿を発見した。パーティーのためドレス姿をしたメルディーネはいつにもまして清楚で美しかった。
だが学園に入学して悪友に誘われるまま堕落していった俺はいつしか優秀なメルディーネに嫉妬して冷たい態度をとるようになってしまっていて、子供の頃のように素直に気持ちを言うことができなくなっていた。だからまた心ない言葉で彼女が嫌がることを言ってしまい俺は内心臍を噛んだ。
しかしこの日メルディーネは彼女のコンプレックスである貧乳を馬鹿にしても平然と笑っていた。そして訝しむ俺に強烈な3人の女性を紹介するという暴挙に出たのだ。
白状すると俺はメルディーネ以外の女と関係を持っていた。初めは思春期特有の好奇心からで複数人と関係を持っている女を悪友に紹介され一線を越えた。快楽を覚えた俺はいつかメルディーネを抱くときの予行練習と称して言い寄ってくる女と次々と関係を持っていき、気が付いた時には遊び人というレッテルを貼られていた。
俺からしてみれば女の方から近づいてくるから遊んでやったという感覚だったので非常に不本意だった。しかも噂を聞きつけた実家の子爵家からも態度を改めるように再三連絡があって辟易した。
だが俺の不名誉な噂を知っているだろうメルディーネは俺を責めることはせず、定期的に交流を持とうとする態度も変わらなかったので俺は完全に舐め切っていた。
その油断が卒業パーティーでの惨事だ。
メルディーネは何故か俺が巨乳好きだと勘違いをしていて、こともあろうに婚約者の俺に胸のデカい3人の女を紹介してきたのだ。
そう、胸は確かにデカかった。みんな大好きメロン、スイカ級だ。だがアレはない!
一人目は大玉転がしのようにとにかく丸く、二人目は目に染みるほどの異臭を放ち、三人目は顔面がホームベースなおかめだった。端的に言って3人とも激烈にヤバかった。俺が脳内で喜劇さながら全力でツッコミを入れても間に合わない位マジ半端なかった。
だが婚約者の俺に嬉々として女性を紹介するメルディーネは、ここ最近見ていなかった満面の笑みを浮かべていて俺は思わず見惚れてしまう。
強烈な3人の女性に唖然としていたのもあるが俺はまだこの時はメルディーネの悪戯だと思っていた。どうせ卒業すれば結婚するというのはメルディーネにとっても変えられない事実なので、散々遊んできた俺に最後にちょっとだけ意趣返しでもしたのだろうと考えていたあの時の俺はなんてお気楽だったのだろう。
意趣返しとはいえちょっと悪戯が過ぎるなと考えメルディーネへ伸ばした俺の手は彼女に避けられ体勢を崩し、あろうことか例の3人の胸を掴み更にそこへ顔を埋めるという失態を犯してしまう。
黄色い声を上げる3人に周囲は俺が我慢できずに手を出したのだと思い蔑むような眼差しを向けてきた。焦った俺は声を荒げて訂正する。
「ふ、ふざけるな!これは誤解だ!!大体俺にはメルディーネという婚約者がいるだろうが!俺は婚約者一筋だ!」
しかしそんな俺にメルディーネは冷ややかな視線で爆弾を投下してきたのだ。
「まあ、レオナルド様からそんな殊勝なお言葉が聞けるとは思いませんでしたわ。今まで散々巨乳の彼女をとっかえひっかえしてらしたくせに。でも今更ですわね。私と貴方様との婚約は昨日正式に解消されましたのよ?ラウス子爵から聞いていませんの?」
メルディーネの言葉に俺は目を見開いた。
嘘だと思いたかったが次々と暴露される俺の非道な行いと婚約解消の証拠、更にはメルディーネの新たな婚約者の登場に俺は縋るように彼女を見た。だがメルディーネの隣には勝ち誇ったように佇む彼女の新しい婚約者、ミゲル侯爵家のマーティンがいて俺に侮蔑と憐みの眼差しを向けていた。
「私、レオナルド様が初恋で大好きだったから…でももう解放してあげますわ」
(違う!違うんだ!メルディーネ!俺は君と婚約解消なんて望んでない!俺以外の男の手なんか取らないでくれ!こんなに好きなのに!!)
彼女の言葉に頭の中で必死に弁明を考える。メルディーネを失う恐怖に俺は今までのプライドを投げ捨てて自分の素直な気持ちを伝えようと思った。
「解放しなくていい!婚約解消なんて…っつう!!」
俺の言葉はマーティンに膝下を蹴られた痛みで途切れた。そして痛みで悶絶する俺にメルディーネが放ったあの言葉。
「自分のコンプレックスをバカにする人間をいつまでも好きでいられると思う?胸の大きさで女性を選ぶなんて最低。死ねばいいのに」
初めて聞いたメルディーネの冷たい声と俺に対する辛辣な言葉に、ただ呆然とするしかなかった。
俺は彼女が貧乳をそこまで気にしているとは思っていなかった。俺にとっては愛すべき彼女の一部だし、貧乳だと貶めることで彼女に懸想する男達の興味をなくさせていたつもりだった。
だが俺の行為は彼女の心を俺から離れさせただけだったのだ。
俺ではない男と手を繋ぎ離れていくメルディーネの後ろ姿を見送った俺の傍らには、あの強烈な3人が鎮座していた。
あれ以来自分は遊び人の称号にゲテモノ好きのレッテルまで貼られてしまい言い寄ってくる女はパッタリといなくなった。
俺と付き合ったらゲテモノ認定されると思っているらしく、ただ挨拶をしただけで脱兎のごとく女に逃げられる毎日に俺は乾いた笑いしか浮かんでこない。
少し前までは俺の端正な容姿に惹かれて擦り寄ってきた女たちに加えて悪友たちでさえ俺を嘲笑していることに俺は苛立っていた。
そういえばあの卒業パーティーで終始俺に纏わりついて俺がゲテモノ好き認定されるきっかけを作った3人はあの日以降姿を見せることはなかった。
纏わりつかれた俺は次の日から猛アタックが始まるのかと戦々恐々としていたのだが拍子抜けしたことを覚えている。
だが俺の不名誉な噂はいつまでたっても消えなかった。
しかもメルディーネとの婚約が解消された俺はただの子爵家の三男坊で、彼女と結婚して得られるはずだった伯爵家当主の未来も潰えた。そのためなのか昔はやたらと媚を売ってきていた連中が手のひらを返したように冷たくなり、就職先である騎士団でも明らかに冷遇された。
そしてその騎士団もある日嫌味を言ってきた上司を殴りつけたら即クビになった。
当然、実家の子爵家からは勘当された。元々メルディーネとの婚約解消の件で酷く立腹していた父だったが、騎士団をクビになったことでとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
俺は身一つと小さなカバンだけを手に住みなれた王都を後にした。
王都を離れた俺は地方都市を転々とした。
幸い王都を離れれば俺の不名誉な噂も婚約解消の話も知る者はなく、俺は用心棒や土木作業などの仕事をしながら生計を立てていた。ただ頻繁に喧嘩や女性関係でトラブルを起こすのですぐクビになり再就職先を探すため地方都市を転々とせざるを得なかったのである。
王都からだいぶ離れた西の街で職場の同僚を殴り仕事をクビになった俺は最西の街へ来ていた。
時刻はすっかり夕刻だった。
馬車代を浮かすため朝から歩き詰めだった俺は街の郊外にある公園のベンチへ腰かける。
草臥れたズボンのポケットを漁るが出てきたのは小銭だけで今日はこのベンチで野宿をする他なさそうだった。
(忌々しい。こうなったのも全てメルディーネとあの女たちのせいだ…)
舌打ちをして、ふとベンチの横を見れば簡易な柵に囲まれたテントがいくつか並んでいて、端の方には檻のようなものまで見える。
公園に檻?と思いギョッとしたが、立ててあるテントの色合いや形が何やら見覚えのあるような気がして呟いた。
「サーカス小屋?」
ぼんやりと眺めていると、学生の頃付き合っていた女にせがまれて連れていったことがあったなと思い出す。
(あの頃はメルディーネとまだ婚約中でつきあう女も高レベルばっかりだったのに、今じゃ金持ちのババァ相手に小金を稼いでるなんてな…)
そう考えて気色悪さを振り払うように頭を振る。
その場を去ろうとした俺だったがテントの前で踊るある一人のサーカス団員の女に目が留まる。
練習中なのだろう、女は豊満な胸を強調するような際どい衣装を纏いダンスを終えると、ドカっと傍らの椅子へ座り袋から箱のような物を取り出していた。
その箱を見て近くにいた他の団員たちが一斉に女から距離をとったのだが、俺が気になったのは箱ではなく女の容姿だった。
(どこかで見た覚えが…)
そう考えたところで女が箱を開けた。
途端に広がる強烈な匂い。少し離れている俺のところまで漂ってくるのだから女の周囲はたまったものじゃないだろう。
目にまで染みる強烈な匂い。俺はその匂いに覚えがあった。
気が付いた時には柵を乗り越え女の手を掴む自分がいた。
「お前、あの時の超絶臭い女だな!うっ!オエェっ!」
女は忘れようにも忘れられない俺の人生を狂わせた3人の女の一人だった。
腕を掴みながらも臭さで吐き気を抑える俺をパチクリと見た女はやがて何かを思い出したように噴き出した。
「あら~誰かと思えばゲテモノ好きのレオナルド様ではありませんか。すっかり変わってしまって全く気がつきませんでしたわ」
憐れむような視線を投げかけてきた女に俺は臭さも忘れて激高する。
「ふざけんな!お前らのせいで俺がどれだけ迷惑したと思ってるんだ!」
「「私たちが何をしたと言うの?」」
俺の言葉に答えたのは目の前の女ではなかった。
後ろを振り返ると見覚えのない巨乳の女が二人、腕を組んで佇んでいる。
「なんだお前ら…俺が話してるのはお前らじゃない、この女だ」
睨みつける俺に女は不敵に微笑んだ。
「私たちには関係ないの?本当に?」
「さっきお前らって言ったくせにー?」
「何?」
訝しむ俺に女の一人が凄い勢いで脱脂綿を口に含んでゆく。女の行動の意味が解らず呆然とする俺の前で女の顔がみるみる膨らんでパンパンに丸くなった。その顔は紛れもなくあの日メルディーネが俺に紹介してきた大玉転がし女だった。
「な…!?」
唖然とする俺を他所にもう一人の女がどこから持ってきたのか大きな被り物を頭からスッポリと被った。
その被り物の顔を見て絶句する。メルディーネに紹介された3人目の女。そのホームベースのような顔は忘れようにも忘れられない、そして歪な顔のパーツも。それはひょっとこの相方おかめだった。
「まさか…!?」
驚愕に目を見開く俺の前では、掴んでいた手を払いのけた女が持っていた箱の中から魚のようなものと果物のようなものを取り出した。
強烈な匂いはどうやらその魚と果物から放たれているようで思わず顔を背ける。
「味は絶品なのよ?アレ以来はまっちゃって」
そう言うと異臭を放つ果物の方をパクリと一口頬張った。
「匂いさえなければね~、みんな涙目で逃げてんじゃん」
異臭女に大玉女はあれだけの脱脂綿を口に入れているにも関わらず平然と話しだす。そういえばあの時もまるで違和感なく話していた。
強烈な匂いに涙目になった俺に大玉女が近づき、おかめ女が被り物の鼻をヒクヒクと震わせる。被り物なのに鼻が動くさまに俺は驚きを隠せない。
「アタシはもう慣れたけど、近くで嗅ぐとやっぱ強烈だわ~」
「それ『くさや』と『ドリアン』っていうんだっけ?うう~私はまだ慣れないー」
「アンタ、そんなデカい被り物してるのにダメなの?」
「この被り物、団長が精巧に作り過ぎてて視覚も嗅覚も聴覚もバッチシなのよう!」
「そういえば私が着ていたおデブの着ぐるみもすっごく動きやすかったわね~」
「団長ったらあの時すっごい張り切って作ってたものね。2人の見てちょっと羨ましかったのよね」
大玉女とおかめ女に異臭女が羨ましそうに口を尖らせる。
「ああ~、アンタはその『くさや』と『ドリアン』をドレスに仕込んでおけって言われただけだったもんね~」
「そうなのよ!いつもと全然違うメイクはしてくれたけど不公平だと思ったわ」
「仕方ないじゃない。アンタ私みたいに皮膚伸びないから脱脂綿詰め込めないし?」
「私みたいに小柄じゃないからおかめの被り物被っても違和感ないしー」
「そうだけどー」
あははははと笑い合う3人に俺は頭の中が真っ白になる。
「お、お前ら!なんだよ!?全員グルだったのかよ!」
俺の言葉に異臭女が鼻で笑う。
「そうよ?今更気づいたの?」
「俺を嵌めたんだな!」
「嵌めてなんかいないわ。私たちはメルディーネ様に貴方を紹介されたけど好みじゃなかったから付き合わなかっただけよ」
「何だと!?そんな変な被り物や嘘の匂いまでさせて俺を貶めた癖に!今すぐ慰謝料払ってもらうからな!」
そうだ!俺に不名誉なレッテルを貼った慰謝料をふんだくってやる!俺はそう思い3人の女に指を突き付けた。
しかし女たちは動じる風もなく大玉女が反論してきた。
「私たちが何をしたというの?私たちは貴方のように浮気をしたわけでも、婚約者を傷つけたわけでもないわ」
「だがお前たちのせいで俺は変な噂が広がって仕事も上手くいかなくて王都にいられなくなったんだ。その責任をとってもらう!」
「ねえ、それって本当に私たちのせい?」
「当たり前だ!」
叫ぶ俺におかめ女が被り物の顔を盛大に歪めた。
「はあ~、あれから随分経つのにレオナルド様は全く成長していないんですねー」
「何だと?」
「いいですか?レオナルド様が、いえもう敬称はいらないですね。だって貴族でも騎士でもないんでしょ?私たちと同じ平民に様はいらないよねー?」
「何故それを…」
「その身なりを見ればわかるって!大方騎士団を辞めさせられて実家からも勘当されたってとこでしょ?」
「だからそれはお前らのせいで!」
「貴方ってさぁ、そうやっていつまで他人のせいにするの?」
冷ややかに言われた言葉に俺の動きが停止する。
そんな俺に女たちは軽蔑の眼差しを向ける。
「メルディーネ様が優秀すぎるからって卑屈になって浮気して、貧乳だってバカにして優越感に浸って、彼女がどんなに歩み寄っても無下にして、その結果が今の貴方の状況を作ったってのがわからないの!?」
「婚約解消されたのも不名誉な噂が消えなかったのも騎士団をクビになったのも全部自分の浅はかな行いのせいだっていい加減気づきなさいよ!」
口内の脱脂綿を吐き出す勢いの大玉女と被り物が大きく揺れる程大声を出したおかめ女の肩に手を置き、異臭女が憐れむような眼で俺を見た。
「知ってる?メルディーネ様はずっと貴方のことが好きだったのよ?」
「だがメルディーネは婚約解消をして俺に辛辣な言葉を…!」
異臭女の言葉に俺は弾かれたように答えたが女は首を横に振った。
「それ程、許せなかったんじゃない?」
「はっ!メルディーネは俺が浮気をしても平然としていたのに!?どうせマーティンと婚約するのに俺が邪魔になったんだろ!?
俺が悪いんじゃない、俺は嵌められたんだ。お前ら全員許さないからな!」
俺が思わず異臭女へ手を上げたのと体が宙に浮いたのは同時だった。
「うちの子たちに手ぇ出すんじゃねえ!」
低い声とともに派手な音がして気が付いたら俺は近くの檻に背中から叩きつけられていた。
痛みに呻き声を上げながら視線を上げると大柄な女が俺の前で拳に息を吹きかけている。
「このサーカスの人間は全員俺の家族だ。俺は俺の家族に手を出す奴には容赦しねえぞ?」
猛獣もチビるだろうという鋭い眼光を放つ女のドレスをおかめ女が引っ張る。
「団長、素になってますよー。その人レオナルドさんですー」
その言葉でハッと我にかえった大柄な女はドレスの埃を払うと口角をあげた。
「ああ、貴方がメルディーネ様の元婚約者だった方ね」
言葉遣いと声音を変えた大柄の女は檻に手をつくと上から俺を見下すようにして言い放った。
「アンタさぁ、どこの世界に好きな男が浮気して許せる女がいると思う?浮気しても平然としていた?我慢してたに決まってるだろうが!!」
最後の言葉を地声に戻し大音声で叫んだ大柄の女の言葉に共感するかのように俺の背後で獣の唸る声が聞こえる。
嫌な予感がして後ろをゆっくり振り返ると檻の中にはキラーパンサーが涎を垂らして俺を凝視していた。
「うわあああああ!」
叫びながらこけつまろびつ檻を離れるとクビ根っこをひょいと掴まれる。
「男だろうが女だろうが貧乳だろうが爆乳だろうが誰だって自分のコンプレックスを突かれたら嫌になるもんだ。だがな、お前が間違ったのはそれだけじゃねえ」
俺を捕まえた大柄な女はコホンッと咳ばらいをすると、溜息を一つ吐いた。
「メルディーネ様は貴方は陰口を決して言わないから信用できるって言っていたわ。
小さい頃、陰口を言われて落ち込んでいたメルディーネ様は貴方が言った言葉に救われたんですって。貴族社会なんて陰口のオンパレードでしょう?きっと貴方が小さい頃に言った言葉を信じたかったんでしょうね。それだけが傷つけられても彼女が貴方を信じる希望の光だった。
それなのに貴方はメルディーネ様のいない所で彼女を悪く言った。覚えていないの?貴方が放課後賭けポーカーに興じている時に悪友達に言ったこと。隣の教室にメルディーネ様がいることなんて夢にも思わなかったんでしょうけど、大好きな人に信じていた人に裏切られたメルディーネ様は絶望したでしょうね」
女の言葉に俺は漸くメルディーネが俺と婚約解消をした本当の理由を知る。
全ては俺が招いた結果だった。今の俺の状況は、輝くメルディーネを見るたびに卑屈になって彼女を傷つけることしかしてこなかった俺の自業自得。
「あ…ああ…」
先程檻に叩きつけられたため全身が痛い。だがそれよりも強い衝撃を受けた俺はフラフラと歩きだす。俺の背に女たちが誰に言うともなく呟く。
「今日は朔の夜だから月は出ないわね」
「雲も多いし星も見えない」
「光がない夜は暗くて怖いよね」
「だから人は光を手放しちゃ生けていけないのよ」
女たちの呟きは夕日とともに闇に沈んだ。
街を出て街道沿いの叢にゴロンッと仰向けになり月も星もない真っ暗な夜空を見上げる。
メルディーネがいる王都の方角を眺めるが視界に映るのは闇ばかりで何も見えない。
俺にとってメルディーネは光だった。穢れなく美しい眩い光。その光を今はもう見ることができない。
「ずっと…好きだったんだ…この手にあったのに…もう永遠に手に入らないんだな…」
そう呟いて俺は静かに瞼を閉じた。
こうして子爵令息は伯爵令嬢に婚約解消された事実を漸く思い知ったのである。
浮気男の結末なので仕方ないのですが、悲恋はやっぱり苦手なので、短編でマーティン視点も書きます。