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異妖譚々  作者: 仰木 秋野
3/224

1   光差さぬ場所

     一


 自宅のある中央町から数えて一二駅目で乗り換え、さらに八駅ほど過ぎたところで電車を降りる。改札を抜けて辺りを見回すと、駅前は商店街だった。ただ、人通りは少なく、ほとんどの店が定休日でもないのにシャッターで閉ざされていたけれど。


「シャッター街、か」


 見る者が見れば溜め息でも吐きたくなるほどの、独特な哀愁だ。

 掃除されている路面には箒と塵取りが捨てられていて、その成果なのか中々に黒ずんだカーキ色のタイル、そして道脇には、張り紙が何度も剥がされた跡を隠しもしない電信柱が等間隔で並ぶ。


 寂れているが、普通の町だ、と思う。

 しかし残念ながら、この普通の町に用はない。


 足取りを重くするでもなく、町を過ぎて、田舎道を歩いて行く。やがて田園が途切れ、ただの平野となる。砂利道や砂地に沿うように生えていただけの雑草は、いつの間にか地面全てを覆っている。道までもが途切れたようだ。遠くに連なる山々を見回しながら、草地をさらに歩いて行くと、眼前に人の手の入っていないような林が広がっていく。この雑木林の向こうには深緑の山々があり、この林そのものも緩やかに傾斜していた。ここが山の入口なのだろう。

 先程の道の無くなり方が脳裏を掠める。

 一見すると何でもないようなこの場所に、直感が不自然だと告げる。田舎道の単なる終点ではない、そんな、少々強めの違和感だ。

 何より、微かに催す、吐き気にも似た不快感。


「…………」


 当たりだ。

 立ち止まり、林の中へ、つまり山の方へ歩いて行く。

 獣道らしきものがちらほらと見受けられたから、それを目印に軌道を修正しながら、山の奥へと進んで行く。まるで原生林のような場所だ。そもそも、こういったところを一人で鈴も付けずに歩くのは余り褒められたものではないのだが、鈴を忘れてきた今の僕にとっては、熊などに出くわすのを避けることよりも、どこかへ続いているらしいこれらの道を見失わないようにすることの方が先決だった。


「ふ~………」


 山林で歩を進めるごとに強くなる不快感に耐えながら、どのくらい経ったろうか。ふと現在時刻が気になった。余裕をもっての出発だったのに、もう日が高く昇っている。「あーあ」などと夏の太陽に溜め息を吐けば空しいだけだった。空しさに足元を見遣れば、ボロボロに汚れた自分の裾が見えた。それほど藪の中を進んだ記憶はないのだが、山中ではこういうことがあるものだ。枝や葉、それに虫などへの防御として纏った衣服は汚れていて、内側は自分の汗で蒸れてもいたが、脱ぎたくなるのを我慢しなければならない。水分補給をこまめに行い、凍らせて持ってきた保冷材のいくつかで身体を冷やしながら、自身の位置、方位を見失わないように進んで行く。目的地はまだ少し先だ。




 林を抜けると、視界が急に明るくなったために、思わず目を細める。開けた土地に出たのだ。


「やっと着いた………!」


 やっと涼しい格好に戻れる。目的地に着いたことに加え、ずっと続いていた不快感が綺麗さっぱり消え去ったことも手伝って、嬉々として長袖・長ズボンを脱いだ。余計なものは全てバックパックにしまうと、運動用の半袖・ハーフパンツといった格好になる。

 ちょっとした解放感の中、気化する汗が体温を奪っていくのを感じた。衣服をつまんで風を起こすと、涼しい風が服と素肌の間をすぅすぅと吹き抜けていく。

 しかし、身体を冷やそうと思ったこの空気に、妙なニオイが混じっていることに気付く。もちろん、自分の汗臭さなどとは違う。平和な日常生活では全くと言っていいほど嗅がない類のニオイだ。


「………まぁ、それはこれから調べるんだし。それにしても、ここも随分と寂れているな。人気が全くない」


 さっき寂れた町を見たばかりというのもあって、辺りを見回すとそんな感想が口をついて出た。

 目的地の、秘境―――とでもいうべきその寂れた集落は、人里どうしを結んでいる筈の道が途切れているところから、山を一つ越えたところにあった。

 そう、こんな様子でも、一応ここは集落。歩いている人間が見当たらないほど寂れてはいても、実際には人が住んでいる筈だ。

 とりあえず、村の中を見て回ることにする。


「車はなさそう………って、そりゃそうか」


 舗装すらなされていない道路が通っているが、長い時間をかけて踏み均され続けたであろう土の路面は固く、人が歩くのに何ら不自由はなさそうだ。その道でつながっている家々は疎らで、「お隣さん」というのは少々歩かなければならない距離にある。家と家との間を田や畑が隔てているからだ。その田畑にも全く人がいないのは気になったが、今日の仕事は終えたのか、屋内に引っ込んででもいるのだろう。村の中からこうして見てみると、どこにでもある普通の田舎と変わらないようだ。


 しかし外から、訪れたばかりの部外者から見たならば、この村の異常性は何となくでも感じとれるだろう。先程の苦労が良い例だ。村の外からは見えないように集落が山林で囲まれ、外との連絡路のようなものも見当たらないのだから。いや、ひょっとしたら存在するのかもしれないが、だとすれば徹底的に隠されているに違いない。『秘境』と形容するのは、少しばかり言葉が過ぎるのかもしれないし、外部からのアクセスが悪い盆地といえばそうであるが―――何というか、閉鎖的過ぎるその独特の雰囲気から、やはり『秘境』と表現した方がしっくりくる、といったところだ。


「人は住んでる………よな?」


 誰にともなく確かめる。周囲から、ぬるりとした、生温かい、どこか気味の悪い視線のようなものは感じるが―――。

 辺りを見回しても、人影は見当たらない。あるのは学校の教科書や郷土史などといった資料に載っているような、一昔も二昔も前の写真や絵に残されているような家々ばかりだ。コンクリートやモルタルなどで固めた建物は見当たらず、茅葺の屋根や木の板、木柱ばかりが目につく。時代に取り残されたような人々の生活空間が、そこにはあった。


「電波は………ダメか」


 ポケットから取り出した端末の表示で電波を確認するが、ダメだった。何も受信できていない。

 端から端まで歩いて、これだもの。この村全体が圏外のようだ。

 だから尚更、ここの住人がどうやって暮らしているのかというのは全然分からなかった。食料・娯楽ともに飽和しているようなこのご時世に、こんなところもあるものだ、と感心するしかない。


 生きるためだけの生活。そんなニオイがする。


「クサいな。単なる肥料のニオイでもない」


 さて。どうやって情報収集をしようか。予想以上に閉鎖的な空間のようだし、迂闊に嗅ぎ回れば締め出される………いや、ひょっとしたら出られなくなる可能性もある。

 ここはただの田舎ではない。

 そう、何度も言うが、秘境そのものなのだから。


「どこかの家を訪ねるか。ただ心配なのは―――って、いやいや、言葉は通じるよな、流石に」


 そう信じたい。


(………あ!)


 人影! 人っ子一人見当たらない、本当に誰もいないのかもしれないと思っていたところに、誰かが歩いているのを見かけた。村の北部をもう一度調べようと、一番大きな屋敷へ向かう途中で、やっと人影を確認したのだ。


「あの、すみません。道を尋ねたいのですが」


 嬉しいような、心細いような、妙な感慨を抱くとともに安堵しながら、迷い込んだ旅行者を装って尋ねてみる。その人影は、随分と着古された衣服を纏っている、この村の住人らしき人間だった。

 ………いや、この村の人間らしき住人、と言った方がいいだろうか?


 冷や汗が吹き出す。


「あんたぁ、ここは初めてかい?」

「はい。どうやら道を間違えたか、地図を読み違えたみたいで」

「ほうほう、そりゃぁ…………」


 ギラリと光る目が、僕と、次に僕の後ろを見た。高さが同じくらいの目線だから、その輝きの異様さを一瞬のうちに観察できた。


 それは、初老の男性の目とは思えないほど、攻撃的な活力に満ちていて―――。


「――――」

「……はい?」


 その口が動く。しかし不思議なことに、何も聞き取れない。ほんの一瞬だけ音声がカットされた映像を見るような、無声映画を見るような。何だ今の。何て言った?


 ゴッ


 耳の後ろで大きな音がした。


 迂闊だったのだ。

 人気のないところでやっと人影を見つけたからとか、怪し過ぎる自覚があるからこそおっかなびっくり話しかけるとか以前に、もう少し早く異変を感じ取れていたら、背後の人物の気配にも気を配れたかもしれないのに―――などという後悔もできず、痛みすら感じる間もなく、視界が暗くなる。


 どういうことだ、と混乱する暇もない。

 ああ、僕はとんでもないところに来てしまったんだな、と。

 何かを考える暇があったら、僕はきっとそんなことを思っただろう。

 ポンコツのニオイがする……。

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