冷やかしはご遠慮ください
店の奥で作業をしながら店番をしていたマーリカは客の声が小さくなったことに気がついて顔を上げた。
何人かのグループが色々な小物を見ていたが、何かに気がつくと戸惑ったように友人たちと一言二言話している。
その様子がなんだかおかしくて、マーリカは立ち上がった。客の一人と目が合うと、申し訳なさそうに小さく挨拶だけして帰っていく。
客の行動がよくわからず、他の人たちにも目を向ければ皆同じように会釈して店内から出ていった。
外に何があるのか、と首を傾げて外に目を向ければ顔が引きった。
睨みつけるようにしてマーリカをじっと見ている彼女の存在に、ため息が出る。
「あ、これ持って行って」
マーリカは彼女の存在にイラッとしながらも、帰ろうとしている客にいくつかのプレゼントを持たせた。次のイベント用に用意していたちょっとした小物だ。
「気を遣わなくてもいいのに。また後でゆっくり見に来るわね」
客は彼女を気にしながらも、小声でそう言いながら去っていった。店の中に客が一人もいなくなったところで、入り口から少し離れた位置に立つ彼女の方へと歩いた。
アデルは平民区域には不似合いな上質なドレスを着ていた。お忍びとか身分を隠してということをしないつもりなのか、フリルの沢山ついたそのドレスは貴族区域を歩くのと何ら変わりのない格好だ。見た目が貴族そのものなのだから、身分のない平民が逃げ出すのも当然と言えば当然だった。
店先に出て、アデルの真正面に立つ。
「何か御用ですか?」
硬い口調で問えば、アデルは一歩前に出て店の中を一瞥した。
「安っぽい店ね」
マーリカは怒りが溢れ出しそうになったが、ぐっと抑え込む。アデルのような貴族が利用する店ではない。あくまで平民が気軽に立ち寄れるようにした店だ。
高級感よりも親しみやすく入りやすいため、開店して以来、客は途切れたことはない。まだ手元に残る利益は少ないが、店を開店するためにかかった費用も順調に回収できている。
マーリカは心の中で、我慢だ我慢だと呪文のように唱えながら、笑みも見せずにアデルと対峙する。
「ご要件は?」
マーリカは態度を崩さず、再度尋ねた。アデルはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「クズ魔晶石を使っていると聞いて見に来たのよ」
「そうですか」
マーリカは頷いたものの、アデルの目的がいまいちよくわからずにいた。黙っていれば、アデルがさらに厳しい表情で睨みつけてくる。気に入らなければ、帰ればいいのにと思いつつだんまりを続けた。こうなったら我慢比べだ。
「わたしがわざわざ足を運んだのよ。もてなしぐらい、したらどうなの?」
「何の先触れもなく来られても、もてなすことはできません」
言外に帰れという思いを込めながら言う。この店は店員用の休憩所はあるが、商談ができるような場所を作っていなかった。平民区域では一等地なのだ。短期間で用意したため、本当に狭い店しか借りることができなかった。突然先触れもなく侯爵令嬢の看板をぶら下げてやってこられても対応できないのだ。
「それが上位貴族に対する態度なの?!」
「……ここは平民区域ですから、上位貴族としての対応をしてもらいたいのなら、貴族区域に行ってください」
もう、本当に面倒くさい。
マーリカは喧嘩してもいいだろうかと本気で思い始めていた。非常識なのはアデルの方であるのだが、それを身分差で押し切ろうとしているのが気に入らない。貴族社会での中でなら、嫌であっても従うつもりもあるが、ここは平民たちの区域だ。そこに権力など振りかざされても困まる。
考えるように周囲をさりげなく見渡せば、店を避けるようにしてマーリカとアデルを遠くから見ている人たちがいた。その中には隣の店の店員もいて、目が合えば騎士団を呼んでこようかと身振りで伝えてきた。困った時にはこうして協力してくれるので助かる。少しだけ首を左右に振ったが、やはり心配そうに何人かの人たちが動かずにその場で様子を見ていた。
「あなた、痛い目を見たいようね」
「ここは平民区域だと言っているでしょう?」
「だからなんだっていうのよ?」
「……ちゃんと法律を覚えてください。もう面倒なので、騎士団呼んでもいいですか?」
どうやらアデルは平民区域に来たのは初めてのようだ。この国では貴族が平民区域で無法なことができないようになっている。だから、アデルの言葉は騎士団に連絡すれば問答無用で拘束されてしまう。
レイン達のようにお忍びで年中この区域を訪れているのなら知っているのだろうが、興味もなければ知らないだろう。
「お嬢さま」
アデルの後ろに控えていた使用人の女性が困ったようにアデルに声をかけた。アデルは苛立たしそうに彼女を振り返った。
「何よ?」
「ここは平民区域です。貴族の身分は通用しません」
「なんですって? そんな馬鹿な話があるわけないじゃない」
本当に知らなかったのか、アデルは声を上げた。レインからはアデルは頭がよく、色々知っていると聞いていたのだが、マーリカの目からは頭がいいとは思えなかった。貴族令嬢としての聡明さはあるのかもしれないが、場をわきまえないのであれば聡明でないような気もする。
ただレインの言うようになかなか自分の非を認められそうにないから、ひたすら面倒だ。もしかしてこれまで上手にできていると本人が勘違いしている理由は、誰もが当たり障りなく適当なことを言っていたからではないだろうか。
ありえそうな現実に、ため息が出そうだ。
「言い訳は騎士団でどうぞ。これ以上ここにいてもらうと、営業妨害です」
マーリカはアデルを無視して通りに出ると、こちらを見守っていた人に騎士団を呼んでくれと言付ける。この辺りは店が多いため、何かトラブルがあれば騎士団を呼んできてくれるのだ。人の優しさに感謝しつつ、アデルを見た。
「逃げてもいいですよ?」
笑みを浮かべて言えば、アデルの顔が赤くなった。
「わたしは間違っていないわ。泣くことになるのは貴女の方よ」
「どっちでもいいです。とりあえず、騎士がくるまで横に寄ってください。迷惑です」
どうでもいいと答えれば、ますますアデルは怒りを露にした。それを使用人が必死になって抑え込んでいるが、こんなお嬢様に仕えるのは大変そうだと気の毒に思った。レインもよく話を聞かない女だと言っていたが、自分がされてみれば苛立つ理由がよくわかる。
あくまで自分が中心にいるのだ。他の案とか、なかなか受け入れられない性格なのだろう。負けず嫌いというのか、自己中心的というのか。自分が正しいと勘違いしているのか。どっちにしても絡まれた方は厄介だ。
マーリカはアデルを放置して、イベント用のプレゼントの包装作業に戻った。アデルが帰るまで客は入ってこないだろう。
今日のことはレインに報告しないといけないなと思いつつ、ため息をついた。