第一章 丹羽電子
(今回から3回ほど実業家としての丹羽子の奮闘と苦悩が描かれます。後で『妖狐とゾンビの渋音恋物語』の人物設定に関わる部分なので、しばらくお付き合いいただけるとありがたいです。 北風とのう)
父が亡くなった時、私は音大の二年生だった。兄弟のいない私は天涯孤独となる。
親戚の人が「一緒に住もう」と言ってくれたのだが、それだけは勘弁して欲しいと思った。一人で十分。
父の会社は社員数が千人くらい。昔はかなり儲かっていたらしいが、その当然は赤字を出していた。
音楽しかできない私は、当然、会社の経営も何も分からないから、相続分として会社の株を二十%もらっただけで会社には全く関与しなかった。その他にも暮らしに困らないぐらいの財産を父は残してくれたので、私は会社に何の関心も無かった。
しかしそれから一年後、どうしても取締役会に出席して欲しいと言われる。あれ、私、取締役だったの?
議題はある部門の閉鎖とリストラ。超小型の電子機器を作る部門だそうだ。開発投資が膨らみ、毎年赤字続きで全体の経営の足を引っ張っている。あちこち売却先を探しまくったがどこも買ってくれない。しかたがないから部門閉鎖するという話だ。すでに経営陣の意志は固まっていて、あとは取締役会で決議するだけだと言う。
社員にとって辛い決断をするために、創業者の娘にもその取締役会に出て欲しかったらしい。
しかし私はその取締役会の場でとんでもない事を言ってしまう。何をどう思ったか自分でもよくわからない。たぶん天涯孤独の私には、何か目的が必要だったのだろう。
要するに、自分の持ち株二十%で、その部門を分けてくれと言ったのだ。
これにはそこに参加していた経営陣の全員が反対した。「単に組織を引き取るだけでなく、銀行の借金もついてくるし、今後も赤字が累積する。すぐに資金が亡くなって倒産は目に見えている」という事だった。結構本気で反対してくれた人もいたと思うが、最終的には私が引き取る事で話がまとまる。
創業者の娘が株を持っているなんて邪魔。この先、私が持ち株をファンドなんかに売ってしまうよりは、ここで退場してくれれば、こんなにいい話は無い。しかもお荷物部門を引き取ってくれ、社員にリストラの話をする必要もない。と考えたのだろう。
それから後は無我夢中で何をやっていたか覚えていない。その部門の管理者たちに会って経緯を説明し、分社化の手続きをとり、経営者を決めた。もちろん私は名前だけ会長。
存続と分社化に対して、社員の人たちが喜んでくれたのかどうか分からない。ただ、「ある製品の開発があと少しで完成するから、そこまでは資金を出してくれ」とひたすら繰り返していた。
一応、社名は私の名前から取って「丹羽電子」にさせてもらった。丹羽子が丹羽電子の会長なんだ。結構おもしろいでしょ。
何も考えていないスタートだったが、最初から非常に苦労した。最初に、「借金を借り換える際に銀行を説得するのを手伝ってくれ」と言うので社長と一緒に銀行に行って頭を下げる。社員の給料の支払いも遅れて社員に謝った。開発費はおろか、日々の運営経費も出ない。父の遺産の債権を売って資本注入したが、そんなの焼石に水。どう考えたって、開発を続ける事なんてできないではないか。私は浅はかな判断をしたと早くも後悔し始めていた。しかし、社員たちは文句も言わずに必死で働いているようだったので、私も「行けるところまで行く」という覚悟で頑張る事にした。
* *
しかし半年ほどしたある日を境に状況は激変していく。その日、私が疲れ切って自宅のソファで寝てしまった時に、父の霊が枕元に立った。まったく、生前から仕事一筋で母や私にはろくに関心を払わなかったのに、なんで今さら娘に会いに来るのか、と思ったが、夢とはいえ久しぶりに父に会えたのは嬉しかった。しかしさすがに私の父。霊になって娘に会いにきても仕事の話しかしなかった。父が言ったのは、
「あの部門を買ったのなら、アメリカの〇○という軍事産業の△△という人に話をして、超小型なんとかの技術を買ってもらえ。そうすれば借金が返せる」という事だ。さらに父は「お前の母は霊媒体質で、霊を身に宿す事ができた。お前もできるはずだから私を憑依させろ」と言ったので、それは冷たく断った。いくら父とはいえ、おやじを私の身体に憑依させるわけないだろう。気持ち悪い。
父の言っている内容は私には全く分からない話だったので、翌日会社に行って「こんな夢を見た」という話をした。するとそれを聞いた幹部たちは驚く。私の話は的を得ていたからだ。しかし、社内に英語で交渉できる人などいなかったし、アメリカの軍事産業に技術を売るのは嫌だという意見が多く、その代わりに日本の軍事産業の会社に製造した部品を納入しようという話になる。
その超小型なんとか技術は、丹羽電子では開発中だったにもかかわらず、実は世間ではすでに時代遅れと言われていた。「画期的な代替技術」が出てきたからだ。「今ではまったく市場価値が無い。今までの開発投資は無駄になったし、製品化まであと数億円の開発費も出せない」それが元の親会社の判断で、分社化の根拠だ。しかしつい最近、その「画期的代替技術」がある種の放射線に弱い事がわかり、軍事産業は引き続き旧型技術を使った製品の小型化を求めているという話だった。
その後、丹羽電子の開発と製造の人たちは毎晩工場に泊まり込み、徹夜をして軍事規格に合う製品を完成させる。また営業上も必至の努力で商談をまとめ、それを聞いた銀行も、なんとかお金を貸してくれた。
そして一年後、丹羽電子は黒字になる。
国民の皆様どうもすみません。軍事向けはぼろ儲けです。
さらに、どういうわけか民間からの注文も入って、丹羽電子は存続できそうになってきた。
まもなく、二~三のマスコミが取材にやってきた。取材対象は徹夜で努力してくれた社員ではなく、名ばかり会長の私。まあ、そうだろうな。音大生で美人の私が閉鎖されそうになった父の会社の一部を買い取って黒字転換したなんて、マスコミ受けするだろうね。
* *
それからも父はたまに私の夢の中に出てきて、会社経営のアドバイスをしていった。また、通常は知り得ないような顧客の情報なんかを伝えてくる事もあった。私はアドバイス通りやったり、また反抗してやらなかった事もあった。
しかし私は、いつまでもこの会社の会長をやっている事はできないと感じ始めていた。いつかは私の巫女の能力がばれる。そうなれば、世間の丹羽電子に対する見方は変わってしまうだろう。つらつらと思うに、父が会社を作って急速に成長させていったのは、母の霊媒の能力があったからではないかと思う。過去の要人を呼び出して、情報とか聞いていたのではないか。
そんな類の事が世間に知られる前に、私はこの世界から足を洗って、静かにヴァイオリンの世界に戻りたいと願うようになる。