マーリカは転生者
マーリカは転生者だ。転生前は日本人女性だった。
日本名は高橋加奈子。
30歳、独身。
ここの世界に生まれ変わる前は、日本で企画部に所属していた。経済学部を卒業し、それなりの企業に勤続8年。給与も平均よりも恵まれており、職場とは相性がよかったのか、それなりに評価されていた。評価されれば、仕事も山積みで。
忙しい部署で毎日午前様。
終電で帰宅し、6時には家を出る生活だった。家に帰るのはお風呂に入るためと寝るためだけだ。週末は休出が多く、たまの休みには家の片づけをして、後はリラックスタイム。
そんながさついた生活での唯一の潤いはゲームだ。人に会わなくてもいいし、ネットを使えば同士は沢山いる。会社のどうしようもない愚痴を言うよりもよっぽど建設的だ。
大好きなゲームは、沢山ステキな男性が出てくる恋愛系。
加奈子はこんな煌びやか人たちが働いている職場に行きたい、と常々周囲に公言していた。目の保養があるだけで、無理難題の要望にも笑顔で対応ができると思うのだ。現実にはくたびれたおっさん課長が、ふざけんな、何とかなるわけがない、と電話を握りしめて唸るばかりだ。
当然、毎日フラフラになるまで働いて、ストレスで睡眠がとれず家に帰ってゲーム三昧。
そして出勤。
そんな生活が長くできるはずもなく、加奈子は過労と睡眠不足でよろめいた。
覚えているのはそこまでだ。
その後、よくわからないがぼんやりとしている加奈子の元に神さまが来た。煌びやかかではなく、普通の事務のおっさんみたいな神さまだ。白いローブのようなものを着ていたが、どこかくたびれたような白いローブだった。激務なのかもしれない。
神さまらしいところは全く見つけられないが、本人が神さまだという証拠に名刺をくれた。その名刺受け取りながら、神さまの名刺ってどうなんだろうと思ったわけだ。突っ込もうかと思ったが、話が進まないしどうでもよかったので結局はスルーした。
その神さまが言うには、ある神さまのちょっとした間違いで加奈子が死んでしまったから箱庭に送ってくれるらしい。
箱庭、ってわかる?
神さまが間違って寿命よりも短く命を摘み取った場合に事故処理として救済措置をする世界なんだそうだ。その世界は本当に沢山あって、希望通りの世界に転生させてくれる。もちろん、慰謝料として能力も望んだものがばっちりつく。
「日本人はゲームが好きだからね。希望するなら、ゲームっぽい世界もある」
何でもないことのように説明された。複数の条件を設定すると希望する世界が決まるらしい。
神さまには誠意とか申し訳ないとかそんな気持ちは全くないようだ。加奈子はすっかり保険屋のおばちゃんと話しているような気分になっていた。死亡後の補償についてだから、加奈子もそれなりに真面目にやり取りする。
「条件って、例えばどんなもの?」
「そうだな……。例を挙げれば、魔法のある世界がいいとか、獣人になって野山を駆け回りたいとか。ああ、変わったところでは花の中から生まれたいとかあったな。そんな感じだ」
すごい。現実じゃないのがありありとわかる。
恐る恐る加奈子はある乙女ゲームの名前を告げてみた。神さまは一瞬止まったが、すぐに何でもないかのように紙に書いていく。
「特典はどうする?」
「神の祝福がある世界で!」
「指定の乙女ゲームには魔法の力はなかったが……魔法を有効にするか?」
当然のように聞いてくるが、すぐさま否定した。
「魔法はいらない。だけど生活水準は現代日本と同じ感じの近世ヨーロッパ風味がいい!」
「あり得るのか? うーん、エネルギーを確保してあったら大丈夫か?」
そんなことをぶつぶつ言いながら、何かを検索していた。わたしは眉間にしわを寄せている神さまを眺めていた。
「ああ、丁度いい世界がある。エネルギー源があるからなんちゃって科学が進歩している。きっとそれなりに便利だ」
これでいいかと、確認された。目の前にふわっと光景が広がる。
町並みは近世ヨーロッパ風、ドレスを着用して、貴族社会。移動手段は馬。騎士だっている。
だけど、お風呂とトイレ、それにキッチンは現代風。上下水処理もばっちりらしい。
治安もそこそこ、平民の経済事情もある程度の自由がある。
言ってみるものだ。ちぐはぐさが半端ないけど、これから生活していくうえでは重要だ。
「色々ツッコミどころ満載だが、箱庭だから気にするな」
「うん。そういうものだと思っておく」
「生まれる場所は高位貴族がいいか?」
高位貴族と聞いて、加奈子は首を左右に振った。
「もっと気楽がいい。平民とか」
「平民はお勧めしない。ある程度は自由はあっても、やはり貴族社会は身分が重要だ。それに平民では便利な環境を手に入れるにも限度がある」
近世ヨーロッパ風ならそうかもしれない。乏しい貴族社会の知識を引っ張り出して悩む。もちろん出典はお気に入りの乙女ゲーム攻略本だ。
折角だから、色々自由に過ごしたい。そしてイケメンたちを遠目で眺めて、心の潤いをチャージする。友人を作って、キャッキャしたい。生きていた頃には考えられないほどのリア充だ。
「子爵……ううん、羽振りのいい男爵家がいい。そのエネルギーというものを産出する領地を持つ貴族」
「ちょっと待て」
神さまがぶつぶつと言いながら、探してくれる。じっと検索結果を待っていると、神さまがようやく顔を上げた。
「エネルギー源となる魔晶石を産出する領地を持つ男爵家。産出はこの国であればどこでも可能であるが、特出しているのは加工技術だ。この加工技術で他よりも抜きんでて裕福。もちろん、後ろ暗いことはしていない。一人娘で跡取り」
「それでお願いします!」
納得の環境に満面の笑みを浮かべた。神さまはさらさらと条件を書きつける。
「あと、神の祝福だな。この世界には丁度いいのがないから、幸せを願うと幸せになれるものを付けておくよ」
なんか、とても中途半端な気がした。
加奈子の想像していた神の祝福は万能な感じで幸せになれるようなタイプだ。
「それから君は転生しているが、周囲は違う。転生者が複数いると何かと問題が起こることが多いから、重ならないようになっている。あくまでも希望するゲームの世界に似た世界だ。それだけは忘れないように。世界を壊すようなことも禁止されている」
「わかったわ」
「あとは……ああ、そうだ。神の祝福についてもう少し説明しておこう」
神さま曰く。
神の祝福は加奈子が幸せになりたい! と思えば幸せになれるし、不幸になれと思えば不幸になる。
これは自分だけではなく、願った相手にも同じことが言えるらしい。
加奈子は状況を想像して、青くなった。
「その祝福は強いの?」
「それなりに。用意した世界は君への賠償だからな。最終的にはどんな状況下にあっても、君が幸せになるようにできている」
「誰かに不幸になれと思えばそうなってしまうの?」
「もちろんだ。だたし、幸せの叶える力が100としたら、不幸になる力は10ほどだ」
多少弱くなっているようだ。それでも加奈子は自分の感情だけで不幸にしてしまうことにためらいがあった。それに他人を気にしながら感情をコントロールするなんて面倒だ。
「箱庭への転生準備ができた。新しい世界だ。幸せにな」
「え? あの、ちょっと待って!」
加奈子は慌てて神さまを引き留めた。神さまはとても清々しい笑みを浮かべた。
「大丈夫、大丈夫。大抵は転生者は幸せになるようにできている。他を不幸にする恐怖を持っている限り心配いらない」
なんだ、それは!
文句を言いたいが、急激に視界が真っ暗になった。
加奈子の意識もそこで途切れた。
マーリカのための用意された都合のいい世界。だって補償だから。