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6. 保育施設

「ママ、これ、なーんだ?」

「んー。鳥さんかな?」

「ちがうよ!馬さんだよ。」

「あら、ママ外れちゃった」


ノックスを公園に連れていきたいとブレイドに頼んでから数日後の午後。


子供部屋でノックスと遊んでいると、

「おかえりなさいませ、ブレイド様」

という使用人さん達の声が聞こえた。


「ノックス、パパだわ」

まだ陽が沈まないうちに帰ってくるなんて珍しい。


「パパ!」

ノックスが顔を輝かせる。


子供部屋を出ると、ノックスが走ろうとするので捕まえて抱き上げる。

エントランスホールへと下る大階段の上から見下ろすと、そこにはやはりブレイドが帰ってきていた。


「リリー、ノックス。ただいま」

ブレイドは目を細めて私達を見上げ、愛しそうに微笑んだ。


ノックスは明るいうちに帰ってきた父親がうれしくて「パパ!パパ!」と私の腕の中から抜け出そうとする。


「もう。落ち着いて。」

動きが激しく危なくて仕方なく床に下ろすと、すぐに階段を一段一段足を揃えながら一人で下りていく。


後ろから支えようと動こうとしたら、下から使用人さんが上ってきて転落しないように1段ずつ見守ってくれた。


「すごいな、ノックス。もう一人で階段を下りられるのか」


下りてくる息子に笑いかけた夫は、その目をまだ階段の上にいる私に向けた。


「リリー……話がある」


その声の硬さに、話というのがあまり良くないことなのだと分かった。


自分のもとにたどり着いたノックスを抱きしめ頭を撫でると、ブレイドは使用人さん達に

「ノックスをお願いします」

と頼んでゆっくりと階段を上がってきた。


「寝室で話そう」


*** 


「え……?」


ノックスが同じ年頃の子供と触れ合う機会を、という話だが──そう切り出してきたブレイドの次の言葉は、意外なものだった。


「侯爵様が、ノックスを保育園に入れてはどうか?と誘ってくださってるんだ」


「保育園………?ありがたいわね。それはこのお屋敷に近いの?」

「少し離れている。侯爵邸のそばだ。そこに領内の貴族の子供達が集められた保育園がある」


「……貴族のお子様達?」

「そう、貴族の子供達のための保育園だ」


思いもしなかったことを言われて、混乱する。


「え!?そんな、お金がどれだけかかるの!?」

「長く避難していることに侯爵様が同情されていて、お金は侯爵家が出してくれるそうだ」


話が思いもしない方向に動いている。


「そんな……そんなだいそれたことは望んでいないし、何より平民のノックスが貴族のお子様方の中に混じれば虐められてしまうわ!」


「それは心配ない。領主である侯爵様の口利きで入るのだし、周りもまだ純粋な子供だ」


「表向きはそうでも、親御様達の考えなどを聞いていれば意地悪を言うかもしれないでしょう!」


「侯爵様が、絶対につらい思いはさせないと言ってくださっている」


ブレイドの呑気さに苛立ちを覚える。

父親として息子が心配ではないのだろうか。

文句を言おうと口を開いた、その時。


「リリー。そこに行けばノックスは同じ年頃の子供とたくさん遊べるよ?」


……そうだ、そもそもの目的は同じ年頃の子供とたくさん触れ合わせること……。

そう言われると、文句を言えなくなる……。


「……本当に、ノックスがつらくないように配慮をしていただけるの?」

「ああ、侯爵家がそう約束してくださっている」

「それ、なら……」


私も毎日ノックスの様子をきちんと観察して、もし辛そうならやはり辞めさせていただきますと言えば良いものね……。

私はソファーに背を預けて長い息を吐いた。


そんな私を立ったまま見下ろしていたブレイドは一度目をつぶり、ゆっくりと開けた。

静かに次の言葉を吐く。


「ただ。そこは宿泊型の保育施設だ。ノックスはこの屋敷を離れて、同じ年頃の子供達と寝泊まりしながらその保育施設で暮らすことになる」


───え……?


「え!?ノックスはまだ3歳になったばかりよ!」


「ああ。でも幼児教育に優れた人達が預かってくれる。」


「無理よ!」


「でもノックスはこの頃はリリーや俺がいなくても、誰かそばにいたら寝られているだろう?」


それは……ブレイドが私をベッドから離さないから……仕方なく寝かしつけを使用人さんになし崩しに頼む形になっていただけだ。


「他の子達も3歳になったタイミングで入ってくる。今はちょうど良い時期なんだ」


「……待って!ちょっと待って……頭がついていかないわ!」


そう叫んだ私の前にブレイドが(ひざまず)く。

そして私の震える手を、大きな手が包んだ。


「リリー。何年も離れる訳じゃない。町に戻るまでの間だ」

「だって、いつ戻れるか分からないじゃない……」


涙が出てくる。

もうすぐ2年。門から一歩も出ていない生活が始まってから、もうすぐ2年が経つ。


ブレイドが頑張ってくれているのは知っている。

商店の会長からも折々に申し訳ないとのお手紙をいただいている。


でも待っても待ってもいつ避難が終わるか分からないのなら、ノックスと離れる時間もいつまで続くか分からないじゃない……。


「リリー。リリー……。待たせていて、ごめん。君にばかりつらい思いをさせていてごめん。でも解決に向かっているのは確かなんだ。あと少し待ってもらえれば、きっと解決するから」


「……じゃあ、そのあと少しの時間はノックスとここで待つわ。ノックスと離れたりせずに……。」


泣きながらそう言うと、ブレイドは私の目を覗き込んできた。


「でも3歳のノックスの時間はどんどん過ぎていく。君の言う通りこの屋敷の環境が成長に適していないのは確かだ。…………だから、今が良いタイミングだから。少しだけ保育施設に任せよう。本当に、あと少しだから。」


ノックスの成長のため……。

この屋敷にいる限り……。


その日、私は泣きながらノックスを預けることを了承したのだった。


* * * 


ノックスの出発までに与えられた日にちはわずか3日。


その3日間、ブレイドは商店からも侯爵家からも休みをもらい親子3人で過ごす時間を作ってくれた。


「ママ!パパ!見て!」


夏の庭を駆け回り、おもちゃ部屋で自慢のおもちゃを共に組み立てて、私達のベッドのスプリングで大ジャンプをしてブレイドに抱きついて。


ノックスの記憶の中では、両親が揃ってこんなに自分と過ごしてくれた時間は初めてだったろう。


弾けるような笑顔で振り返ってくる小さい身体を見ると、やはりこの閉ざされた空間でずっと我慢させていたのだと、同世代の友達と過ごさせるのは間違いではないのだと、悲しいけれど思い知らされる。


明日は出発という夜は、昔のように3人で寝ることにした。

夫婦のベッドにノックスを連れてくると、嬉しさにまた大はしゃぎしている。


「絵本を読んで」と言われては父と母が大芝居をしながら何冊も読んでやり。

「お月さまを見たい」と言われてカーメンを開けて、差し込む月明かりの明るさに驚いて。


興奮した声が聞こえなくなったと思ったら、ノックスはコトンと眠りに落ちていた。


ブレイドと私は、体温の高いその体を挟んで横になる。

まるで2年前、このお屋敷に越してきた最初の日のようだ──あの時赤ん坊だった子は、こんなにも大きくなったけれど。


あどけない寝顔を見ていると涙が出てきて、それを拭うことなくノックスの髪を撫でる。


明日の夜には、この子はここにはいないのだ。


どうか、元気で。

どうか、笑顔あふれる毎日でありますように。

どうか、仲の良いお友達ができますように。

どうか、先生方に可愛がっていただけますように。


すぐに、迎えに行くから。

ママも、寂しいけれど頑張るから──。


少しでも言葉にすると嗚咽になってしまいそうで、私は無言で柔らかい髪を撫で続ける。


そんな私達を見つめるブレイドの目からも静かに涙が流れているのが月明かりに見えたけれど、彼も何も言葉を発しない。


月の光を浴びながら、私達はただただ静かに最後の家族の時間を過ごした。


***


そして、出発の朝が来る。

ブレイドがノックスを保育施設に連れて行く朝が来てしまった。


ブレイドは保育施設でお世話をしてくださる方にノックスを託したあと、しばらく近くの侯爵邸の使用人室で寝泊まりをさせて貰う予定だ。


初めて預けられて不安定になった子が体調を崩すこともあるそうで、酷くなりそうな場合は親が少しだけ顔を見せて落ち着かせるらしいのだ。


具合など悪くなりませんように。

そう願いながら身支度を整える。

柔らかい金色の髪をブラシでといてやれば、あとはもうすることがなくなってしまった。

──私が、ノックスにしてやれることが、なくなってしまった。


「……さあノックス、行こうか」


お気に入りのぬいぐるみが入った荷物を持って、ブレイドが私からノックスを受け取る。


その腕の中の小さな身体をもう一度抱きしめて、ふっくらとした頬に口づける。


「ノックス、寂しくなったら先生にお話してね。そうしたらママ、必ず行くから……!」


涙ぐむ私と、それを澄んだ青い瞳できょとんと見つめるノックス。

私達を隔てるように馬車の扉が閉まる。


「ノックス……!」


馬車の窓のカーテンが開き、ブレイドの膝の上に乗り笑顔のノックスが手を振っているのが見える。


馬車が出発した。


「ノックス!ノックス……!」


後を追いかける私の前で、馬車が門を通り抜けていく。


「リリー様。ここまでです。」


目の前で、門がしまる──。

私は、その場で泣き崩れた。


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