テリーの災難
テリーにとってアデルは苦手な性格の女性だ。アデルの父である現バークス侯爵家当主の従妹の子供である自分も一応はバークス侯爵家に連なる家系だ。連なると言っても、テリーは子爵家の子息であったが、爵位を継承しないため大勢いる血族の中の一人だ。最低限の教育を終えた後、すぐにバークス商会に入り、そこそこの地位で働いている。
そんな10歳年下のアデルと出会ったのはテリーが15歳の時だった。アデルは非常に優秀な令嬢で、貴族らしい令嬢だった。
だがそれは決していい意味ではない。自分が一番正しく、ほんの少しの違いや異なる意見を良しとしない性格だった。年配者が愛情をもって指導すればいいのかもしれないが、侯爵家の令嬢だからと、誰からの批判も注意も受けずに育ってしまった。
そのため、幼い頃から「身分を笠に着て」というのがぴったりな令嬢になっていた。本人は気がついていないだろうが、わかる人は必要以上に近寄らないようにしている。
テリーもその他大勢と同じで、アデルにはできる限り近づきたくない。そう思っていたにもかかわらず、仕事上、それなりに接点ができる。
いずれはバークス侯爵家を背負うのだから、幼いうちから仕事を見ていくのは教育としてはいいのだと思う。思うのだが、その被害を被るのはいつも従業員だ。
バークス商会の中ではもっとも侯爵家に近い血筋のため、従業員と侯爵家、特にアデルとの調整を任されてしまっていた。アデルは絶対に折れることがないから、最終的には従業員側が我慢しなくてはいけなかった。
「大変よねぇ」
面白そうに言うのは、現在の恋人であるモニカだ。結婚の約束は特にしていないが、一緒に暮らしている。愛情があるのかと問われれば、二人ともどうだろうと首を傾げてしまうような仲だ。ただ単に面倒がないので、お互い依存しているような関係だ。
モニカと体の関係になったのは、彼女がテリーの補助に入って2年目の時だった。今ではバークス商会内でも公認で、二人まとめておけば効率よく仕事をするので放置されている。
モニカは台所で朝食の支度をしているので、テリーはパンを手に取り、スライスした。慣れた作業をしながら、ため息をつく。
「大変なんて言葉で済ますんじゃない」
「それ以上、何も言えないじゃない。それにしてもお嬢さまの結婚相手、って」
モニカが首だけ捻ってテリーの方を見た。その目はどういう事だと問いただしているように見える。彼女の顔を一瞥してから、作業に戻る。
「バークス侯爵は俺とモニカが一緒に暮らしているのを知っていて打診しているんだ」
「へえ。じゃあ、わたし、商会からも追い出されるのかしら?」
どこまで信用しているのか、言葉遊びのように軽い。テリーはしかめっ面になった。
「商会、辞めようかな」
「本気?」
「本気。アデル様と結婚するぐらいなら、新天地に行きたい。一層のこと、ライバル商会の引き抜きを受けてやろうか」
悲壮感漂う男の弱音に、モニカもさすがに表情を改めた。料理する手を止めて、テリーの側に歩み寄った。テリーの側に立つと、座っているテリーの顔を上から覗き込んだ。
「ねえ、どうしたの? テリーが色々な貴族とのつながりがあって情報を得ているのは知っているけど、悲観的過ぎるわ」
「バークス侯爵家が沈没船だと色々な人に言われていてね。色々なところから契約の見直しや保留が続いている」
その程度で辞めたいと愚痴をこぼすような人間ではないことを知っているモニカは訝し気に彼を見つめた。
「他に心配事でもあるの?」
「……アデル様が前に契約したチョコレート、覚えているか?」
「覚えているわよ。わたしが処理したんだし」
首を傾げれば、テリーはため息をついた。
「あれ、ヤバい」
「味が? あれを特別な高級な品だと思うのが貴族だと思ったんだけど?」
「貴族だって人間だ。まずいものはまずい」
テリーは嫌そうな顔をした。モニカもチョコレートを食べたことがあるので、特に反論はない。
「他国の貴族の味覚が破壊されているのか、この国の人たちが理解できない高貴な味なのか、庶民であるわたしには判断ができない味だったわ」
「そのチョコレートが大量に倉庫に仕舞われているが、一向に減らない」
「えー? それこそお嬢さまに頼んで貴族社会に広めたらいいじゃない」
簡単でしょう、と笑えば、テリーは首を左右に振った。
「アデル様は今屋敷に引きこもっているからな。茶会も夜会にも参加していない。無理だろう」
「え? 嘘? 本当に? こういう時こそ、お得意の貴族の繋がりを存分に使うんじゃないの?」
モニカはぽかんとした顔になった。
「嘘じゃない。アデル様も居心地が悪いんだろうよ」
「そうだね。わたしたちの所にも噂が流れてくるようなものだもの」
モニカは納得したように頷くと、立ち上がる。
「ほら、そろそろ食事にしましょう。今日も忙しいわよ」
「ああ、仕事、行きたくない」
「何を言っているの。早く食べてちょうだい」
そう言いながら、モニカはスープとサラダ、それにカリカリに焼いたベーコンの入った皿をテーブルに並べた。テリーの切ったパンもテーブルの中央に置く。二人でそろって朝食を食べる。
「今日は貴族区域にある商会に寄ってから、平民区域に行くから。モニカは商会の留守を頼む」
「平民区域?」
「チョコレートの意見を聞いてくる」
「……ご苦労様」
モニカは苦笑すると、空になった皿を片付けた。テリーも出かけるための支度をしに、寝室へと向かう。奥の部屋へと入る直前に足を止めた。
「そうだ。モニカ」
「んー?」
食器を洗いながら、モニカが生返事をする。
「落ち着いたら、結婚しよう」
「わかったわ。結婚ね……。結婚?!」
「そう。今回、思ったんだ。俺、お前以外とうまく生活できる気がしない」
どうにも適当な結婚の申し込みにモニカは笑った。彼の愛情があるのかないのかわからない申し込み方がだ、少なくともこのまま共に暮らしたいと思える程度には気持ちがあるらしい。モニカにしてもすでに23歳だ。少女らしい夢よりも現実の方がはるかに大切だった。
「じゃあ、仕事が落ち着いたらね」
「ん、よろしく」
テリーは満足そうに笑うと、寝室に戻っていった。
******
平民区域にある商会の会議室でチョコレートを広げていた。集めたのは平民区域の商会に勤めている4名だ。色々な意見が聞きたいため、年齢層もばらばらにしている。
今日の集まってもらった目的は、貴族たちに売れなくとも、平民には売れないかと平民区域の従業員に意見を聞くためだ。そろそろこれの使い道を考えないと、後は腐らせるだけになる。1年ぐらいは保存がきくようだが、利点はそれぐらいしかない。
食べさせられた従業員たちは何とも言えない顔をしてじっとチョコレートを見ている。
「薬として売り出すとかどうでしょうか?」
恐る恐ると言ったように一番若い従業員が意見を言った。テリーは無理だろう、と思ったのですぐに却下しようとしたら、年配の従業員が残念な人を見る目で発言した者を見た。
「効能がわからない、値段も高い、味もまずい。売れる要素がないんだが」
全くその通りだ。発言した従業員も当然それは考えたことである。ただ意見を言わないといけないと言う気分だけで言って見ただけだ。再び重い沈黙が会議室を満たした。
「今更なのですが……本当に菓子なんでしょうか?」
そもそも論まで出てくる始末だ。
「そう聞いている」
「実は処理に困って菓子としてこちらに押し付けたとか」
「否定できないところが痛い」
テリーはため息をついた。
「あの」
恐る恐る手が上がる。目で話すように促せば、先ほどの若い従業員は緊張しながら意見を述べた。
「食べられるようなものではないと相手側と再交渉できないのですか?」
再び沈黙が降りた。誰もかれも売れないことを確信し、手を引くべきだと思っている。テリーの判断を待つように4人の従業員の目がテリーの方を向いている。
「できればいいんだが……」
唸るようにテリーが言えば、皆、無理なんだろうと察した。だからこその意見を聞く場なのだ。誰もが何も言葉が思い浮かばずに沈黙している中、扉が開いた。
「大変です! お嬢さまが騎士団に連行されました!」
「は?」
テリーが間抜けな顔で入ってきた従業員を見る。彼は言付けをもらってすぐにこの部屋に飛び込んできたのか、嫌に息が荒い。
「今、モニカさんが帰ってきまして」
「モニカがここにいるのか?」
何が起こっているのかさっぱりだったが、まずいことが起こっているのだけは理解できた。
「はい。モニカさんは今、侯爵家に連絡を取っています」
「わかった」
伝言を受け取ると、テリーは会議室にいた面々にため息をついた。
「チョコレートの件は後にしよう。それまでに何かいい案がないか考えてくれ」
「わかりました」
とりあえず会議はお開きになった。
テリーは重い気分で騎士団へアデルを迎えに向かった。




