死ぬ為に生まれてきた身代わり王女は全てを諦めていた
その少女は影武者になる為に生まれてきた。生みの親は知らない。魔法によって王女と瓜二つになる様、調整されて生まれてきた人工物。顔は王女で、名前も王女と同じ名を呼ばれる。
少女に自分など無かった。周りからそうであれと言われてきたし、自分にはそうでしか生きる道が無い事を理解していた。いや、諦めといっても良いか。おそらく自分の人生は暗殺されるか不要になり処分されるか……そのどちらかだろう事を理解していた。
「ヴェザリア様」
「はい」
付き人に促され、いつも通り王女と寸分も違わぬ所作で。少女は立ち上がり馬車の上から民に向かって手を振る。今日は建国記念日のパレード。城下町は祭りで賑わっている。
「ヴェザリア様万歳!」
「王女様!」
少女は民の声援にふわりと笑みを浮かべ応える。その姿は民から見たらヴェザリア王女にしか見えないだろう。
少女に名前は無かった。ヴェザリア王女の影武者として記号で呼ばれ、扱われる。そんな扱いに疑問を覚えなかった訳ではない。たが、抗うには余りにも自分は無力であり課せられた役目はどうしようもなく大き過ぎた。
つまるところどうしようもないのだ。生まれながら呪いを背負わせられている様なもの。だから……いつしか少女は諦めていた。抗うと辛くなるだけだ。だったら運命に身を任す方が楽だ。心を保つ為には課せられた呪いに身を任すしかなかった。
「……」
心を殺し、民衆に向けて少女は手を振る。ヴェザリア王女という仮面を被れば何も苦しくはないのだから。
■ ■ ■ ■
少女は用のない時は、日がな一日王宮のとある離れに見張りをつけられ閉じ込められていた。存在が知れ渡れば影武者としての効力も弱まる。だからその存在を知る人も王宮内ではごく一部であった。
離れの室内に並ぶのは無数の絵。少女は絵を描く事を許されていた。絵を描くことが少女は好きであった。きっと見る事の出来ない風景、生き物……。それを想像して描く事が少女の唯一と言って良い楽しみであった。
「〜♪」
上機嫌に鼻歌交じりに少女は筆をキャンパスに滑らせる。少女にとってこの時間だけはヴェザリアでいなくて良い時間なのだ。
「上機嫌だな」
少女の背後からそう投げかけるのは1人の若い騎士。少女の見張りであり正体を知る数少ない者である。
「ヴェザリア様って絵が下手なんでしょう?」
少女は筆を滑らせながら言う。
「……だから何だ」
知るものは少ないがヴェザリア王女は確かに絵を描くことが下手であった。騎士はそれがどうしたという、様子で返すが。
「なのにヴェザリア様の格好をした私が楽しく絵を描いてるのよ。ヴェザリア様と同じで無ければならないのにね。そう考えたら何だか可笑しくって」
「意味が分からん」
少女は度々自らを皮肉る事があった。だが、騎士はいつもの事なので気にもしない。
「断頭台に定期的に上がるのが仕事ってのも珍しいわよね」
「は?」
「私のお仕事。今にも落ちそうな断頭台に首を突っ込むの。死刑囚もびっくりじゃない?」
つまりはいつ暗殺されるか分からない行事に出され続ける事を言っているのだ、と騎士は察した。幸か不幸かまだ一度も暗殺には至られていないが、いつかはその時が訪れる。
「狂ってるよお前は」
「あなたって口悪いわよね」
「……ふん」
「まぁ狂ってるのには違いないわ」
くく、と笑いながら少女は筆を進める。その勢いは滑らかに。そして淀みなく描き終える。
「そういえば、あなたも長いわよね」
キャンパスを変え、次の絵の準備をしながら少女は問う。長い、というのは2人の付き合いの話だ。
「……ああ」
その騎士は少女が幼い頃からの世話係であった。少女もその出自は知らないが、とにかく自分が物心ついた頃から居たのは覚えている。
何とはなしに、この青年の命も危ういものだと分かる。きっと私が用済みになったら消されるかも知れない。
そう考えると何だか不思議な親近感を少女は覚えた。昔から知っているからか。それとも死にゆく先が近いから。その感情の出所がはっきりとしないが、それは確かなものであった。
「ねぇ、この前海に行ったのでしょう。聞かせてよ」
「……めんどくさい」
「いいからはやくっ」
少女の催促され騎士は溜息を吐く。そして語り始めた。この前行った南の海の事。白い砂浜。水平線。沈みゆく夕日。オレンジに染まる海。
少女は青年の話を聞きながら筆を滑らせた。少女は青年の話を聞き、追体験をし、それをキャンパスに描き出すのだ。決して自らの目では見られない、遠くの世界の景色を。
「……とまあ、中々良かったぞ」
「そっか……きっと綺麗だろうなぁ」
青年の話に耳を傾けながら少女は筆を走らせる。描くのは夕陽に染まる海。優しい橙色がキャンパスを染めている。
唐突に淀みなく絵を描いていた少女の手が止まる。絵はほぼ完成している。だが、少女は何かを逡巡していた。その様子は背後にいる青年にも分かるくらいに。
「どうした?」
「いえ何でもないわ」
少女はそう言うと筆を止めた。描かれたのは夕陽染まる海と砂浜。それは、見事な出来栄えだと青年にも分かったが……同時に何かが欠けていると感じた。
「……」
青年はその違和感を伝えようとするが……やめた。少女が静かに自らの絵を眺めているからだ。その後ろ姿は何処か小さく、そして寂しそうであった。
ーーーーそして、月日が流れた。
少女はついに暗殺はされなかったが、役目が終わる時が来た。それは、国の崩壊という形で。王国は栄華を誇ったが傲慢過ぎたのだ。それが憎しみを産み周りの国々は結託し王国を攻め込んだ。そして呆気なく落城した。
「…………」
落城した王城に残るのはヴェザリア王女の写し身。身代わりの少女だけが残っていた。バルコニーから炎に包まれる城下町を静かに眺める。
本物の王族はとうに逃げ失せた。少女の役目はここに残り攻め込んだ敵に殺される事だ。そうすれば本物の王女が見つかる時間が稼げる。
「……」
自分でも驚く程少女は落ち着いていた。この世に未練は無い。そもそも身代わりとしての人生だったのだ。だけど。
「……」
ふと少女は思い返す。あの、見張りの騎士どうしたのかな。国が危なくなってから見なくなったあの青年。大方用済みになって消されたのか。そういえば絵を描いている時。あの青年の話を聞いている時は中々楽しかった。
ーー階下から足音が聞こえて来た。部屋に入って来たのは敵の兵士だ。最後の時か。少女は懐からナイフを取り出し首筋に当てる。どうせ死ぬのだ。敵の手にかかるなら自害の方がマシだろう。
「どうせならあの夕焼けの海の絵。完成させれば良かったかな」
少女はそう独り言ち、ナイフで首を切りーーーー。
「待て」
「え?」
敵の兵士の首が飛んだ。何処からか現れたのか、突然の闖入者に敵兵は混乱する。その隙にあっという間に敵は斬り伏せられる。
「……間に合ったか」
「あなたは」
闖入者の正体は、あの見張りの騎士であった。傷だらけで顔にも濃い疲労の表情が見えていたが、確かにあの青年であった。
「何をしに来たの」
「俺の仕事はあなたの見張りだ」
「もう王国は終わりよ。そんな任務はもはや存在しないわ」
もう使えるべき主人はいない。青年が少女を見張る義務など無いのだ。
「なら、お前もここに縛り付けられる義務もないだろう」
「私は身代わりのために生まれて育ってきたのよ。ここで逃げたら存在意義の否定になるわ」
「……」
「むしろ役目を果たせて私は嬉しいわ。だからあなたは逃げて」
少女は笑顔で青年に言い放つ。放ったつもりだった。
「なら、何でお前は泣いているんだ」
「え……」
少女は自らの頰に触れる。涙で濡れていた。自分でも気付かずに、泣いていた。
「あれ、何で」
涙に気付いてしまった。すると更に涙が溢れ出てくる。同時に押し殺していた感情も。
「ちがう、ちがうの。だって私は身代わりだから。役目を果たさなきゃ」
自分で言い聞かせるように言う。私はその為に生きて来たんだと。
「なあ、俺と逃げよう」
青年の言葉に少女は更に揺さぶられる。
「無理よ。外に出ても……私の役目は無いもの」
「なら俺に守られる役目に着いてくれ」
「え……」
突然の言葉に少女は戸惑う。
「これからはヴェザリア王女の身代わりではなく、お前を守らせてくれ」
「私に、私なんかないわ。私はヴェザリア王女の身代わりだもの」
「ヴェザリア王女は絵なんか描かないよ。さぁ、あの夕日を見に行こう」
「……私は」
ーーその日、王国は終焉を迎えた。王女の死体は見つかる事は無かった。
ーー数十年後。
とある最果ての地の海辺。そこに立つのは小さな小屋。其処には2人の老夫婦が住んでいた。
「……」
小屋の中で1人の老婆が飾られた絵画を眺める。それは何かを懐かしむかの様な眼差しであった。
「おーい、飯出来たぞ」
「はい、今行きますよ」
その声に老婆は幸せそうに目を細めた。絵画に描かれていたのは夕陽に染まる海岸。その中心には1組の夫婦が描かれていた。