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4.  まだ気付かない変化

高い塀に囲まれ閉ざされた空間の中、同じことが繰り返される毎日。


それでも変化は少しずつ訪れていたのだ。

1つ1つは私が気づかないほどに、とても小さな兆候だったけれど。


* * *


昨年の秋にこの屋敷に越してきてから半年。

初めての春は、この屋敷の裏庭に初々しい花達とあどけない子供の笑い声を迎えていた。


「ママ、見て!」

「スゥ、シュー、上手!」


もうすぐ2歳になるノックスはこの頃自分のことを「スゥ」と呼び、裏庭に置かれた小さなすべり台を滑ってみせる。


数段しかない階段を上り、私が見ていることを確認すると「シュー」と自分で効果音を言いながら滑る。

わずか数秒の冒険が終わると得意気な顔で私を振り向くのが可愛くて、私はパチパチと手を叩いて「ノックスすごい!」と何度も褒めた。


「こんなに上手に滑れるんだから、パパに見せて上げたいね」


ブレイドは少し前から侯爵様からの用事が立て込んでいるとかで、もうこの半月ほどこのお屋敷に帰ってきていない。


「……少しだけ、空ける。でも絶対に帰るから。……愛してる」


囁きながら私をきつく抱きしめて、いつもより長いキスを降らせた後に歩いていく背中は決意に満ちていた。


きっと今、彼は私達のために頑張ってくれている。

だから寂しいなんてワガママを言ってはいけないのだ。


「ノックス、お水を飲みましょう」


広い庭を満喫して遊び回る息子を捕まえて膝の上に乗せた、その時。


──パン!パン!パン!


という乾いた音と共にワアァッ!という沢山の人の声が遠くから聞こえた。


膝の上でノックスがビクリとする。


「なんの音でしょう?」


そばにいる使用人さんに聞いても「さあ?」と首をかしげている。


少し間を置いてまた繰り返す乾いた音と、だんだん大きくなる大量の人の声。

悲鳴などは聞こえないので、これは歓声だろうか。


この乾いたパンパンという音に私は聞き覚えがある気がする。

どこで聞いただろう……。


「あっ!」

思い出した。


「何年か前に、侯爵様のお家ご誕生300年のお祝いがありましたでしょう?その時に先ほどのパンパンという音を聞いたような気がします。何か侯爵家のことでお祝いがあったのでしょうか」


そう言いながら使用人さんを見ると

「確認してきますね」

とお屋敷の中に入っていった。


「リリー様、分かりました」


使用人さんが戻ってきたのは少ししてからのこと。


「少し離れたところに、侯爵様の狩り場の森があるそうで、そこで大きい狩猟大会が開かれているそうなんです。

王都などからも他の貴族様をお迎えして、かなりの人数が集まっているそうで。

大きな獲物が狩れたらあのお祝いの花火を鳴らしているのではないかと」


なるほど。

そういうことならば花火も歓声も納得だ。


それにしても、こんなに大勢の人数から駆り立てられる獲物はさぞ怖いだろう、とふと思う。

散々追い詰められて、仕留められることを沢山の人から喜ばれる命は哀れだ。


そう思ったけれど、それを軽々しく口にすることは許されない。

私はその侯爵家にお世話になっているのだし、そうやって誰かが仕留めた命が、私達の日々の糧になっているのだから。


……でも、もしブレイドがいたらこの物悲しい気持ちを聞いてもらえるのに。


そう思ったけれど、結局次にブレイドがお屋敷に帰ってこれたのは更に1ヶ月も後になってからだった。

その疲れ果てた様子を見れば心配ばかりが心を占めて、追われる獲物の悲しみなどすっかり忘れていた。


* * *


春に2ヶ月近くお屋敷を空けた後には、ブレイドはまた以前と同じように週の半分ほどはお屋敷に帰ってくるようになった。


作業着ではない服を着ることも増えて、汚れも少なく避難前に比べて洗濯もかなり楽になっている。


聞けば商店では交渉専門で動くようになり、侯爵様の御用も服がそんなに汚れるようなものではないそうだ。


仕事の内容が変わって来たのなら、もしかしたら事態が好転して前の暮らしに戻れるのではないかしら?と思ったけれど、そうはいかないらしい。

 

「不自由をかけててごめん……」


疲れた顔でそう言われると何も言うことはできない。


「私は大丈夫。あなたが無理をしてないか心配よ」


そう言ってブレイドの頭を抱きしめると、そのままベッドに押し倒される。


「リリー、リリー……。愛してるよ」


お屋敷に帰ってきた日の夜は、ブレイドは必ず私を激しく求めた。


***


夏のお屋敷の裏庭には、まだ小さな苗木しか植えられていないため日陰がほとんどない。


「リリー様。庭づくりは年単位の作業です。どんな庭にしたいか考えて。植えてみて。次の年の同じ季節にまた様子を見る。そんな風に地道に作り上げていくんです」


来年の今頃はさすがにこのお屋敷にはいないんじゃないかしら──そう思ったけれど、その時にこのお屋敷を利用する誰かが、この裏庭を見て心和ませてくれると良い。

それを楽しみに、雑草を抜きながら空いているスペースには何を植えるかを話し合う。


春の間は庭に面したテラスで面倒を見ていてもらったノックスは、この暑さは危険なために室内に入っていた。


最初の頃は私とガラスで区切られることにむずかり泣くこともあった。

けれども使用人さんに抱っこされたノックスがガラス窓を開けてもらい泣きながら「ママー」と呼べば、必ず私も作業の手を止めて頬ずりをしてやる。


そうやってガラスを開ければ私がいることを学ぶと、2歳のノックスはだんだん泣かないようになっていった。


* * *


繰り返す同じような日々の中で時間は過ぎていき。私達は避難して丸1年になる秋を迎えた。


このお屋敷を出ることは叶わなかったけれど、商店の会長の訪問を受ける。

私達の避難生活で初めて迎えるお客様だった。


「商店のことで長らく不自由をかけて申し訳ない。」


夫の雇い主に深く頭を下げられて私は恐縮するばかりだ。


「こちらこそ、こんな良いお屋敷に住まわせていただいた上に私達を支えてくださる方々までご手配いただいて……」


「お屋敷は侯爵様のご厚意なので私の手配ではないのですが。

手伝いの者に関してはどうかお気になさらずに。

ご主人には商店のために、本当に力になっていただいているから。

これからもご不便を強いてしまうけれど、解決に向けてご主人と共に努力しているので今しばらくお待ちいただきたい」


その誠意ある態度に、私達ももう少し頑張ろうと思うのだった。


* * *


そして2回目の春が巡ってくる。

このお屋敷に越してきてから1年半ほどが経ったことになる。


この頃から、ブレイドの疲れが彼の心身に影響を及ぼしているのがはっきりと分かるようになってきた。

ストレスの発散のためか、お屋敷にいる間はずっと私を引き寄せて身体のふれあいを求めるようになったのだ。


「リリー」


帰ってきたあとの抱擁は長く、食後は長椅子の上で私を膝の上に乗せて離さない。

そして不意に長い口付けを強引に求めてくる。


「ブレイド、ちょっと、待って!ノックスが見てるわ!」


私はなんとかその腕から逃れようとするけれど

「親同士が愛を示して何が悪いんだ?」

そう言ってますます拘束を強くする。


「使用人さんも見てるわ!」


そこまで言うとブレイドはため息をついて、談話室の片隅でノックスと遊んでくれていた使用人さんに

「すみませんが、このあとノックスを頼めるでしょうか?少し上で休みたいのです」

と言って私を抱き上げた。


「ブレイド!?」


かしこまりました、と微笑む使用人さんに慌てて謝りながらブレイドに抗議をする。


「少しぐらい見ていてもらってゆっくりしよう。ノックスもここの使用人達には慣れているんだろう?」


私の抗議をさらりと流すと寝室のドアを蹴って開けて、私をベッドの上に下ろした。


「ブレイド!」


抗議の声を上げながら見上げると、そこには私を苦しそうな顔で見下ろす夫がいた。


「リリー……リリー……頼む、拒まないでくれ。頼む。苦しいんだ……」


その苦しみに満ちた声にハッとなる。

1年半も家族の命を背負いながら走り続ける夫の困難を、私は全く思い遣れていなかった。


そっと下から手を伸ばして、両頬を包み込む。


「あなたは精一杯頑張ってるわ」


目を見て、微笑んだ。


「ちゃんと頑張ってる。私は分かってるから……大丈夫だから、そんな顔をしないで?」


「リリー……」


この春の日以降、ブレイドは早く帰ってこられる日には翌朝まで寝室にこもり、私の身体を離さないようになっていった。


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