青い瞳の百合彼女
【登場人物】
吉原優子:高校三年生。クラスの委員長。真面目な性格で自分の筋を通すタイプ。トレードマークは二本の三つ編みおさげ。
リリアン・フェアチャイルド:愛称はリリー。アメリカ出身の転校生。性格は明るく奔放。日本語はそれなりに話せる。
初めて彼女を見たとき、少女マンガに出てくる王子様みたいだと思った。
シルクのような白い肌にプラチナブロンドのショートヘアー。高い頭身と整ったプロポーション。スカートからすらりと伸びた長い足。切れ長の目の瞳は綺麗な青色で、鼻は高く形の良い薄桃色の唇は余裕をたたえるように微笑んでいる。
「リリアン・フェアチャイルドといいマス。気軽にリリーと呼んでくだサイ」
ガラスを弾いたような凜とした声。アクセントに少しクセはあるがそれもまた愛嬌に聞こえる。
リリーは私の隣の席に座ると頬を緩ませてウィンクをしてきた。気取った風でもなくわざとらしくもなく、そのあまりに自然なウィンクはすごく魅力的だった。
思えばこの瞬間から私は恋に落ちてしまっていたのだろう。
リリーが転校してくる前日、私は担任の先生に呼び出された。
明日アメリカ人の女の子が転校してくるのだが、その子が慣れるまでフォローをしてあげて欲しいという話だった。
三年の秋も近づくこの時期に転校生の面倒を見るなんて御免こうむりたかったが、それは転校生自身も同じことだろう。受験前に転校を余儀無くされる身を思えば同情も湧いてくる。それに私はクラス委員長だ。内申のためにも先生のお願いごとは受諾しておくに限る。
というわけでリリーを私の隣の席にあてがい学校生活を色々とサポートしてあげることになったのだ。
朝のHRが終るとリリーの周りにたちまち人が集まってきた。全員女子だ。男子は遠巻きからリリーを眺めては友人同士で何かを囁きあっている。
「どこから来たの?」
「日本語はどのくらい話せるの?」
「日本に来て何年?」
外国人への定番の質問をわいわい騒ぎながら尋ね、リリーが答えるたびに歓声が沸いた。こういうときの賑やかさは女子高生っぽいと思う。あまり得意なノリではないけど。
まぁ私があれこれ質問する手間が省けるのはありがたい。何回も同じ質問をされるのは向こうも嫌だろう。
彼女たちの賑やかな問答を横で聞きながら一時限目の準備をしておく。
予鈴が鳴った。私は手を叩いて女子たちに席に戻るよう促す。
「はいはい、みんな席に戻って。リリーさんに授業のことで色々聞くから」
しぶしぶ散っていく女子たち。みんながいなくなってから私は自分の机をリリーの机にくっつけた。そのときリリーが小さく息を吐くのが見えた。微笑みの消えたその表情はどこか疲れているようだ。まぁ転校生の宿命とはいえ質問攻めにあって楽しいことはない。初日だと慣れていないせいで余計に疲れが溜まったりするものだし。
私は気付かなかったふりをしてリリーに話しかける。
「先生から聞いたかもしれないけど、私が委員長の吉原優子。あなたが慣れるまでは私が色々と教えてあげるから分からないことがあったら何でも質問してね」
「わかった。ありがとう、ユウコ」
親しげな笑みを浮かべるリリー。
初対面で名前の呼び捨てとはさすがに向こうの国の人といったところか。
「えっと、リリーさんが前の学校で使ってたのとは違う教科書らしいから、内容とか一応確認してもらいたいんだけど」
「リリー」
「え?」
「リリーでイイよ。友達はミンナそう呼ぶ」
「あ、うん、じゃあ……リリー」
普段クラスメイトに『くん付け・さん付け』で話している私にはどうにもこそばゆい。そんな近い距離感で接しても大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。
私の不安を打ち消すようにリリーが「good」と流暢に口にした。
授業に関してはリリーは問題ないどころか普通に私よりも頭がよくてなんだか負けた気分になってしまった。
勉強が出来て日本語も話せておまけに容姿も端麗だなんてずるすぎるじゃないか。僻みからつい横目でリリーの方を見やって、息を飲んだ。
綺麗だ、と思った。輝きを増した青の瞳。長いまつげに高い鼻、シャープな顎のライン。黄金比が人の顔に適用されたらこうなるのかもしれないと思わせる整った顔立ちは芸術品のようで。私はうらやましいとさえ思うことなくリリーに見惚れていた。
「?」
リリーと目が合い、私は慌てて視線を黒板に戻して自分を窘めた。授業中に何を呆けているのか。転校生が来たくらいで気を取られて勉学がおろそかになるなんて受験生の自覚が足りない証拠だ。
ゆっくり息を吐きながら私は自分の三つ編みおさげの先を摘まんだ。気持ちを落ち着かせるときによくするクセみたいなものだ。
よし。なんとか自制心を取り戻せた。以降は授業中にリリーの顔を見ることはなかったけど視界の端に映るたびに少しだけドキっとした。
四時限目が終わり昼休みになった。するとクラスの女子たちがこぞってリリーを取り囲んだ。
「ねぇねぇ、お昼一緒に食べない?」
「ちょっとー、お昼じゃなくてちゃんとランチって言わないと」
「あはは、あんたの発音じゃ通じないよ」
相変わらず騒がしい。そのときリリーの横顔が小さく苦笑いを浮かべたのを見て私は立ち上がった。
「ごめんね、昼休みに学校の中を案内するように先生から頼まれてるんだ。だからお昼はまた今度ね」
「えー」
不満の声があがるが反論はしてこない。先生の指示という建前のおかげだろう。
私は座ったままきょとんとしているリリーに呼びかけた。
「じゃあ案内するから行こう、リリー」
「あ、うん」
リリーを連れて教室を出る。しばらく廊下を進み人通りの少ない階段の踊り場で立ち止まった。
「あ、聞き忘れてた。リリーはお昼ごはん持ってきてるの?」
「持って来てナイ。いつも学校で買って食べてる」
「なら問題ないね。私もいつも買ってるんだけど、購買で買う? それとも学食行く? あぁ、言ってる意味は分かるかな?」
「ダイジョウブ。じゃあ学食がイイ」
「おっけ。それじゃこのまま行こっか」
「学校のアンナイは?」
「そんなの頼まれてないよ。さっきのはリリーが困ってそうだったから助けただけ。あ、もし私の勘違いだったらごめんね。教室でお昼食べたいっていうなら戻ってもいいから」
「――――」
リリーは一度目を見開いたあと、私に飛びついてきた。
「ユウコ!」
「え、ちょっと――」
そのまま「Thank you!」と言いながら私の頬にキスをした。
「な、な、な……!」
わななく私の腕を引くリリー。
「Let's go!」
「待って、ちょっと待って! っていうか場所知ってるの!?」
階段を下りていくリリーに引かれながら私は自分の三つ編みの先に触れた。指で毛先を擦りながらゆっくり深呼吸をする。
さっきのは感謝のキス。アメリカなんかじゃよくあること。テレビでも外国の人達が会ったときに頬にキスをするように軽くハグしているじゃないか。こんなのは挨拶の一種なんだからドキドキする方が逆におかしい。
よし。もう大丈夫。
一階に着いてきょろきょろしているリリーの腕を取り、今度こそ学食へと案内した。
「――いただきマス」
丁寧に両手を合わせるリリー。その目の前にはでんとカツカレーが置かれていた。外国の女の子とカレーライスの組み合わせにそこはかとない異国情緒を感じる。
「カレー好きなんだ」
「日本のカレー大スキ!」
スプーンで勢いよく食べ始めたリリーの無邪気さに頬がほころぶ。
それも束の間、周囲からの視線を感じて唇を引き結ぶ。彼女の外見はどこに行っても目立ってしまう。学食の端の方のテーブルは選んだものの、異邦人がカレーを食す光景に対して周囲から好奇の目線が向けられている。
クラスの女子から逃げてきたのに結果として居心地の悪さは変わらないのではないか。そう思うと申し訳なかった。
「ごめん。ここも落ち着いて食べられないよね」
「そんなことナイよ」
リリーがほっぺたにご飯粒を付けたまま笑う。
「見られるのは慣れてるカラ。それよりもユウコと一緒にご飯食べられて嬉しい」
「そ、そう言ってくれるならいいんだけど……リリー、ちょっとストップ」
ポケットティッシュを取り出してご飯粒を取ってあげる。
「オー、ありがトウ! ユウコは優しいね」
「べ、別にこれくらい普通だから。委員長としてね」
「教室でもワタシを助けてくれた。ユウコみたいに思いやりのあるヒトをヤマトナデシコって言うんだよね」
「は、はぁ? 私が大和撫子とかガラじゃないって」
照れ隠しに私も自分の昼食を食べ始める。今日のメニューは肉うどんだ。麺をすする私にリリーが柔和な笑みを向ける。
「謙遜するトコロがまさにヤマトナデシコ」
「……まぁそう思いたいなら勝手に思ってればいいんじゃない」
口ではこう言いながらも実はちょっと嬉しかったり。自分の性格的に無いと思っていても大和撫子と褒められて嬉しくならないわけがない。
私の返答を聞いてくすくす笑うリリーと目を合わせないようにしながら残りのうどんを平らげた。
放課後、リリーの元に集まってきたクラスの女子を適当に相手して追い払い、改めて学校の中を案内することにした。
といっても場所を把握しておいた方が良い教室なんて数えるほどしかないので全部をいちいち見て回ったりはしない。一番大事だと思われる各階・別棟のトイレの場所を教えた後はざっと校内を一周した。
自分たちのクラスの教室に戻ってきたとき、すでにみんな出払っていて誰もいなかった。
私とリリーはそれぞれ帰り支度を始める。
「ざっと見ただけじゃ覚えられないよね。移動教室のときは私が連れていくから心配はしなくていいよ」
「ありがトウ、ユウコ。ユウコがこの学校にいてくれてよかった」
「委員長だったからたまたま面倒を見るように言われただけ。リリーが気にするようなことじゃないから」
「ナニかお礼をしたいんだケド」
「お礼? いや別にそんなのいいよ――あ、だったらリスニングの練習させてくれない? 英語の聞き取り苦手なんだよね。ネイティブの人に喋ってもらってどこがどういう発音なのかとか教えてもらえたら助かるかも」
「そんなコトで良ければモチロン」
「本当? じゃあどうしよっかな。リリーが持ってる英語の小説とかあったらそれから――」
「I love you」
聞こえてきたその言葉に反応できなかった。
「……え」
静まり返る教室。それとは対照的に窓の外からは部活動に励む声やボールを打つ金属音などが聞こえてくる。
リリーの方を見た。うっすらと微笑みを浮かべてまっすぐに見つめてくるその表情は先程の言葉が聞き間違いではなかったことを示しているようだった。
「日本語に翻訳シテ」
「あ、っと、えぇっと……」
「I love you」
今度はゆっくり一音一音はっきりと発声した。私に何かを伝えるように。
いや思い過ごしに違いない。きっとアメリカ式のジョークで私をからかっているだけだ。
そう結論付けて私は直訳を口にした。
「……私は、あなたを、愛しています」
「ウン。それがワタシの気持ち」
リリーが音も無く私に歩み寄り、私の腰を抱いた。
「スキ。アイしてる。全部あわせてLove。だからユウコ、ワタシと恋人になってほしい」
「――――」
私は言葉を失った。
生まれて初めての告白。女の子。アメリカ人。どこを切り取ってみても驚くところしかない。
「き、急にそんなこと言われても……」
「ユウコはワタシのことキライ?」
「好きとか嫌いとかは……まだ会って間もないし」
「時間なんて関係ナイ。これから一緒にいる時間を増やしていけばイイ」
「あ、いや、そういうことじゃなくて……」
リリーの顔が近い。じっと見ていると綺麗な青の瞳に吸い込まれそうだ。このままだとまずい。何がまずいって私の心臓がまずい。鼓動が早くなっているせいか全身を巡る血が熱くなったように錯覚する。
リリーが私の顎に手を添えた。
「ユウコ――」
唇が近づいてくる。頬にではない。私の唇に向かってだ。
まずいまずい、心臓がどうのなんて言ってる場合じゃない。放課後とはいえこんな場所でキスなんてしてもし誰かに見られたら。いやいや見られたらとかいう話でもなくリリーとキスをすること自体がおかしいわけで――。
唇と唇とが触れ合う直前、私は人差し指と中指を間に差し入れてリリーの唇を受け止めた。なんだかカンフー映画とかでありそうなシーンだなとか関係ないことが思い浮かんだ。
「い、いったん落ち着こう。告白もキスも会って一日目じゃ早すぎる!」
リリーはくすりと笑うと最終防壁たる私の指にキスをし始めた。ちゅっ、ちゅっと音をたてながら人差し指と中指の腹をついばむ。
「り、り、リリー!?」
「――んふ、ユウコの指、カワイイ。食べちゃいたいくらい」
そう言うと私の人差し指の先を咥えた。
「ふぇ――」
指先があたたかくぬるぬるしたもので包まれた。リリーは赤ちゃんがおしゃぶりを咥えるようにちゅうちゅうと私の指を味わっている。
リリーの舌がくすぐるたび、歯で甘噛みするたび、背筋がぞくぞくと震える。教室でこんなことをされているなんて普通じゃない。でも普通じゃないからこそこの行為がとてつもなくいやらしいことに思えてしまう。校庭や中庭ではいつもどおりの部活に励む声がしているのに、私の耳は目の前から聞こえてくる吸ったり舐めたりする音に集中してしまう。
「――そんな顔されたら、ワタシもその気になっちゃうよ」
リリーが指から口を離し、舌なめずりをしてから再度私の方へ顔を近づけてきた。
反射的に躱そうと身体を反らし。
「わっ――」
机の足に引っ掛かって後ろにこけてしまった。
「ぃっつぅ……」
「ダイジョウブ?」
リリーが心配そうに私を覗き込み手を差し伸べてきた。その手を取って引っ張り起こしてもらう。
「いたた、お尻打った……」
「見てアゲル」
私のスカートをめくろうとしたリリーの手を払う。
「どさくさに紛れてなにしようとしてるの!?」
「恋人のケガの具合を調べようとしたダケだよ」
「いつ誰が恋人になったって?」
「ユウコ、逃げなかった。それってワタシの告白をOKしてくれたってコトだよね?」
「に、逃げなかったんじゃなくて押さえられてたから逃げられなかったの!」
「ウソ。ワタシ全然チカラいれてなかった」
「う……」
リリーの言う通り私はまったく抵抗していなかった。何故かと聞かれても分からない。きっと驚きすぎて動けなかっただけ。だって普通に考えていきなり指を舐められてびっくりしない人なんていないと思う。
ただ結果としてそれがリリーを誤解させてしまったのは事実だ。リリーの喜色をたたえた表情からはたとえ私がNOと言っても認めない雰囲気を感じた。
本当に付き合っていいのかという不安はある。私がリリーをどう想っているのか分からないし、リリーだって私のことを知って幻滅する可能性もある。
きっぱり断るべきなのか、それとも告白を受けるべきか。どっちを選んでも結果が変わらないとすれば試しで付き合ってあげた方がいいかもしれない。それでやっぱり無理だと思ったら別れればいいか。うん、そうしよう。
「……わかった。付き合ってあげる」
「ユウコ!!」
抱き着こうとしたリリーに手のひらを突き出して制止させる。
「ただし、付き合うからには清い交際を心掛けること」
「きよいコーサイ?」
「淫らな行いはしない、学生らしい真面目なお付き合い」
不純異性交遊で内申に影響しては困る。この場合は同性交遊か。
「キスはOK?」
「ダメ。手を繋ぐところまでなら」
「エェ~……でもこういうツツましいところはヤマトナデシコっぽいかも……いつになったらキスがOKになるの?」
「だ、大学生くらい」
「ならそれでイイよ。恋人だってコトは変わらナイんだよね」
「まぁ、うん」
「じゃあ――ヨロシクね、ユウコ」
「よ、よろしく」
このあとちゃんと手を洗ってから、リリーと二人で手を繋いで下校し家へ帰った。帰り道は好きな食べ物とか趣味とかの話でそれなりに盛り上がった。
帰宅して、お風呂に入って晩ご飯を食べて自分の部屋に戻って――そこでようやく色々と実感が湧いてきた。
出会ったその日に外国の女の子と付き合うことになってしまった。正直言うと半分くらいは場の雰囲気に流されてしまった感じがしている。どうしよう。本当にこれでよかったのだろうか。いや今更悩んでも仕方ない。深く考えずに気楽に付き合えばいいんだ。でもなぁ……。
ベッドの上で悶々としているとスマホが震えた。見るとリリーからの電話だった。
「もしもし」
『ハイ、ユウコ』
「どうしたの?」
『別にナニも。ユウコの声が聞きたかったダケ』
「帰りにたくさん話したじゃない」
『一秒でも長くユウコと話して色んなコトが知りたい。スキな人のコトをいっぱい知って、ワタシのコトもいっぱい知ってもらう。そうすればワタシのコトもスキになってくれる』
「……遅くならないうちに切り上げるからね」
『モチロン!』
部屋からあまり声が漏れないようにトーンを落としてからリリーと会話を続ける。
家で同級生と電話で雑談なんて小学校ぶりかもしれない。そんなことを言ったら恋人が出来たこと自体が初めてなのだから昔と比べることは出来ないのだけど。
『ユウコ、今どんなカッコウしてるの?』
「普通にパジャマだけど」
『パジャマ! パジャマパーティしたいなー』
「あぁお泊まり会みたいなやつだっけ」
『そう! ユウコのベッドで一緒に横になって眠くなるまでずっとおしゃべりスルの』
「やってることは今と変わらないと思うけど」
『全然チガウよ。寝るときにすぐ隣にスキな人がいるってとってもハッピーなコト。手を握ったり頬を触ったりハグしたりキスしたり――』
「キスはダメって言ったでしょ」
『ほっぺたにするオヤスミのキスは?』
「……まぁ、唇じゃないのなら」
『ヤッタ! じゃあいつパジャマパーティする? 明日?』
「提案から行動までが早すぎる」
『じゃあ明後日』
「だから早すぎるって」
『ブー、いつだったらイイの?』
「もうちょっとお互いのことを知ってからね。曜日は土曜日のみ」
『お互いのコトを知るためのパジャマパーティなのにー』
「そうそう、休日は勉強するからデートもなしね」
『What!? デートしない恋人なんてオカシイよ!』
「だから一緒に下校するのがデートみたいなものなの。あ、でも買い食いとかもダメね。晩ごはん食べられなくなるから」
『ヤダヤダ! キスは我慢するけどデートはしなきゃヤダ!』
「学生らしいお付き合いって言ったでしょ。学生の本分は恋愛じゃなくて学業なの」
『どっちもやればイイ。楽しんだヒトの勝ちってよく言うよ』
「私はそんなに器用じゃないから」
『ウ~……じゃあじゃあ、ワタシもユウコの家で勉強する! それならイイでしょ?』
確かに一理ある。リリーの方が私よりも勉強出来るのだし、ついでに日常会話を英語で話してもらえばリスニングの訓練にもなる。まさに一石二鳥。
「……それなら、まぁ」
『ホント!? そのままお泊まりもOK?』
「どさくさにまぎれて泊まろうとするんじゃない」
『ユウコ、外国語を勉強したいならベッドの上でするのが一番って知らナイ?』
「べ、ベッドの上!? やっぱり無し! そういうやらしいこと考える人は部屋に入れてあげない!」
『ン? ワタシはパジャマパーティみたいにベッドの上でおしゃべりをするのがイイって意味で言ったんだけど、ユウコは何を想像したの?』
「――――」
言えるわけがない。だいたい今のはリリーの言い方が悪かった。まるでその行為を指すかのような言い回し。
そのとき電話の向こう側からくすくす笑う声が聞こえてきた。私は低く唸るように呼びかける。
「リリー……?」
『ゴメンゴメン。ユウコが可愛いかったカラつい』
そのあと私が声を荒げて文句をまくしたて、お母さんからうるさいと注意をされてリリーとの通話を終えた。
出会って告白されて付き合って、と激動の一日だった。まぁ本当の激動は明日から始まるのだろうけど。
翌日の授業中、昨日と同じくリリーと机をひっつけて教科書を真ん中に広げていたときのこと。
なにやらリリーが私の教科書にかきかきとシャーペンを動かし始めた。
『LOVE YUKO』
それをハートマークで囲った後、空いてる場所に『スキ』『大スキ』と書いていく。
なにをやってるんだ人の教科書で……!
授業中なので声が出せない。無言で手を払って止めさせる。
そうしたら今度はノートの切れ端を渡された。
『手、つなぎたい』
ダメに決まってるでしょう。切れ端にばってんを付けて返す。
するとリリーはむっとしたあと何事もなかったように板書を写し始めた。意外に素直だ。私も気を取り直してノートにシャーペンを走らせる。
数分後。
教科書を押さえていた私の左手にしれっとリリーが右手を乗せた。
「…………」
じと目を送るがリリーはこっちを見すらしない。というかさっきまで右手で書いていたはずなのに今は左手で書いている。文字も結構綺麗だ。
すりすりと私の左手の甲がさすられた。左手首をぐるんと回して弾き飛ばす。飛んでいった手がまた返ってきて私の左手に覆いかぶさる。
「…………」
つねった。しかしリリーの手はびくともしない。シャーペンで刺した。
「――っ!」
あ、引っ込んだ。痛そうに自分の手をさするリリーにちょっと良心が痛んだけど、授業中にちょっかいを掛けてくる方が悪いのだ。
教科書の『LOVE YUKO』の隣に『じごーじとく!』と書いて見せた。四字熟語が分からなかったらどうしよう。まぁ雰囲気で分かるだろう。
さて、二度もリリーを撃退してほっとしたのも束の間、またしばらくすると次は靴に何かが当たってきた。
何か、なんて考えなくても分かる。リリーが自分の足を私の方へ寄せてきたのだ。靴を小突く程度ならまだいい。けれどリリーは私の足首に足を絡み付かせてきた。
「!!」
足はまずい。机の上ならば背中や腕で隠せるけど足元は前後左右から丸見えだ。
お願いやめて、と私は目線で訴えた。するとリリーがまた切れ端を見せてきた。
『手、つなぎたい』
「…………」
拒否権は無いようだ。足よりはまだ手の方がごまかしが効く。
嘆息したあと私は教科書のページをめくるのに合わせて左手をリリーの方へ動かした。その手をリリーが受け止めてそのまま優しく握る。
授業中に隣の席の子と手を繋ぐなんて。
昨日手を繋いだときよりも緊張しているのは今の状況が普通じゃないからなのか。
きっとこの胸のドキドキは誰かに見られたらどうしようかという不安や恥ずかしさによるものなのだろう。
授業が終わるまでの数十分。ノートは取ったもののほとんど内容が頭に入ってこなかった。
休み時間になってまずやることと言えば当然。
「……トイレ一緒に来て」
リリーを呼び出すことだった。
「――さて、どういうつもりか一応言い分は聞いてあげる」
手洗い場に人がいなくなったタイミングで切り出した。私の眉間がぴくぴくと震えている。
リリーがハンカチをしまってから無邪気に微笑んだ。
「ユウコとデートしちゃいけナイって言ってたよね? そのかわりに一緒に帰るコトがデートだって。だからワタシすばらしいコト思いついた。学校にいるときもデートすればイイんだって」
「……えっとごめん、よく分からないんだけど」
「だから、授業は授業デート。体育は色んなスポーツデートだし、お昼はランチデート、そして最後は放課後デート」
「……つまりその、さっきのもデートのつもりだった、と」
「Yes!」
性格のせいなのか生まれの文化の違いなのか、リリーの考え方は私の理解の範疇を超えている。さっきまで溜まっていた怒りは行き場を失って感情が無になりつつある。
私は小さな子供に言い聞かせるようにリリーに話しかけた。
「あのね、授業は授業だけに集中したいの。学業を優先させるって言ったの覚えてない? だからそういうことはやめて欲しいの。誰かに見つかってもお互い困るでしょ」
私の訴えもむなしくリリーが小首を傾げる。
「ベツに見られても平気だよ。むしろワタシとユウコの仲の良さを見せつけたいくらい」
「は――?」
「それにワタシは勉強の邪魔してナイよ。ワタシが家で勉強するときは大きいヌイグルミ抱いて勉強してる。何かに触りながら勉強した方が落ち着くし覚えやすいカラ」
あぁ分かった。リリーにはまったく悪意がないのだ。そこにあるのは私と触れ合いたいという想いだけ。
確かに終始気にしていた私と違ってリリーは普通に授業を受けていた。そう考えるとおかしいのはむしろ私の方なのでは……待て待て、感化されてどうする。教科書への落書きは明らかに邪魔になっていたし、リリーは良くても私には害でしかないのだから毅然と対応しないと。
「とにかく授業中はダメ。す、少しくらい手が当たるのはまぁいいけど」
毅然と対応するとは。いやだって全部ダメにするのはリリーが可哀想だしたまに触られるくらいは、まぁ。
「ンー……分かった!」
相変わらずどこか能天気にも見えるけどこれまでも何だかんだで私の意思を尊重してくれてきた。私が嫌だと言えば無理強いはしないだろう。
そうして次の授業。
またもや私の手にリリーが触れてきた。けれど前の時間のように無理矢理握ってこようとはしない。そのかわり、小指を私の小指に絡ませてきた。
「…………」
リリーが『これならイイ?』と尋ねるように小指をにぎにぎ動かした。
同じように私も動かして『いいよ』と返事をする。
まぁこれくらいならパッと見では分からないだろうし大丈夫か。
ただなんというか、指同士を絡ませて繋ぐというのはこう、すごく恋人っぽくて困る。とくに指先なんていうのは感覚が鋭敏なのでリリーが指をこすったりなぞったりする度にくすぐったくて私の左頬あたりがぴくぴく動いてしまう。
ちらりとリリーの方を窺う。リリーはすごく真剣に先生の話を聞きながらノートを取っていた。
人が苦心している隣でこの子は……過剰反応している私がバカみたいじゃないか。あぁいいよ、私だって平然と授業を受けてやるさ。こういうのは慣れればなんてことないんだ。リリーと触れ合うのが当たり前になればこんなことでいちいち動じたりはしない。
……触れ合うのが当たり前、というのもそれはそれでどうなんだろうとは思ってしまうんだけど。
学校が終わって、リリーの言うところの『放課後デート』の時間がやってきた。
だというのに私は自分の机で黙々と今日の授業の復習をしていた。
「勉強は家ですればイイのに」
さっきまでクラスメイトたちと話していたリリーが不思議そうに言った。
今教室には私達の他は誰もいない。みんな部活やらに行ってしまった。
「……誰かさんのせいで結局授業に集中できなかったから自分でやり直してるの」
「エェー、ワタシは言われたとおりにしたよ?」
「はいはいそうだねリリーは悪くないね、私の軟弱な精神が悪いんだね」
投げやりに私が呟くと、リリーが自分の椅子ごと私の方へ近づいてきた。
「でも、二人っきりでいられるのはスゴくうれしい」
そうして私の手にそっと手を重ねて微笑む。
「今だったらイイよね?」
「……まぁ」
この状況ならリリーに勉強を教わっているように見えなくもないし。
不思議と授業中ほど私の精神が乱れたりすることはなかった。むしろどこかほっとして内容が頭に入ってきやすくなっているような……いやいやそんなはずはない。これはあれだ。プラシーボだ。リリーがこうした方が勉強しやすいと言っていたから私もそうだと勘違いしただけ。うん。
しばらく私の真横で様子を見守っていたリリーが不意に呟いた。
「ユウコの髪、キレイだよね」
「そう? 私よりもリリーの方が綺麗だと思うけど」
「そんなコトないよ。長くてツヤがあって、ワタシ憧れる」
「隣の芝生は青いってやつじゃない? 誰だって自分が持ってないものを羨ましがるものよ」
「でも恋人のものってコトは同時にワタシのものでもあるってコトだよね」
リリーが私の三つ編みの一房を手に取り、指で撫でる。髪の毛に感覚なんてないのにくすぐったい気分になった。
「……私のものは私のものであって所有権が誰かに移ったりはしません」
「でもワタシはユウコのものだよ」
「――――」
思わず手を止めてリリーの方を見る。優しく柔和に微笑んだ顔。宝石のように煌めく青い瞳がまっすぐ私の方を向いていた。
やっぱりすごく綺麗だな、と素直にそう思う。私が持っていないものを持っているからこそ羨ましくなってしまうのは仕方のないことだ。
そのまま見つめ合うこと一秒、五秒、十秒。
時間が長くなればなるほど心臓の鼓動も早くなっていく。二人きりの教室。黙って見つめ合う恋人。この状況でドキドキするなという方が無理だ。
リリーがゆっくりと顔を近づけてきた。
まずい。体が言うことをきかない。このままリリーがキスをしてきたら避けられない。どうしよう。私の唇、私のファーストキス――。
ちゅ、とリリーが私のほっぺたにキスをした。
「たしか、ほっぺにキスはイイんだよね?」
強ばっていた体から力が抜けるのと同時に、体を自由に動かせるようになった。
よかった。リリーが私の言ったことを覚えていてくれて。
ほっと胸を撫で下ろしたとき、胸の奥の方でちりちりと何かがくすぶるような感覚がした。
「ほ、ほっぺくらいならまぁ許してあげるけど、学校ではなるべくしないように」
「ハーイ」
「もうちょっとだけ見直したら帰るから」
私は机に向き直った。せめて心を静めないと帰宅できそうにない。
一度深呼吸をしてからノートに目を移したとき、三つ編みが動くのを感じた。
またリリーが触っているのだろうと横目で窺うと、リリーが三つ編みの先の辺りに唇を当てていた。
「な、なにしてるの?」
「ンー、ユウコの髪にキスしてるの。唇じゃないから問題ナイよね?」
「そ、そうだけど……た、食べないでよ」
「食べナイよ~」
動揺して変なことを言ってしまった。
まぁ口に入れたりさえしなければ髪の毛にキスするくらいなんてことはない、はず。
改めて復習を再開するが、すぐそばから聞こえてくるわざとらしいキスの音が邪魔をしてくる。
「し、静かにお願い」
「ハーイ。注文が多いご主人様デスねー。『恥ずかしがってるダケなんだよー』」
私の三つ編みを人形代わりにして腹話術をするリリー。おもちゃじゃないぞ。
その後、リリーが三つ編みの先を自分の首にこすりながら小声で「ユウコ、ダメ……っ」とか言い始めた時点で、私は勉強するのをやめた。今やっても絶対頭に入らない。
深く溜息を吐いてから、注意をするために大きく息を吸い込んだ。
家に帰ると晩ご飯の前にお風呂に入るのが我が家の決まり事だ。
帰宅して荷物を置いて、いつものように洗面所で三つ編みをほどこうと先をくくったゴムに手をかけたとき、教室であったことを思い出してしまった。三つ編みの先っぽを目の前に持ってくる。
ここにキスされたんだっけ……。
胸が高鳴りそうになって首を横に振った。なぜ自分の髪の毛を見てドキドキしなければいけないんだ。こんなのはただのメラニンの混ざったタンパク質やら脂質やらの集まりにすぎない。生活しているだけで汗やほこりで汚れるしましてやそんなところに唇をつけるなんて行為はバカバカしいと言わざるを得ない。
…………。
じぃっと三つ編みを見つめてから、その先っぽをゆっくりと顔の方へ近づける。
毛先が唇に触れた。思った通りただの髪の毛の集まりだ。でももしこれがリリーの唇だったら……。
毛先を更に唇に押し付けた。そんなことをしても無意味だと分かっているのに私の指と唇が勝手に動いてリリーの痕跡を探そうとしている。
転校初日の放課後に舐められた指の感触が脳裏に蘇った。リリーの吐息や舌使いを思い出しながら、まるで本当にリリーとキスをしているかのような錯覚を――。
「優子、洗面所で突っ立ってどうしたの?」
「!!」
背後からお母さんに話しかけられて私は三つ編みを放り投げた。
「ちょ、ちょっと枝毛がないか確認してただけ! すぐお風呂入ってくるから!」
お母さんに何か言われる前に急いで髪をほどいて服を脱ぎ捨て浴室へと飛び込んだ。そのままシャワーを出して頭からかぶる。ぬるいお湯から熱いお湯に変わっていく間、今しがたの自分の行動が信じられずに呆然と呟いた。
「……私、リリーとキスしたいって思った?」
流れ落ちる水音にかき消されたその言葉はいつまでも私の脳内で反響していた。
人間多少の気の迷いというものはある。
時期、体調、環境でいつもと違う思考や行動になったとしても不思議じゃない。けれどそれは一時のこと。頭を冷やして気持ちを静めれば自分を見失ったりしない。あのあと夜にリリーと電話で話したが私に変わりはなかったしもう大丈夫だ。
「ユウコ、おはよう!」
翌日の朝の教室、リリーから挨拶をされて私は立ち尽くした。返事をし忘れたのではない。見惚れてしまったのだ。澄んだ青い瞳と、可愛らしい薄桃色の唇に。
「……お、おはよ」
そそくさと席に着いて視線から逃れるようにカバンから教科書類を取り出す。
リリーが何か言いかけたがクラスメイトがやってきたのでそちらと話し始めてくれた。
小さく息を吐いてから自分の胸に手を当てる。挨拶を交わしただけでこんなにもドキドキしているなんて。
おかしい。こんなの私じゃない。
こうやって悩んでいる間もついリリーの方を窺ってしまう。楽しそうな笑顔を見ると心臓のあたりがきゅっと縮む。
よくない。これはよくない。
理由はどうあれこのままでは学業に支障をきたしてしまう。気をしっかり引き締めて勉強に取り組まねば。私は机の下でぐっと両拳を握った。
気を引き締める、というのは具体的にはリリーと適度な距離感を保つということ。
教室での授業のときはいつもより椅子を離し、手は触れない位置をキープ。休み時間も雑談はしない。お昼ごはんのときにリリーにどうしたのかと聞かれたけど体調不良で押し通した。
そうして一日の授業が終わった。体感時間が昨日よりも長くかなり疲れた。早く家に帰ってゆっくり休もう。
リリーはまたクラスメイトたちと談笑しているので会話が終わり次第一緒に帰るとしよう。
参考書を読んで時間を潰すことしばし、リリーの周りから人がいなくなった。私が『そろそろ帰ろうか』と視線を送る。一瞬鼓動が早くなったけど気にしない。するとリリーから「もうちょっと待って」と言葉が返ってきた。
何かやることがあったのかとさらに十分ほど待って、教室から人がいなくなったので話しかける。
「リリー、やらなきゃいけないことがあるなら――」
言いかけたときだった。リリーは椅子から立ち上がると、私の両肩を正面から掴んだ。
不意打ちに思わず私の目が泳ぐ。
「き、急になに? やること終わったなら帰るよ」
「ユウコ、ワタシの目を見て」
「…………」
ちらと見る。心臓が大きく跳ねるのを感じてすぐに目線を戻した。
「……見たよ」
「見たうちに入らナイよ。もっとホラ、ずっと見て」
リリーの手が肩から頬に移動して私の顔を挟んだ。この距離は本当にまずい。リリーがあと二十センチも首を前に突き出せばキスになってしまう。
私は必死に目だけは逸らし続けた。
「べ、別に見る必要ないでしょ。いいから早く帰ろ」
「やっぱりオカシイよ。ワタシなにかイヤなことした?」
「そういうわけじゃないけど……わ、私の問題だから」
「ユウコの問題はワタシの問題。おしえて?」
「い、いやいやそれは無理、無理なんだって」
「おしえてくれるマデこのままだよ」
「…………」
また沈黙の時間が過ぎた。
逃げられないことを悟って私はしぶしぶ口を開く。
「昨日リリーに、その、されたでしょ? あのあとから何か私おかしくて、リリーの顔をまともに見られなくなったみたいで。ご、ごめんね、嫌な思いさせちゃって。多分少ししたら元に戻るだろうから、そうなるまでは若干距離を置かせてもらってもいいかな……?」
「……昨日の、ってコレのコト?」
リリーが私の顔を解放し、三つ編みを手にとって唇に当てた。
「そ、そうだけどおかしくなった理由は色んな事象が重なって生まれたというかなんというか……」
ごにょごにょと口ごもる私に、リリーが当たり前のように告げる。
「それ、ユウコがワタシのことスキになったからじゃナイの?」
「好き!?」
「ウン。ユウコの態度とか見てたらそんな気がスル」
「まさかそんな――」
「じゃあ試シテみようよ」
「なにを?」
「ユウコがワタシにキスされても平気かどうか」
「はい!? ダメに決まってるでしょ!」
「唇にはしないよ。ソレ以外」
言い終わると同時にリリーが私の手の甲にキスをした。
「どう? ナニか感じた?」
「……別に何も」
「じゃあ続けるよ」
リリーが手の甲に何度も吸い付き、音をたてる。
跪いてキスをするリリーはお伽話の王子様のようで背筋がむずむずとする。何も感じないなんて嘘だ。リリーが私の肌に唇を当てるだけでこんなにも全身が熱くなっている。
リリーが私の袖をまくった。腕にキスをしながら徐々に上にあがってくる。袖が上がらなくなったら飛んで首へ、そこから頬、耳へと移っていく。
頭に近いからなのか刺激が脳を揺さぶり、思考がぼやけてくる。耳たぶを舌で転がされて口から声が漏れた。
「や、ぁ……っ」
「ホントにイヤ?」
分からない。こんなことはやめさせなければいけないとは思っているのに私の体はまた言うことを聞いてくれない。
胸が苦しい、息があがる。それでもキスを受け入れている自分がいた。
リリーが耳たぶから口を離した。そのまま正面に顔を持ってきて私とおでこをくっつける。
紅潮した白い肌、潤んだ青い瞳、濡れた薄桃色の唇。思い詰めたその表情には恥じらいが滲んでいて、これ以上ないほど色っぽく見えた。
「……ユウコ、やっぱり普通にキスしたい」
「だ、ダメ、それは、ダメ……!」
「前みたいに指で防いでもイイから」
リリーは止まらない。唇の距離がどんどんゼロに近づいていく。唇と唇が触れ合う寸前、リリーに言われた通り私は指を差し入れていた。
人差し指、中指、薬指の三本がリリーの唇を受け止める。けれどリリーはめげることなくキスをし続けた。まるで私の指を唇だと思っているかのように吸い付き、舌を動かし、濃厚なキスをする。
もうまともな思考が働かない。指が刺激を受けるたびにそれが私の唇だったら、舌だったらと想像してしまう。
私の意思とは無関係に薬指が離れた。指が二本になってもリリーのキスは変わらない。次に中指が離れた。指が一本になったことで唇の距離がさらに縮まった。気付けば私も自分の人差し指にキスをしていた。ひとつの指を挟んだキスは人差し指だけで防げるものではなく、すでに何度も互いの唇が接触している。それでも舌だけは不可侵を貫いていたのだけど。
――舌が寂しいよ。
自分の指を舐めるだけじゃもの足りない。自分の指が舐められるだけじゃもの足りない。
お互いの舌を舐め合えば、この寂しさを埋められるだろうか。
私は人差し指を引き抜いた。
瞬間、密着する唇、口内に飛び込んでくる舌。それらすべてが私の感覚を支配した。
もう胸の鼓動も気にならない。リリーのキスを味わいたいという欲求が今の私の行動原理だったから。
私が正気を取り戻したのは日が沈むころだった。
「え……こんな時間までずっとキスしてたの……?」
愕然とする私に上機嫌なリリーがあっけらかんと言う。
「もし誰かが教室の前を通ってたら見られたカモね」
「ど、ど、どどうしよう、クラスの誰かに見られてたら」
「付き合ってます、でイイんじゃない?」
「いいわけないでしょ!」
「ダイジョブダイジョブ。ワタシの国、女性同士結婚できるから」
「国を移れと!?」
「行く場所はドコでもあるってコト」
「…………」
終わったことをあれこれ言ってもしょうがない。リリーは少なくとも前を向いているのだから私もそれにならうべきだろう。
ふとリリーが私の顔を見て嬉しそうに微笑んでいるのに気が付いた。
「……なに?」
「やっといつものユウコに戻った、と思って」
「……うん」
まだ少しだけドキドキはしているけどリリーの顔を見られないほどではない。
キスがショック療法になったのか、それともキスをしたことで欲求が満たされたからなのか。
リリーが深々と頭を下げる。
「ふつつかモノですが、ヨロシクおねがいしマス」
「そんな言葉よく知ってるね」
「マンガで覚えた」
「正座してお辞儀する方がぽいけど」
「正座ニガテ」
くすと笑ってから、私も立ったまま深々と頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お辞儀の後、顔を見合わせて笑い合う。今はリリーと目が合うだけで心が踊るような気分だ。
「じゃあ帰ろっか。ちょっと遅くなったからお母さんにも連絡しとかないと」
「ユウコ、最後にもう一回だけキスしよ?」
「……本当に最後の一回だからね」
英語と違って日本語のスキとキスは文字がよく似ている。
それはスキの先にキスがあるからなのか、それともキスの先にスキがあるからなのか。もしくは全然関係ないのか。
どういう理由があっても確かなことがひとつある。
私はリリーのことが好きだ。
少しずつでもいいからこれから先も二人でスキとキスを積み重ねていきたいと思う。
もちろん、学業に支障の出ない範囲内で。
〈おまけ パジャマパーティ〉
「ワーイ! パジャマパーティだー!」
お風呂からあがりパジャマに着替えたリリーが私の部屋のベッドに飛び込んだ。
「暴れないの。それとパジャマパーティやるつもりないから」
「エー、ワタシお菓子たくさん持ってきたのに」
「歯磨き終わったあとは食べません」
「ブーブー!」
「念を押しとくけど、今日は勉強会をやって夜遅くなりそうだったからついでに私の家に泊まるだけ。明日はリリーを送るついでに一緒に買い物をするだけ。分かった?」
「ウン、パジャマパーティの翌日にデートするんだよね」
「分かってない!」
「まぁイイや。ユウコも早く隣にきてよ」
「はいはい……」
ベッドにあがってリリーの隣に行く。
「ユウコ、なんでちょっと離れてるの?」
「だ、だって近すぎるから」
「そんなのダメに決まってるでしょー!」
リリーにがばと抱き寄せられた。背中に柔らかいものが当たりドキっとする。
「ンー、お風呂のあとってイイ匂い……ユウコのほどいた髪もステキ」
ひとつにまとめてある私の髪にリリーが鼻を押し当ててスンスンと匂いを嗅いでいる。
「も、もう! パジャマパーティでもなんでもいいから寝る準備するよ」
「……ねぇユウコ」
「なに?」
「英語の勉強、しよ?」
「……え、英語でおしゃべりをして勉強する、ってことだよね……?」
「どっちがイイ?」
「ど、どっち、とは」
「わかってるクセに」
「…………」
「電気、消した方がイイ?」
「…………」
「消すよ」
その日、またひとつ“スキ”が積み重ねられた。
終
着地点を決めずに書いたら若干間延びした感が……もう少しすっきりまとめられるように頑張ります。
外国人転校生は一度は書いておきたかったネタです。
放課後の教室に忘れ物を取りに戻ったら委員長と転校生が良い雰囲気でいちゃいちゃしている場面に遭遇したい人生でした。
そのあと隠れていたら二人に遭遇してわざとらしい笑顔を浮かべながら誤魔化すまでがワンセット。