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7. 忘れられた母

「リリー様、裏庭のお花をご覧になりませんか?楽しみにしていらしたお花が咲いていますよ。お庭に出られませんか?」


ノックスを預けてから4ヶ月。

季節は秋の終わりになろうとしているけれど、私はノックスがいなくなって以来気力をなくしてしまって庭にも出なくなっていた。


そんな私を心配して庭師さんや使用人さん達が声をかけてくれる。


でも裏庭にはあの子がよく遊んだすべり台があり、よく登っては怒られていた柵がある。

風景の1つ1つに記憶の中のノックスが顔を出し、私を立ち止まらせるのだ。


塞ぎがちな私を、夜に帰ってくるブレイドは懸命に支えようとしてくれる。


相変わらず週の半分ほどしか帰ってこれないけれど、帰れない日は必ずその旨のカードと小さな花束が商店から届くようになったし、帰ってくる日は笑顔とともに「ただいま」と私を固く抱擁する。


帰れない日が分かるようになったため、ブレイドが帰ってくる日の夕飯はまた私が作ることにした。

何かをしている方が気が紛れるのだ。


商店の会長が派遣した料理人さんの調理器具は本格的だし、食材の質は良く調味料も見たことないものがたくさんあったけれど、

「リリー様の好きなように使ってくれて構いませんよ」

と快く利用を許してくれる。


久しぶりに作った料理は以前のものとはほんの少し味が違う気がするけれど、ブレイドは

「前に戻ったみたいだ……」

と静かに味わっていた。


夜は、ブレイドからノックスの話を聞く。

保育施設は侯爵邸に近いため、時間がある時はこっそりと覗きに行って、本人には会えないまでも先生から話を聞いているそうだ。


最初こそ少し泣いたけれど、今は毎日笑顔でお友達と遊んでいるらしい。


「友達は皆優しくて、誰もノックスを虐めたりなどしていないよ」

「この前覗いた時は、友達とブランコを譲り合って遊んでいた」

「数を9まで数えられるようになったらしいよ」


ブレイドの腕の中に抱えられて聞く息子の姿は幸せそうで、それに心から安堵しながらも、静かに涙を流す。


「あの子に会いたい。会いたいわ」


そんな私をブレイドは優しく抱きしめて、髪に口づけながら

「もうすぐ秋祭りだ。その頃には会えるよ」

と言ってくれた。


* * *


ノックスに会いたくて指折り数えた秋祭りがやってきた。


秋祭りは農作物の豊かな実りに感謝する、大切なお祭りだ。

この領地ではその期間中、各家庭で飾りつけをしてご馳走を作る。


収穫祭当日は保育施設で祝うために戻れなかったけれど、次の日にはこのお屋敷に帰ってきてくれる。


私もあの子を迎えるのにどうしても自分の手料理を食べさせてやりたくて、料理やクッキーを作ることにした。


アパートに暮らしていた頃は離乳食だったからお祭りの料理は食べたことはないけれど、基本の味付けは変わらないはずだ。

美味しいと言ってくれると良いな……そう願いながら前日から仕込み、朝から忙しく動き回って準備した。


そうこうしているうちに、昼が近づきいよいよノックスが帰ってくる時間になる。


預けている間にもう4ヶ月。

どれほど大きくなっているだろう──。


玄関を出て外で待っていると、門が開きノックスが乗っていると思われる馬車が入ってきた。


ああ、早く──。


馬車が止まり、まずはブレイドが降りてきて。

その手にノックスが抱えられているのが分かった。


「ノックス!」


走り寄る私をノックスは青い瞳できょとんと見ている。


「ノックス、ママだよ。」

ブレイドがノックスに囁いている。


「ママ……?」


手を差し出しても私の方には来てくれない。


「……ノックス?どう、したの……?」


ノックスはブレイドを見上げて不安そうに

「おとうさま」

と呟いた。


……おとうさま?

パパではなくて?

貴族の保育園ではそう教えているのかしら……では私もおかあさまなのかしら。


「ノックス……おかあさまよ……」


言い慣れない言葉で手を差し出したけれど。


「おかあさまじゃない!」


強い言葉で手をはねのけられた。


………え……?

……私、まさか、忘れられている………?


脚に力が入らない。

へたり込んでしまう私を見て、ブレイドがノックスを慌てて使用人さんに預けて私のところに駆けつけてきた。


「ブレイド、ブレイド……ノックスは、私を……忘れているの……?」


震える手で夫にすがりつき尋ねる。


「……久しぶりで、戸惑っているだけだ。すぐに思い出す……」


私を抱きしめて言葉を選ぶけれど、ノックスが私を忘れているという事実は否定されなかった。


その場から動けない体をノックスが支える。

立たされても足が前に進まない様子を見て、肩を抱くブレイドの腕がギュッと強くなった。


食堂に、温められた私の料理が配膳されていくけれど──。


「ああ、懐かしいな」


嬉しそうに言うブレイドに「これはなあに?」とノックスが尋ねる。


「チキンのスープよ。前に……赤ちゃんの頃にこれを薄めたものを食べたの。覚えていない?」


そう尋ねるけれど、こちらを警戒しながら小さく首を振る。

避難する前の赤ん坊の頃の記憶なんてないのだろう──。

ひと口ふたくちと口にすると、パンや他のものに興味を移してしまった。


ああ、お屋敷に移ってからももっと料理を作ってやれば良かった……。


ブレイドは美味しいと言いながら食べてくれたけれど、私はノックスに振る舞ってやれる料理がないことに打ちのめされていた。


食事のあとも、暖炉の前で膝に抱こうとしたけれど嫌がられる。


「ノックス、ママのお膝に……」


ブレイドが抱えてなんとか私の膝にノックスを乗せるけれど、「おとうさま」とブレイドに手を伸ばす。


私はそんなノックスを押さえ込むように抱きしめながら、ブレイドの方を向いた。


「もう、この子は預けたくない。母親を忘れるなんて。私を……忘れるなんて……」


涙が出てくる。

私はこの子のお母さんなのに。どうして。


慌てて夫が私をノックスごと抱きしめた。


「ごめん、ごめんな。……でも、ノックスは保育園で同い年の友達と遊べて成長してるんだ」


「じゃあ、町に戻りましょうよ!町なら同い年の友達だってその辺に沢山いる!

貴族のご子息達が通う保育園みたいな教育はできなくても、この子は平民の子なんだから普通の成長で良いでしょう!?」


必死に言い募る私の頭を、ブレイドはなだめるように撫でた。


「外は、本当に危ないんだ……相手の執念が本当にすごくて……」


「侯爵様の領内なのに、危ないの?」

「ああ」


「……っ、じゃあ、あなたの商店のすぐ裏、あのアパートに住む。あそこなら大通りのそばだし、何かあれば商店に駆け込めば……」

「でも夜中に襲われたら大通りも商店も関係ないだろう。それに、僕が帰れない時に君一人でノックスを守れるかい?」


そう尋ねられると私は何も言えなくなる。

ノックスの命がかかっていると言われたら……。


「……他の、貴族の皆様も……こんなに会えなくて平気なの?」

「貴族はもともと乳母に育てさせるらしいから、たまに会えれば良いらしい」

「そんな……」


子供と暮らしたいと願うのは、平民の下賤なワガママなのだろうか……ノックスを抱きしめながら震えていたら、その不安が伝わってしまったのだろう。


「おとうさま、もう、かえる……」


私達の緊迫した空気を感じたのか、ノックスが帰ると言い始めた。


「ノックス、待って!今日はママとお泊まりできるのでしょう?」


慌てて笑顔を作り声をかけるが、それにブレイドが答えた。


「……すまない、保育施設から外泊は許されていないんだ」


「そんな………待って、待ってブレイド!やっと会えたのに!」


抱きしめる私からノックスを引き離すと、ブレイドはノックスを使用人さんに渡してしまう。


「俺は、今日こちらに泊まるから」

「待って!ノックスも、ノックスもよ!」


ノックスに縋ろうとする私をブレイドが抑えて

「行ってください」と使用人さんに伝える。


「さあノックス様、ご挨拶を」


そう使用人さんがノックスに促すけれど、ノックスは叫ぶ私を怯えたような目で見たまま連れて行かれてしまった。


「……どうして、どうしてっ……!」


堪らず泣き崩れる私をギュッと抱きしめて、ブレイドは「ごめんな、ごめんな」とずっと呟いている。


「リリー……泣かないで。俺がいる。俺がいるから……」


今の私には心の支えになる存在がブレイドの他には誰もいなくて。

その大きな胸に縋り泣き続けた。


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