序章 出会い
(この短編は10月末頃から投稿する『妖狐とゾンビの渋音恋物語』の入り口の一つ水音ルートです。他に妖狐ルートの『妖狐抄』を上げていますが、ルートが混乱しますのでどちらか片方のみお読みいただけるとよろしいと思います)
私があいつと出会ったのは、今から十三年ほど前。私の昔の身体で十四才の時だ。
ヴァイオリンの全国大会で優勝などしてしまったので、その頃の私はあちこちの親戚から呼ばれてヴァイオリンを弾きに行っていた。
私の家も父が社長をやっていたので結構裕福だったが、その日に呼ばれたのは、東北の山をいくつも持っているという桁違いの大金持ちだという話だった。当時、母はすでに亡くなっていて、その日は沙夜子さんという家事手伝いのお姉さんに連れられて、私は秋田の山奥にあるその親戚のじいさんの家に向かった。五月。よく晴れた空にそよ風が気持ち良い日だった。
屋敷に着いて驚いた。田舎の巨大な伝統的家屋に驚いたのではない。家全体を巨大な白蛇が何重にも取り巻き、屋根の上から頭を出していたのだ。白蛇は私たちの訪問などに見向きもせずに、ぼーっと目を細めて気持ちよさそうにしている。
「わっ。何あれ、すごい大蛇」
思わず私が叫ぶと、沙夜子さんは最初「えっ、どこ?」と聞いたが、すぐに私がこの世の物でない物を見ている事に気が付いて言った。
「変な事を言ってはだめですよ。何も見ないふりをしていなさい」
「え~、でもあれはでっかいよ。大丈夫かなぁ」
「とにかく、見ない事にしてください」
私の方はこのような物を見るのは慣れっこだったので、別に驚きはしなかったが、その蛇が気持ちよさそうにぼーっとしている所がすごく気になった。
母は私が十歳の時に亡くなった。巫女の家系だという話で、私もその血を受け継いでいるのだろう。子供の頃からたまに霊や精霊などを見る事があった。そして母が亡くなると、見える頻度が急に増え、かつくっきりと見えるようになる。
さて、屋敷に入ると、親戚一同が大きなリビングに集まっていた。お茶を飲んで少し大会の時の話なんかをしてから、さっそくヴァイオリンを弾く事になった。バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの第二番だ。
普段は弾き始めるとすぐに他の事はすべて忘れて、曲の世界に没入してしまうのだが、この時はどうしても蛇の事が気になって仕方がない。そこで
「あの蛇がこの家から離れるように」と強く念じて弾いていた。
第三楽章のアンダンテまできた時に異変は起きた。リビングにいる者が一斉に私の後ろを見つめて驚いた顔をしている。もしかして蛇が入ってきたのかと思ってぞくっとしたが、そうではなかった。親戚の中の若い女の人がぼそっと声を出す。
「裕也君……」
私が振り返ると、そこには五歳ぐらいの男の子がぼーっと立っている。それから別の女の人が「裕也君、起きたの?」と大きな声を出し、それから救急車を呼ぼうとか、お粥を食べさせようとか口々に色々な事を言い始め、大騒ぎになった。しかしその裕也君の発した言葉で、皆また静かに私のヴァイオリンを聞く事になる。
「僕、起きたら音楽が聞こえたから来たんだ。みんなで音楽を聞いていてずるい」
そこで私は演奏を続ける事になり、その間にお粥の用意とかするために二~三の人たちがこっそりと抜けて行った。
じいさんの話はこうだ。
「裕也は孫で半年前に交通事故にあい、頭を強く打って意識が無くなった。それ以来意識はずっと戻らず、病院を転々としていたが、見るに見かねてじいさんが東北の家でひきとって看病する事になった」
裕也君は少し元気がなかったが、普通にお粥を食べ、それからまた私のヴァイオリンを聞きたがった。そこでまた私はバッハを弾いた。親戚の人たちも集まってきて、今度はしくしくと涙を流して聞いていた。
私はヴァイオリンを弾きながら、ある事に気づく。裕也君の胸のあたりから、黄金色の靄のような物が少しずつにじみ出てくる。それは見るからに暖かそうな、魂の糧ではないかと思えるようなものだった。私は直感的に「蛇はこれを食らうためにこの家にとぐろをまいて、その結果、裕也君は意識不明だったのではないか」と思う。
そして、その事をじいさんに言った。たぶん、それは黙っていなければならない事だと思ったのだが、このままほっておくと裕也君の将来にもよい事はないと思ったので、じいさんと二人きりになった時に話した。じいさんは私の話を全く疑わず、静かに聞いて、何度もお礼を言っていた。自分の人生の終盤で、可愛い孫が植物人間になる、というどうしようもない辛い出来事があり、とてもこのままでは死ねないと思っていた。それを私が解決してくれた、という事だった。
屋敷を出て振り返ると、白蛇はもういなくなっていた。とりあえずは大丈夫そうだ。
そしてじいさんは持っている山を少し売って、私にストラディバリウスを買ってくれた。
裕也君とはその後、毎年二~三度は会った。彼は霊を見る事はできないが、何かを感じるようで、霊に取りつかれる度に親にねだって私の家まで遊びに来た。私は裕也君に会うといつも憑いている霊を落とし、彼の話を聞いて勇気づけた。寄ってくる霊は様々で、人の霊、動物霊、何かの精霊の時もあった。
* *
さて、裕也を助けた時に屋敷にとぐろをまいていた白蛇。こいつは人間型にもなれるようで、その後、中学生ぐらいの男の子の形になって、私のところに挨拶に来た。なんで挨拶に来たのかと思ったが、とりあえず会って話を聞いた。
「あの時はあの坊やが出す黄金色の霊気に夢中になって、悪い事をした。自分は人間に害をなすつもりは全くないのだが、あの時は本当に気の迷いで」
と必死に謝っている。なんで私に謝るのか、なんでわざわざ挨拶に来るのか、と聞いたところ
「丹羽子さんがお母様から受け継いでいる巫女の座は蛇神様の巫女で、私はその蛇神様の眷属。つまり同じ神様の巫女と眷属というわけです。現代においては、そういう縁もひどく薄れてしまっていますが、たまたま丹羽子さんに霊能力があるのを知って、つながりを持っておいた方がいいと思い、挨拶に来ました」と言う。
ふ~ん。だからあの時はちょっとヴァイオリンを弾いただけで離れてくれたんだ。とやっと理解した。