1(三)
三
「案内役くらい用意しておけば………よく考えたら、今わの際に嘘を吐くやつだって、いるかもしれないわけだしな。くそ、そういう周到さが足りないから―――」
ガサゴソと漁る、探る、手繰る。物品の主な材質は段ボールだったり、木だったりするし、光沢のない焼き物であったりもする。様々な箱、箱、箱。それに桶、壺、農具、あとやっぱり箱。手探りで作業を進めるには余りに量が多いため、探し物を見た目で判断できれば良いのだが。手に取れるくらい近くに寄らなければ材質までは確認できないし、目の前の物を確認したところで奥の方に位置する物までは見えないから、確認済みの物からどかしていく必要がある。
村中のガラクタが収められていると思しきこの倉庫は、それほど広くて暗かったのだ。村全体での照明の数が限られているのなら仕方がないのかもしれないが、それにしても、せめてもう少し、自分の足場が見えるくらいには明るくても良いのではないか。
照明といえば、この倉庫の東西の壁際に一つずつ置いてある、油の少ない灯台のみだ。細い棒の上に取り付けられた火皿に僅かな灯油が注がれていて、そこに浸してある紐の灯心が火を灯してゆらゆらと燃え続ける。しかしそれらだけでこの広さを、まして荷物が山のように積み上がり連なった倉庫内を充分に照らせている筈もなく、暗がりの部分は自らの見当のみで探す外ないというわけだ。それでも、勝手知ったる村人とやらには、視界の良さなど必要ないとでもいうのだろうか?
あるいは、物を見つけやすい明るさだと何か不都合があるのか。
「―――! いや、違う、違う………」
灯台の火が、大きな壺や箱の影をゆらゆらと揺らすものだから、時々誰かが来たのではないかと勘違いしてしまい、神経はいやでも擦り減る。倉庫の入り口の扉は閉じているのだ、ただの隙間風だと頭では分かっていても、「まさか………」などと思い始めれば、振り返って扉が閉じたままであるのを確認し、胸を撫で下ろさずにはいられない。
自分が何か取りこぼしているのではないか。そのことによって、予想外の不都合が生じてしまったりはしないか。そんな不安は、常に付き纏う。
そうして未だに終わりの見えない作業を続けているのだ。
(いい加減しんどくなってきた………)
「あ………チッ」
中身を調べ終え、段ボール箱の蓋を乱暴に閉めれば、手にべったりとしたものが付く。
ああっ、開ける時には気を付けていたのに!
その汚れは風化しておらず、甘いニオイだったり、酸っぱいニオイだったり。木箱や壺と違って、比較的新しい荷物ゆえだろうか。
「すんすん………うへぇ~………」
手に付く汚れが埃や蜘蛛の巣程度ならまだいいが、それがこのように変なニオイの、よく分からない液体とか、液体が凝固したようなものともなれば流石に気が滅入る。
気が滅入ろうが、イラつこうが、探し物は続けなければならなかったわけだけれど。
(虫がいないのは幸いだったな。蜘蛛の巣は張ってあるのに羽虫もろくに飛んでいないのは………まぁ、こちらにとっては都合がいい)
両手がすっかり汚れて、倉庫のニオイに慣れてしまう頃には、暗闇にも目が慣れ、探し物がいくらか捗るようになっていた。
(見つけた)
そんな時だ。探し物が捗ったから、却って何もなさそうに思えてきて絶望しかけた時に、倉庫の更に奥へと繋がる道を見つけた。
上下の物品同士がそれぞれ固定され、引き戸のように開けられるよう積んである荷物の壁があったのだ。決して軽くはないその壁をどかすと、倉庫の奥まった場所、その空いたスペースに、床に嵌められた木の板らしきものがある。不自然に縦横の均整の取れた、その長方形の上に何かが落ちていると思い、拾おうとしたところ、それは輪の形をした金具で、木の板に取り付けられた取手であることが分かった。
金具に板の重量を感じながら持ち上げようとすれば、ビンゴ。持ち上がるぞ、これ。
(………地下、か)
倉庫の中に決定的な何か―――それは例えば、とても残酷な残骸であったり―――を求めていればこそ、それ相応の覚悟を用意できていたが、倉庫の奥に何かが、空間が地下にあるともなれば、覚悟の上に覚悟が要る。
大変なことになったぞ、と思いながら、持ち上がると分かった扉を持ち上げるか、躊躇してしまう。
(大変なこと………なんて。今更だよな)
自分の覚悟に若干の反省を込めて、持ってきた紙マスクを装着する。
「よし」
意を決して扉を持ち上げた。
「うっ」
木の板を持ち上げた瞬間、少しの砂埃が舞い上がるのとほぼ同時に、マスク越しながら顔を顰めたくなるような、鼻を突くニオイが噴き出した。
当たりだな、というのと、当たってしまったなという思いと。倉庫に入ったばかりの時に感じた埃っぽさが可愛く思えるほどだ。そういう埃っぽさとか、村のはずれの肥溜めから漂ってくる排泄物のニオイとか。それすら凌駕する不快感を起こさせる、饐えた臭気。
嫌な生臭さだ。
「…………」
そんな、冷たく不快なニオイが、暗闇の中へと続いている階段を駆け上がってくる。
「…………」
冒険活劇やミステリなど、一般向けの創作でもてはやされた隠し階段とはわけが違う。
シャレになっていない。
「よし、行こう」
一歩踏み出せば、どっしりとした感触が足の裏に伝わった。木の板を土にめり込ませただけの階段だが、踏みしめたところで軋む音も上げず、微動だにしない。
バタンという音とともに、頭上……背後の扉が閉じる。
罠がないかと注意しながら、暗闇の中で目を凝らす。
(暗いけど、全く見えないわけじゃないな。よしよし。まだ僕も捨てたものでは………)
灯台の明かりすら絶たれてしまった暗闇の中、転ばないように、落ちないように階段を下りて行く。手すりのない壁に乱暴に手を預けてみると、ペタンと音がした。思いの外しっかりしている。
なかなか頑丈に作られているようであるこの地下の空洞は、しかし、コンクリートで固めてあるわけでもなく、周囲は土か泥で固められているのみだった。やたら頼もしく感じるのは、その年季のせいでもあるのだろう。
まるで原始的なシェルター。防空壕のようだ。
用途は違う空間だろうけれど。
(明かり………?)
階段を下りきったところからは、真っ直ぐな通路が伸びていた。先の方に、土の内壁を控えめに照らす明かりが見える。
(保管庫だろうけど。ただの倉庫、というわけでもないよな)
例えば財などの蓄えがあるなら、他のコミュニティとの交易がある筈で、村もあそこまで閉鎖的でなかった筈だし、関係が余程一方的なものでない限り、全体として村が困窮している様子だというのもおかしな話になる。もっと豊かである筈だからだ。つまり、おそらくは交換云々の前に自分達で消費するような物で、生命活動に直結する蓄え―――。
ただ決定打は、ひもじい思いをしてまで、交換価値の高い物やいわくつきの品々のお守をするようなやつらには見えなかったから、という理由だったけれど。
(やはり、食糧庫か?)
念のためというつもりで、足の裏と地面とを多少擦り合わせたが、思ったほど足は滑らなかった。固くなった地面も足の裏が痛くなるというほどではなく、一定程度は湿気を含んでいる。
(そうか。ここ、温度は確かに低めだけど、食糧を保管しておくには湿度が高過ぎるんだ)
では、何を保管する場所なのか。
ブン、と顔の横を何かが通り過ぎた。
蝿だ。
「…………」
さらに歩いて行くと、空洞の雰囲気がガラリと変わった。両脇の壁に、灯台や燭台、とにかく順番が不規則で種類が不揃いな照明と、南京錠のついた扉が一定の間隔で並んでいる。まるで牢獄だ。流石に何もないトンネルでは済まないかと苦笑する。
不気味なほど静まり返り、相変わらず酷い臭気に満ちた空間に、固い土を踏む自分の足音だけが響いていった。
数分後。
いや、十数分後?
分からない。もっと経ったかもしれないし、それほど時間は経過していないのかもしれない。
いや、分からないけれど。
分からないんだ。そう、分からない―――
なぜ未だ、何も見当たらない―――
(まさか、こんな大きな場所までこしらえて、そんなことはない筈だ。そうだとしたら、考えられるのは、もう―――)
最初の牢の中には、誰もいなかった。二つ目も。三つ目、四つ目、五つ目も―――。
数こそ少ないものの、目の前を鬱陶しく飛び回る蝿。それを追い払うことすら忘れて。
いくつも、いくつも、いくつもの、空の牢を見て回った。
格子越しに牢の中を見て。扉の錠が開いているなら、入って確かめた。
固まった血液も、糞便の片付けられた痕跡も。何も、見落とさないように。
いつの間にか早足になっていた。変な焦燥感が僕を駆り立てる。冷や汗が首元を伝い、動悸が収まらなくなっていた。マスクを今すぐにでも取っ払ってしまいたいほど苦しい。これはおかしいな。ここは涼しいし、僕も疲れているわけではないのに。何だろう、この嫌な感覚は? 酸欠かな。そうだよ、きっと。そうに違いない。
しかし本当の所は、理解していたのだ。見つからないからこその焦燥感と失望であることを。そして、仮に見つかったとしても、やはり絶望するしかないのだということを。
諦めきれない僕は、それでもどこかに、ある筈のない救いを求めていた。
僕が何を思おうとも、どうあがこうとも、現実はただ、それを示すだけなのに。
「あぁ………」
我ながら情けないほど絶望感の滲んだ溜め息だ。
「やっぱりここは、新鮮な食糧を保管しておくための場所………」
それは、地下道に吹いている風に違和感を覚え、やはりどこかに通気孔でもあるのだろうかと思い始めた頃。自分が酸欠になっていないことを確認し、活動を再開したところで、何番目かの牢の中に見つけてしまったのだ。
「僕は、遅過ぎたのか」
それは実に、何気ないことだった。既に誰もいない牢を検めるのと同じような調子で、乱暴に探し物をするような仕方で、格子越しに、何の気なしに、見てしまっただけ。
そしてそれが人間の顔だったことに、僕は少しだけ、ほんの少しだけ、動揺してしまったのだ。