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異妖譚々  作者: 仰木 秋野
6/224

1(四)

 後日。僅かな淀みにすら生じる澱のような日常が待っていた。

     四


 放課後のホームルームを迎える。ぼーっとして学業に身が入らない、無為な一日が、終わろうとしていた。


「ハッ、今抜け毛が床に落ちなかったか? 何か音がしたよな⁉」


 教師による自虐ネタだった。教室中に笑いが起こる。教師が話している最中に、生徒が物音を立てると発生する、恒例イベントだ。


「では、先生の髪に、ハイさよなら~」

『さよならー』


 事務的な連絡と簡単な歓談を終えた後で、一日の終わりの適当な礼を、教師と生徒が一緒になって済ませる。教卓で書類をトントンと整えているあの担任教師、織田先生は、体育教師でもないのにジャージを着ていて、なおかつだらしのない体型のため、ただの普通のおっさんにしか見えない。毛量にはまだ余裕がありそうだが、本人はいつ禿げるかとビクビクしていて、ホームルームに日々減少していく頭髪の自虐ネタを披露するのが恒例になっていた。

 そして放課後の、教職員と生徒が一緒に行う決まりの掃除を終えると、昇降口掃除から戻ってきた僕は伸びをして自分の席に着いた。


「んっ、んー!」


 教室掃除監督でもある担任の織田先生は既に教室を出て行った後のようで、部活動や帰宅の支度を始めるクラスメイトが大半を占めている。そんな中、僕は帰ろうとするでもなく、椅子の背もたれに寄りかかり、両腕をだらりと下げて、天井を見上げていた。身体を動かす気力が戻るまでリラックス。

 これもまた(特に夏、僕の中で)恒例の、思考停止タイムだ。


 ここ“学庵(がくあん)”は、幼・小・中・高等教育を一身に請け負う、小規模の学舎である。因みに、学舎と学校はその大体の規模で区別されるが、比較的小規模である学舎の中でも特に小規模なのが、この学庵ということになる。

 どのくらい小規模かというと、例えば一般的な高等学校なら生徒数が九〇〇人前後、高等学舎なら四五〇人前後であるところ、ここでは全校生徒を数えても―――つまり、小中高の児童・生徒、そして今年度に試験的導入がなされたばかりの、就学前教育を受けている幼児まで含めても、二〇〇人に満たないのだ。

 それほど小規模ではあるのだが、ここが教育の現場という事実は変わらない。そして、劣悪な環境でもない。確かに、他の学舎と比べてしまえば異色過ぎるし、一体どこまで対象年齢の幅を広げるのかというツッコミは皆が諦めているほど、経営に関して無茶苦茶な教育施設であるが、それでも子は育つのであった。

 不景気と人口減少、それに伴う地方の過疎化・弱体化が、巡り巡って保育園・保育士の不足と、ここに在籍している子供達の現状を作り出しているのは事実だ。保育園あるいは幼稚園から零れた子供がやってきて、ずるずるとエスカレーターに乗ったまま階上へ向かうがごとく、他の学舎に転入するでもなく、半ば惰性で進級していくのだろう。

 ちょうど、僕の同級生のように。

 しかし、ここは閉鎖空間ではなく、なまじ他の学舎の生徒と広く関わっていたりするために、浮世離れすることもない。学内の年齢層の問題を除けば、少し厳しめのカリキュラムで児童生徒を追い立てる普通の学校と、何ら変わりない。惰性とはいっても、この環境で生活することを拒絶する理由もないのだった。


「キャー、ぎゃははははは」

「あ、バリアー!」

「えー。タッチしたでしょ、ずるいよぅ!」


 ただ、「余った」「溢れた」「零れた」と言われる子供達が成長するこの環境を「最悪だ」「仕方のない」と悲観するのも、自棄になって改善を諦めるのも、また違う。それは例えば向日葵の成長と一緒だ。日に向かってぐんぐん伸びる。天気も変えられないし土も耕せないけれど、太陽と水と土のある限り、成長していくことができる。

 伸びるように伸びるしかないけれど、無気力ではない。仕方なくでもない。

 木造の建物は、ちゃんと、子供達の活力で満ちていた。階段を軋ませたり、床を軋ませたり、色々な場所で軋む音を立てながら、嵐のように移動する元気で。

 足の生えた向日葵達は今日も―――。


「タッチ」


 鬼ごっこを楽しんでいた子供の一人が、自分の教室で、自分の席でぼーっとしていた僕の太ももにタッチした。


「だめだめ。ぼーっとしてるときのユキにーちゃんはなにしてもはんのうしないよ」

「えー、そんなことないよー」

「………」


 僕にタッチしてきた子供にジロ、と目を遣ると、ニヘ、と無邪気に笑っていた。


「おに!」


 こちらをビシッと指さしてそう宣言してきた。

 誰が鬼だ。


「こいつめ」

「あいたっ」


 姿勢を正し、どうやら鬼ごっこの鬼らしい子の額を軽く小突く。


「こらこら、いつまでも鬼ごっこなんてしてないで、うちの人が心配するから、早く帰―――」

「わー、めずらしくユキにーちゃんがはんのうしたー!」

「でもざんねーん、にーちゃんへのタッチはムコウでーす。ぎゃははははは」

「えー、だってみんなバリアつかうじゃんー!」

「ばーか、三かいまではいいんだよ」

「そーだそーだー!」

「ひどい! さっきは一かいまでっていってたのに! みんなのいじわる!」

「わー、おこった! にげろ~」


 僕の説教もそこそこに子供達は退散していった。


「…………」


 それを見送り、ひとり肩を竦める。やる気のない、けれども説教くさい大人を演じていた表情が、すぅ、と暗くなっていく。それが自分でも分かる。

 クイクイ


「ん?」


 再びだらりと下げた袖を引っ張られた。誰かと思って横を見れば、先程の鬼ごっこに加わっていたと思われる一人の子供が、まだそこにいた。


「皆もう行っちゃったよ?」


 我ながら、先程のやり取りを見ていれば誰でも分かるようなことをわざわざ言ってしまったと思う。その子供は首を振って、小さな声でおずおずと切り出した。


「き、きょーは、ひまーりぐみこないの?」


 ヒマワリ組。学庵内の幼年学級の一つである。


「今日は無理かなぁ。ごめんね。今度、紙芝居を読みに行ってあげるからね」

「こんどって? あした?」

「うーんと………来週、お邪魔するよ。待てるかい?」

「うん」

「よしっ」


 その俯き加減の頭を、優しく、けれどもなるべく雑に、ポンポンとたたくように撫でつける。


「………」


 ぱぁ、と、嬉しいことがあるとすぐに満面の笑みを浮かべるような、先程の子供達とは少し違う。この子は、上目遣いではにかむように、喜色を控えめに表現する。


「早めに。気を付けて帰ってね」

「……バイバイ」

「バイバイ」


 教室を出て行く子に手を振り返した後で、再び椅子にもたれる。


「…………」


いけないな。子供だって空元気を見抜けるのだから。


(………気を抜き過ぎなのかな)


 元気が空元気になってしまう問題の原因には、心当たりがあり過ぎた。

 子供達が元気なのはいいことに違いない。ただどうしても、見守る大人にそれが足りていないと、などと考えてしまう。それが怖いのだ。子供の活力を守るだけの活力を、本来持ち合わせているべき大人が持ち合わせていなかったら。自分以外の生命を守ることができないのなら。

 守らなければならない子供を守れる大人がいなかったら、誰が守るというのか。


(………気負い過ぎなのかな)


「あーあ」


 僕がそんな、諦めたような、ともすれば絶望したような溜め息を吐いた時だ。正面から少女が歩いて来た。


「皆ユキが大好きなんだね~」


 子供達が去った、教室の後ろの出入口を見ながら、クラスメイトの一人、はーちゃんが僕の席に近付いてきた。既に帰りの支度を終えているようで、両手で持った手提げ鞄を揺らしながら、その伸びきった膝にポコポコと当てていた。


「ま、あの子達も、まだまだ小さいし、遊びたい盛りなんでしょう。ああやって他の子も巻き込むように元気にしてくれるんだから、そんなに怒らないで。許してあげて?」


 さっぱりとした印象の整った表情に八重歯を覗かせ、にぃ、と快活な笑みを見せる。許してあげろ、などと言ってくるが、まさかあの鬼ごっこ集団に対して、僕が本気で怒っていたと思っているわけではあるまい。さっき僕が見せた説教くさい態度を冷やかしているのだ。


「はいはい。でも、そうは言ってもさ―――」


 投げやりに流そうと思ったが、やめた。はーちゃんの態度は冷やかしそのものであったけれども、冷やかしながら言った内容は至って真面目なものであったので、一応、真意を話す。


「そうは言ってもさ、自分の家族が過保護なの知ってても、ああなんだよ、あの子達は。ほっとくと、また前みたいに『帰りが遅い!』って、警察を巻き込んだ大騒ぎになるかもしれないから」

「空騒ぎじゃなくて本当に誘拐事件だった、なんてこともあったもんね」


 最後の、あの子。


「………だからさ。余計にね」


 あれでも、かなり持ち直した方なのだ。


「心配なんだ?」

「上級生として、ね」


 実際は、生徒はさっきのように自由に階を移動したり、他の教室に出入りしたりするし、上級生と下級生の垣根なんて、在って無いようなものだけれど。高等部卒業を迎えるつもりで学庵に在籍しているうちに、一緒にいる生徒がみんな家族のように思えてきた。そうすると、まるで親のように、こういう心配までするようになってしまったのだ。


「心配をかけている自覚が、子供達にないうちは………大袈裟にでも、心配してあげなきゃいけないよ。心の傷が新しい子に対してなら、なおさらだ」

「あはは。大変ねぇ、()()()()()()は」


 はーちゃんは、その短めの黒髪を揺らしながら、健康的に日焼けした顔に年頃の少女らしい悪戯っぽい笑みを浮かべると、僕の背中を軽く叩いた。


「じゃ、私はこれで」

「ああ。またね」


 何が面白いのか、とても楽しそうに廊下を何往復も走っている子供達。その不思議な遊びを見守りながら、はーちゃんは去って行く。


(おにいちゃん、か)


 そうして物思いにでも耽って、また時間を無駄にしそうだった僕に、今度は別のクラスメイトが話しかけてきた。


「なあ。お前ら、どうして付き合わねぇの?」

「………」

「それとも、もう付き合ってんの?」


 左斜め前の席から唐突に変なことを質問してきた彼は、里田という。歯に衣着せぬ物言いに定評のある、彫りの深い顔に短髪角刈りの男児である。因みにあの発言は冷やかしや皮肉の類ではない。彼の素だ。


「その質問、何回目だよ」

「………まあ当人達がそれでいいってんなら、それでいいんだが」


 里田は僕の前の席に移ると腰を下ろした。


「だからそういうんじゃないって。じゃ、僕はもう帰―――」

「それよりさ、やっぱり気になったんだよ、今朝のアレ」


 適当に話を切り上げるのに僕が立とうとすれば、先に里田が話を始めてしまう。


「………ああ。行方不明だった人達が、ってやつ、ね」


『―――集団誘拐事件により行方不明となっていた五三名の女性のうち、九名が無事保護されました―――警察では救出されたその九名に聴取りを行うとともに、他の被害者の行方を捜査しています―――』


 今朝のニュースではそんなことを言っていたっけ。それにしても、報道されていないというか、あえて報道していない情報があるだろうというのは最早明白であって。報道管制を敷いているのか、あるいはそもそも警察がメディアにそこまでの情報を公表していないだけなのかは分からないけれど。

 九人。間違いない、伏された情報があるのは確かだけれど、公表されるべき数字は合っていた。五三人も行方不明なのに、生存が確認されたのは九人だけ。


 ―――無事保護されました―――


 しかし、『無事』って。多分、外傷はない。それはそうだ。でも、その人達はもう普通の生活は送れないよ。今までを平和に暮らしていた、一般人だったなら。


 ―――他の被害者の行方を捜査しています―――


 しかし、『被害者の行方』って。そんな言い方をしたらまるで、まだ希望があるみたいじゃないか。

 そんなもの、これ以上は見つかるわけないし。

 だって、未確認というだけで、実際にはもう―――


「まぁ、これ以上は見つからんだろうなぁ。………そうだよな?」

「……ああ。そうだろうね」


 携帯端末を弄り始めると、今朝のニュースに僕と全く同じ感想を漏らした里田。


「しっかしまぁ、女だけを狙って、攫うだけ攫っといて、最後は攫った側が皆消えちまったっていうんだから、重大珍事件として取り上げられるのも無理はないな。一般人にとり、その辺の真相は続報を待つしかないとしてもさ。関心が関心を呼んで憶測で溢れることになるぞ。………それにしてもあいつら、このタイミングでいきなりそんな大事を起こしたのはなぜなんだ? 目立つだけだろうに。効率を優先したんだとしても、リスキー過ぎるだろうが」


 いや、全く同感なのだが―――。


「攫ってから最初のうちは、まだかなりの数が残っていた筈だ。結果を見れば、残った数が少ないのは()っちまったからで間違いないだろうが、それでも過剰に残すくらいなら、どうして一度にそれだけ多く獲るんだって話―――」

「サト、そろそろ」

「ん。ああ、ワリ」


 端末から顔を上げた里田が、目だけで周囲を窺った。

 幸い、今が放課後だったため他の生徒の話し声で騒がしく、また里田の声はそこまで大きくなかったのもあり、今の会話が周囲に聞かれることはなかった。釘を刺されたことによって不謹慎な会話も中断し、里田はその彫りの深い顔に反省の色を浮かべた。

 無遠慮なものの言い方に苦言を呈されることはあれど、里田は基本いいやつなのだ。


「流石に言い方ってもんがあるよな。………ま、ともかく。()()の夏休み、お互い死なないように気を付けようぜ」


 里田は周囲に目を遣りながら声を小さくして言った。

 夏休み中の補講。生徒()()が対象のこの『夏期講習』への出席は出席日数に数えられるから、そんなほとんど出席強制の授業が、夏休み一二日目の今日まで続いたわけだ。そして里田はこの『講習』というものをとても嫌った。『残り』と強調したのはそのためだ。


「ああ。死なないよう、気を付けるか」


 僕は里田の物言いに苦笑しながら、肩を竦めた。

※6/10 改稿に追いついていなかった部分を修正しました。

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