第二章 転生
私が悪いんじゃない。だって、気が付いた時にはもう誰かに憑依していたんだもん。
生前の私の能力は霊視と夢見だったが、死んでからは他人に憑依できるようになった?これってもしかして悪霊?と思ったが、自分ではその新しい身体からは抜け出す事もできなかった。ただ、自分の人生の記憶と意識をすべて持ったままで、身体だけが他人になった。
自分よりもずっと若い女の子。中学生ぐらいだ。やった。これで十歳は若返った。と思った。なぜか全く怪我などはしていない。この子は死んでしまったのか?それは分からない。
飛行機の中は本当にめちゃくちゃだった。あらゆるものが散乱している。機体の天井もバックりと割れ、鮮やかな青い空が見えていた。アメリカの空は青いなあ。
機内の散乱とは対照的に、物音ひとつしない、恐ろしく静かな時間が過ぎて行く。うめき声とか聞こえない。つまり、ほとんどの人が即死という事だ。
最初に私がやった事。
一、自分の身体を見に行った。首が折れているらしく、すごく気持ち悪い顔だった。これはだめだ。
二、ヴァイオリンを調べる。ケースが壊れて中身が散乱している。表板、ネック、裏板などが見事にバラバラになっていたが、板そのものは割れていないので、これなら簡単に修復可能。これであのアメリカ人に迷惑をかけずにすむ。このヴァイオリンはこれで知名度が上がってさらにいい値がつくな。
三、そして、エアバックをあげた隣の男の子を見た。気絶していたが無傷。たぶん助かる。隣のお母さんは……だめそうだ。
そこで私は男の子を抱き、ストラドの部品をかき集め、それとエアバックの残骸を持って飛行機から脱出した。途中で男の子が気が付いて泣き出した。
季節は五月。高い山の上に落ちたようだが、凍えるほど寒くないのは幸いだった。
さすが先進国アメリカ。すぐに救援のヘリが来て、その三時間後には私たちは病院のベッドにいた。テレビのニュースによると、約三百名の乗員・乗客の中で、助かったのはわずか三名。私(が憑依した子)、男の子、もう一人はだいぶ後ろの席に座っていたアメリカ人の女性だった。
なんでこの三人が助かったのか、世間の関心が集まったが、その理由が明らかだったのは、男の子だけだった。
「よし。これで丹羽電子の製品は売れまくるぞ」っと思ったが、すこし気になる事があったので、iPadから社長あてにメールする。
「携帯エアバックの事だけど、金持ちだけが助かるような商売はしないようにね」
しかし、うっかり生前の自分のアカウントからメールしてしまったので、この時のメールは丹羽電子の社内で天国からのメールと伝えられる事になる。まあ、そういう不思議ちゃん会長だったんだよ。そういう事。
* *
やがて、日本から父親と母親という人物が迎えに来た。優しそうでなにより。私は憑依した娘の記憶は何にも持っていないから、しかたなしに記憶喪失のふりをする。まあ、医学的にはその通りだし。
この娘のスペックはだいたい次のようなものだった。
名前は柏木水音。かわいい名前だ。私立中学の二年生。アメリカにいるおじさんの家に遊びに行って一人で帰るところで飛行機事故にあった。妹が小学校六年。成績も運動も中の中。あんまり取り柄はないのだが、見た目はけっこう良かった。ゆるやかにカールした暗褐色の髪、くっきりした二重まぶたに長いまつげ。広いおでこ。今時のかわいい顔で足がすらっと長い。中二なのに胸も結構膨らんでいる。これなら使える。私は次の自分の人生を予想してにやにやした。親は中流サラリーマン。まあ、しかたないか。あとは自分でなんとかしよう。
そして帰国。一週間後。「記憶喪失のまま」という触れ込みで登校する。六月になっていた。
そして驚いた。今から思うと、この時の驚きがその後の私の喜怒哀楽全ての起点になる。私は教室からぼーっと廊下を見ていたのだが、知らない顔ばかりでつまらない。そんな中で、見知ったかわいい顔が一瞬横切るのが見えた。え?彼、誰だっけ?知っている顔なのに誰だか分からない。だって自分の知っているあの子は中学生なんだから……と考えているうちに混乱が収まってきて状況を理解した。そうだ。自分は中学に来ているんだ。だから中学生のあの子がいてもおかしくないんだ、と。え???私と同じ中学なの?…………
なんと、裕也が一緒の学校、同学年だったのだ。クラスは違うけど。この時ほど神様に感謝した事はない。裕也はもともとすごくかわいい顔をした男の子だと思っていたが、同年齢の視線で見ると、どきどきするほどかわいくて、すらっと背も高くてすてきだった。これはモテルだろうな。
へへへ。さっそく話しかけに行こうと思った。二十五年も生きていると、違うクラスの男子に話しかけるなんて朝飯前だ。……と思ったのだけど。いざ行動に移そうと思うと、この状況が結構難しい事に気が付いた。
隣のクラスの知らない男子にいきなり声をかければ告白っぽくなる。もしも告白と勘違いされて断られたら一巻の終わり。だって、私にとって裕也は前世からの特別な関係なのだから唯一無二の存在。振られて話ができない状態になるのだけは避けなければならない。とにかく本当の事を話せる糸口さえ見つければいいのだから友達関係で十分。でも何の切っ掛けもなければ……。考えがぐるぐる回って先に進まない。
とりあえず、どこかに呼び出して話をしようか……。今時の子は靴箱に手紙なんて古風な事をやるのだろうか。もし手紙を置いて無視されたら後が無い。私は裕也の家を知っているから、下校時の待ち伏せなんかもできるけど、それではきっと引かれてしまう。やはり、裕也のクラスに行って話しかけるのが一番確実。しかし何を話せばいいのだろう。
頭の中でいろいろとシミュレーションをしているうちに、胸がしめつけられる思いがした。「二十五年の人生経験がなんにも役に立たないよ」
一ヶ月も悩んで、時々彼のクラスを見に行った。その度にそのクラスの女子に見つかって、すっかり警戒されている。これはまずいなあ。誰も私の見方をしてくれる人もいないし。
しかし、念入りに観測しているうちに、少なくともクラスには裕也と仲のよい女子はいないという事がわかる。しかも男の友達もいないようで、クラスでいつも一人だ。それはそれで心配だったが、ならば私が友達になればいいのだ。