ドラコンと対峙する者 Ⅰ
人は一歩ずつ確かに前へと進む。それは今も昔も変わりはしないだろう・・・
ドラゴンのあたかも笑い声をあげているようにも聞き取れる不気味な咆哮が街全体にしきりに轟き渡っていた。
いつしか熱気と鼻がもげそうになるほどの異臭が町全体に充満し、もはや人間が長くいられるような場所ではなくなりつつあった。
街の被害はすでに3割をだしており、なお被害は増すばかりだ。
ドラゴンの金色に光る眼には疲れの色など皆無で、むしろ慣れてきたのか進行速度がさらに進みつつあった。
この日どれだけの者がその恐怖を胸にやきつけられることだろう。
祭りを祝っていた緑の旗もその時の盛んな笑い声とは別に、炎の燃える音とともにはかなく黒く染まって散っていく。
黒く焼け焦げた黒い塊は遠くの空へと救いを求める。そこに何があるわけでもなく、何かしらの希望がそうさせていたのかもしれない。
しかしその希望を踏みにじるかのように夜の闇はまだ続くのであった。
街全てが破壊されるまでそう時間は残されておらず街が消滅するのも、もはや時間の問題だった。
街の破壊はこの街の住民にとって死を意味していた。
それは街が破壊されるということが住むところがなくなることを意味しているからで、山岳に周りを囲まれた立地条件を鑑みれば、助けを求める場所などどこにも存在しなかった。
住む場所がなければ身体的に弱い者から外の寒さに身を亡ぼすのが自ずと見えていた。
また食料の問題もあり、ここクローアース協会の食物庫が破壊されれば、餓死も免れないだろう。
ゆえに園庭の広間にてドラゴンを撃つべく集結した大部隊のほとんどは目の色が真剣そのものだった。
命の危機をそれぞれが自覚し、自己の保全と今後の未来とを天秤にかけながらその手に武器を携えている。
ドラゴン討伐作戦は以下の通りだった。
まずドラゴンの両翼に展開して迎撃する部隊、そして前衛、中衛、後衛に分かれてドラゴンの足を止めをする部隊に分かれてドラゴンを迎撃する。
つまり大事である食物庫の守りを強固にしつつ両翼に展開した部隊と囲い込みで挟撃するといった作戦だった。
むろん騎士団は後衛と両翼に展開している。この作戦の最も重要なカギを握る配置にはある程度の訓練を受けた正式な部隊が布陣するのが当然だ。
それ以外の者は前衛と中衛のどちらか一つしか選べなかった。
前衛とは聞こえがいいが、要はドラゴンを引き付けるための囮のようなもの。ゆえにそこを率先して志願する者などはあまりいなかった。自分の命を栄誉あることとして実行できるものなど、戦争のなくなった世界にいるはずもなかった。
前衛に志願する者はいや、志願させられたものというのが正しいだろうか、貧しいゆえに弱気立場に立たされるものが主だった。
だがある二人の人物は別だった。
「なぁ、今でも後悔してるか?]
ピアスは神妙な顔を作るロードに向かって声をかける。
二人はすでに作戦区域についており、ひとまず作戦の概要を聞くべく他の兵士とともにとある民家に身を潜めていた。
とはいえここは酒場、二人が今日飲み合っていたあの酒場であった。
ついさっきまでここは営業していたため酒の匂いと料理のいい香りが充満しており、その香りがほどよく食欲をそそっていた。
「いいや別にそんなことはないさ。第一もう決めてしまった以上あとに戻ることなんてできないだろ?」
「それもそうだったな。しかし運がいいのか悪いのか前衛にいるのはたった20人程度だぜ」
この戦闘でおよそ1万人ほどの人間が参加することになるが騎士団の1000人を除いて、前衛に志願したものはわずか20名ほどであった。
こうして狭い部屋の中に集められるといかにその数が少ないか、あらためて思い知らされる。
前衛がいかに嫌われているのか、この状況からも明らかだった。
しかしこれが現実だった。
ロードはこれから来るであろう強大な敵に少しばかり緊張をしていた。
どんどん大きさを増していく地響きに建物が崩壊していく音が近づいてくるにつれて気持ちが頭の中とは裏腹に高ぶっていく。
それが人の危機感というものなのだろう。体がロードに命の危険を告げているのである。
しかしこのままではまずかった。これではいざ戦闘になると体が思うように動かないであろうことは目に見えている。
震えた手でどうして真面な戦闘行為が行えるのだろうか。
しかしロードはこれがごく普通のことだと思うと無理に手の震えを落ち着かせようとも思わなかった。
またかえって意識することで、逆効果になる恐れもあると思いさえした。
「そうだな。だれも自分の命を粗末にするバカはいないさ。命の最も助かる確率の高いものを選ぶのは当然の判断だ」
「だな」
ピアスは鼻で笑いながら、ロードの意見に同意する。
彼にはロードとは違ってこれから来るであろう強大な敵との戦闘に緊張の様子も見られない。むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
どうやらピアスの危機感はマヒしているようだ。それともよほど精神が図太い人間なのか。
普通は命の危機を感じると人間体のどこかに異変が起きるというものだ。
しかし彼にはそんな姿はみじんも感じられない。
周りの人たちは恐怖ゆえに周りが見えなくなっていた。
中には精神に異常をきたし、ぶつぶつと独り言をつぶやいている者さえいる。
ロードはそんな彼の姿を見ているといつしか手の震えがなくなっているのに気づく。
それはまるで彼の危機管理能力の欠如がロ-ド自身の体にも伝染してしまったかのようだった。
「でもそれが俺らにとっては都合がいい事なんだがな」
ピアスは面白おかしそうににやにやと笑みを浮かべながらいう。
ロードはそれに鼻で笑いながら応じた。
「前衛の仕事は主に注意のひきつけと凌ぐこと」
「真面に戦えなんて言ってないもんな」
「ああ、逃げ切れれば俺たちの勝ちだ」
彼ら二人の作戦は無理に戦うことなく、善処すること。それが二人の作戦だった。
善処とは聞こえがいいが、ようは逃げまとうことだ。
そして隙あらば、撤退を視野に入れ安全な場所に避難する。
撤退する場所は森の中だ。
危険度が増しているという情報が手に入っていたが、ここでドラゴンと対峙するよりかは生存率が高いと考えた。
ゆえに二人は前衛にいこうとおもったのである。前衛は消息が掴めづらく、森に最も近い場所だ。
また手負いを受ける前と受けていないとでは戦闘の激戦度が違うため逃げやすくもある。
「生きていればどうにでも言い訳は立つさ」
「そうだな、生きていればどうとでもなる」
「ああ、こんなところで死ねないからな」
「生きえていたら、酒の一杯くらい交わそうぜ」
「ああ」
「約束だ」
「約束だな」
二人はお互いに確認し合いながら腕を交わし、男の友情を育んだ。
これが最後の別れになるかもしれない。しかし二人の目にはそんな気など毛頭なかった。死ぬなど笑いごとにさえこの時の二人は思っていた。
だから、こんな儀式めいたものに二人はさほど意味を見出してはいなかった。
ガタンガタンと家具が揺れる。足音がすぐそこまで近づいているのが察知できる。
部屋の埃が揺れる度に、ぽろぽろと下に落ちていった。
戦闘は確かにすぐそこまで近づいていた。
そんな時だった。
馬の鳴き声が外から聞こえると、しばらくしてカツカツと甲高い足音が近づいてくる。
この音は他でもない、騎士団一行の到着を意味していた。
扉から立派な鋼の鎧を身にまとった3人の騎士が20人の前に姿を現す。
しかしそれに皆驚愕の眼差しを向ける。
ロードもピアスもその例外ではなかった。
それはなぜか、答えは他とは違うひときわ立派な装備をした一人の人物にあった。
そう、彼らの前に姿を現したのはここへ来るとは誰もが想像だにしていなかった御人、この現作戦における最高責任者クローアース協会支部長レイア・クロスフィード、その人に他ならなかったのである。